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梅嶺───前ノ日───

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「脈を見せろ。」
藺晨には、梅嶺での戦の戦術など、どうでもいい事だった。
自分の戦いは、この男の体なのだ。
長蘇の脈を見て、藺晨の表情は険しくなる。
「ん?。」
『どうなのだ?』、そんな表情をして、長蘇が藺晨の顔色を、覗き込むように伺っている。
調子が良いのは、長蘇が一番分かっている事なのだろう。
自信ありげに、藺晨を見ているのが、何とも腹立たしくて仕方ない。
飛流が支えなくともスイスイ歩くのだ。
「長蘇、戦の前に飲んでおきたいと言っていたが、冰続丹は、飲まずとも良いだろう。脈が安定している。
飲まずに調子が良いなら、飲まずに済ませよう。」
「そうか。」
この冬に入ろうという山に来て、梅長蘇の体調が良いなどと、ありえない事だった。どうも、疑わしい、、、、。
「、、、、、、お前、こっそりと飲んではいないだろうな。後が大変になるだけだぞ。」
嘘つきなのだ、梅長蘇というこの男。
信用ならぬ。
相手に余計な心配をさせぬ様、平気で嘘をつくのだ。

ここに来るまで、二つ飲んだ。
金陵を出発して、無理して馬に乗って容態が悪くなり、一粒。
その後は安定していたが、北に向かうにつれ寒さも増し、梅嶺までまだまだ距離はあるというのに、風邪を引いた。
治るまで、ここで休んで行こう、急いで追いかけて追いつけば良い、という藺晨の勧めも受け付けず、止む無く一粒。
遅れられない、一刻、遅くなれば事態が厄介になり、後の戦況がしんどくなる、と。
なにより、軍師の不調は、軍の士気そのものに影響する。
長蘇は頑なに、半歩として譲らなかった。
藺晨は、ここでこの状態ならば、梅嶺に着くまで、どれだけ冰続丹を飲まねばならぬのかと、気が滅入った。
そもそもが無理だったのだ。
━━━私に奇跡を起こせと??、、、、医者の言うことを、聞く耳を持つ患者ならばな、私だって、奇跡を起こせよう。━━━

そして梅嶺が近づくにつれ、脈が強くなっていったのだ。
長蘇の体が変調を来たし、、、、具合が悪くなったのでは無い。
むしろ、その逆で、、、、、、。
まるで健康な普通の人間のようだった。
飛流の支え無しで、スイスイと歩くのだ。

「、、、おかしい、、、本当に飲んではいないんだな?。医者の言うことを聞かぬなら、私はもうお前を診ぬからな!!。」
「本当だ、嘘なぞ付いていない。疑うなら冰続丹の数を数えればいい。」
何を怒っているのか藺晨は、、、、梅長蘇の調子が良いのに怒り出すとは、、、。
傍で聞いていた蒙摯は、そう思わずにはいられない。
だが、今までの自分のことを考えると、長蘇にも藺晨の気持ちが、分からないでもなかった。
梅長蘇は袂から、薬の小瓶を出した。
梅長蘇に言われた通りに数えるのも、自分の懐の浅さをみられるようで、藺晨は躊躇う。
「おい!、蒙摯!、こいつは本当に飲んではいないのか?。何が他の変なモンでも飲ませたんじゃないのか?!。」
いくらか離れ、自分の寝台に座っている蒙摯に向かって、藺晨は荒々しげに言葉を投げつけた。
「私には、分からぬ。小殊の体の調子は、藺晨殿の責任だろう?。」
聞かれても困る、と言った具合で、蒙摯はそっぽを向いてしまった。
「ぷっ、、この医者は、患者の体調が良くて、機嫌が悪くなるのか?。」
梅長蘇は、さも、面白そうに含み笑いをしながら言うのだ。
尚更、腹が立ってならない。
「Wwwwww。」
━━━こいつという奴は!!!、体の調子が良いとすぐこれなのだ!。私が、どれだけお前の体に、気を配っていると思っているのだ!!。━━━
「少し、外へ出てくる。主治医殿の血圧が上がりそうだ。」
そう言うと立ち上がり、
「調子にのって、長く風に当たってはならんぞ!!。いいか!。」
藺晨はただ心配をしているのだ。
───分かっている。────
背中を見せたまま、藺晨に手を振り、そのまま軍幕を出た。



