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第三部9(109) マゼンタヴィクトリア

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母から託された切手を手に、ミーチャが海峡を渡った。

あの手紙に記されていたロンドンのオークション会社を訪れる。

「あの、こちらにジェレミー・モーランさんと仰る方は…まだ在籍しておりますでしょうか?」

受付のソファで暫く待たされた後、受付嬢が初老の紳士を伴って戻って来た。

「Nice to meet you」

ミーチャに挨拶し握手の右手を差し出した。

ソファから立ち上がったミーチャが挨拶を返し差し出された手を握る。

「ジェレミー・モーランと申します」

通された応接室でモーランがミーチャに名刺を差し出した。

「ドミートリィ・ミハイロフと申します」

ミーチャがモーランに名刺を渡す。

「ロシア出身の…方でいらっしゃる?」

ミーチャの名刺に記された名前とブリュッセルの住所を見比べてモーランがミーチャに訊ねた。

「ええ。ロシア出身です。現在はブリュッセルで暮らしております」

ミーチャの来歴から恐らく10数年前に起こったロシアの革命の混乱を逃れて国外へ渡った人間の一人なのだろうと理解したのか、それ以上は深く詮索してこなかった。

「私を訪ねて来られたようだが、失礼ですが…」

「これをご覧下さい」

ミーチャが母親から託された手紙をモーランの前へ滑らせた。

「ロシア語で書かれているので、最初の手紙は読めないかもしれませんが、ここに…」

ミーチャが二枚目のオークションハウスの記載を指で示した。

そこにはアルファベットでここロンドンのオークションハウスの住所とモーランの名前が記されていた。

もう一度モーランが一枚目の手紙の、最後に記された署名に目をやる。

「私の母が、今から16年前、ロシア革命の折に譲られたものだそうです。―それを母に譲った人間が誰だったかは…母からは聞くことができませんでした。私は母の代理でここへ伺いました。― 母の名は、ユリア・ミハイロヴァと言います」

その名前を耳にしたモーランの表情が僅かに変わる。
「少しお待ちください」

モーランがいったん席を外した。

「すみません。失礼しました」

モーランが一枚の手紙を手に再び応接室へと戻って来た。

「これを…」

モーランがその手紙をミーチャの方へ滑らせる。

その手紙は― ミーチャが母から託されたものと同じように時を経てやや黄ばんでいたが、上質な便箋で、母の手紙と同じ文様の透かしが施されていた。

「ここを…」

モーランが末尾の署名を指さす。

そこには、母宛の手紙と同じ、キリル文字を崩したと思われる署名が認められていた。

「この手紙が届いたのは、あなたのお母様がその切手を譲られた1917年でした。封筒の消印がロシア国外となっている事から、恐らく亡命した人間に投函を頼んだのでしょう。その手紙には―、御覧の通り1905年のオークションで落札した2ペンスポストオフィス三枚をユリア・ミハイロヴァに譲渡したと書かれております。この切手は所謂マゼンタヴィクトリアと呼ばれるコレクター垂涎の超高額切手なのです。当時の落札価格は1450ポンド強(約八億円強)。今も恐らくオークションに出せばそれに近いぐらいの価値になると思います。これから一応鑑定にかけて、それから直近のオークションにかけようと思います。ではお預かり証を今から作成しますので、そこにサインをお願いいたします」

モーランはミーチャからその切手を預かると、秘書の女性に用紙を持って来させて、内ポケットから万年筆を取り出すとサラサラと慣れた様子で預かり証を作成した。

「ではこちらは責任もってお預かり致します」

「あの…」

「はい?」

「あの…、この切手を母に委ねた…前の持ち主は、一体どなただったのでしょう。あの当時まだ僕は子供で、母親の交友関係というものを良く知らなかったもので…。それに、母は、実は外国人なのです。ロシア人の父と結婚してロシアへやって来たので、だから、あの国に身寄りらしい身寄りはありません。…父の実家は元侯爵家だったと聞きますが、あの家は…こう言ってはなんですがとっくに零落していてそんな財産を残せるような家ではなかった。一体…母にこの切手を委ねたのは誰なのでしょうか?」

ミーチャの質問にモーランは首を横に振った。

「守秘義務がありますので、それをお教えすることは出来ませんが…、あなたはお母様にその事を尋ねられたのですよね?」

ミーチャがコクリと頷いた。

「そうですか。ならばそれは…あなたに…誰にも知られたくなかったことなのでしょう。東洋の言葉に《知らぬが仏》という言葉があります。知ってしまえば心が乱されずにいられないことも、知らなければ平静な心でいられる…という意味です。必ずしもいい意味合いの言葉ではないのかもしれませんが、あなたのお母様はきっとそれを望んでいられるのではないでしょうか?きっと、それを知ってしまったら、あなたを初めとする周りの人の心を乱して苦しめると…そう判断されたのではないでしょうか?」

国を捨てて外国へ逃れて以来、娘にも夫にも誤解され苦しんでいた母。
この切手の秘密を知ることで、その事が原因で母をあれ以上苦しめたくはなかった。

「そう…そうなのかもしれません」

「あなたはいい息子さんですね。― お母様もあなたの事をとても信頼されているのですね」

モーランはそう言ってミーチャに慈愛の籠った笑みをむけた。

「はい…。私は母の―、ムッターの一番の同志ですから」

― ムッターは、僕の同志で、女王で、女神です。

「お母様、ドイツの方だったのですか。…それはあの当時は相当ご苦労された事でしょう。…お母様の事、大事になさい」

― この切手は私が責任もって、落札させますので。お母さまにもよろしくお伝えください。

最後にモーランが再びミーチャに握手を求め、固くミーチャの手を握りしめた。
それは上品で時には冷たくもとれる慇懃な物腰からは想像がつかない、熱い血の通った温かな手だった。