暫く歩いていた。
軍幕の群れから、だいぶ離れてしまった。
丁度、梅嶺のあの大岩が、ここから少しだけ見える。
梅長蘇は止まって、ずっと大岩を見ていた。

キンと冷たい空気が、肺に入る。
───まだまだだ、ここはもっと寒くなる。
かつての戦場は更に寒い。
梅嶺が、凍てつく前に、決することは出来るだろうか、、、。

この調子の良さは、風邪をひいた時に、冰続丹を飲んだせいでは無い。
何故、調子が良いのかは、私にも分からぬ。
体が軽く、寒さも感じない。
まるで、林殊に戻ったかのようだ。───

まだ、本格的な寒さには程遠いが、いつも通りの梅長蘇ならば、この程度の冷気でさえ、タダでは済まぬ。
恐らく、倒れるか、血を吐くか。
───藺晨が怖がっている、私の調子の良さを。
だが、この自分の体は、藺晨以上に、私が怖いのだ。
明日の戦いの最中に、倒れたら、、、、。
明日は絶対に倒れることは出来ぬのだ、私が倒れる事は、負けに繋がるのだ。

気が張っているだけなのか、、。
突然、いつもの梅長蘇に戻ってしまうのが恐ろしい、、、、。
明日、、、、明日の一日だけ。
どうか、立たせておいて欲しい、私のこの足で、、、、。


誰に頼めばいいのか、分からぬが、、、。
見慣れた梅嶺の戦場の、どこかに神は居るだろうか、、、。
梅嶺の御霊に、、どうか、、、、どうか、、、。
守りたい者が、大勢いるのだ。


頼む、、、、。───



梅長蘇が険しい顔で、夜空の一点を見つめていた。
冷えた空気は汚れもなく、ありのままの空を晒している。
怖いほどの天空の星空。
油断すれば、空気共々、天空の星々に、世の物が潰されかねない。


───全てが怖い。
かつての林殊なら、こんな事は、思ったこともないだろう。
全てが、自分に掛かっている。
金陵の命運と、大切な者達の命運と、、景琰の命運。───



───負けはしない。───




随分、この寒空に立っていた。
心配そうな、視線を感じた。
───藺晨か?。───

振り返ると、幾らか離れた所で、飛流が心配そうに、じっと長蘇の姿を見ていたのだ。
「飛流か。」
おいで、と、長蘇は飛流を手招きした。
素直に飛流は長蘇の側まで、小走りに駆けてくる。
「ずっと居たのか?。」
こくんと飛流が頷いた。
「寒かったか?。」
今宵は、いきなり寒くなった。
飛流が寒そうに見えた。
「、、、寒い。」
ぽつりと飛流が言う。
吉さんが飛流に、温かな合わせの上着や下履を用意してくれたのに、こんなのは動き難らいから要らないと、飛流は大部分を蘇宅に置いてきたのだ。
梅嶺の寒さを、飛流は知らない。
後で困るだろうと、吉さんは、梅長蘇に少し預けて寄こした。
軍幕の荷物の中に、あるはずだった。

「飛流、こちらへおいで。」
不思議そうな顔をして、長蘇の更に側へ。
「ふふ、、、。」
飛流の肩を引き寄せて、梅長蘇は自分の外套の中に、飛流を入れた。

飛流の戸惑いが伝わって来て、怖がっているのか、長蘇の外套から出ようとする。
「温かいだろ?。」
───寒いくせに、、、。───
そう思って、長蘇は飛流の肩をぐいと、自分にくっ付けた。
なんだか、蒙摯とも競り合う達人の飛流が、こんな事でおどおどしているのが可笑しかった。
そして可愛らしくもあった。

いつもの梅長蘇の温かさではない。