梅嶺 弐───再会───
「何だと?、金陵の皇宮を離れて、梅嶺くんだりで動いているのか?。」
「そうだ、どうしても有能な武人が必要だった。」
「梁帝は知っているのか?。」
「いや、知らぬ。景琰が自分の責任で、極秘で貸してくれたのだ。皇宮の中の者も朝臣も、この事は誰も知らぬ。景琰以外は、この事は知らぬのだ。」
藺晨は黙り、眉間に皺が寄る。
「御林軍は元々、鉄面を付けているのだ、中身が変わろうと、誰も気付きはせぬ。今、皇宮では、御林軍の代わりに、禁軍の兵が成り済まして務めている。御林軍の鉄の鎧と鉄面を付けてしまえば、中身が誰だろうと、誰も気付くまい。」
「、、、、大胆と言うか、向こう見ずと言うか、、、大丈夫なのか?。バレぬのか?。」
「勿論、発覚する恐れはある。だから、そう長くは借りられぬ。砦を攻め落としたら、直ぐに金陵に還すつもりだ。、、、皇宮とて、安全ではないのだ。
苦肉の策だった。」
有り得ぬような策に、藺晨はこの梅嶺での戦さが、どれ程大変なものかを感じていた。
「皇太子の発案なのか?。」
「いや、、私も同じ事を考えていた。私が言い出すのを待っていたようだ。そして、この作戦は戦英に任せたのだ。見事にこなしてくれた。
御林軍の能力は計り知れぬ。有能な禁軍の兵士の上をゆくのだ。」
靖王が全ての責任を被り、出軍を許しても、御林軍の大将は受け入れぬと、長蘇も靖王もそう思っていた。
駄目元で要請した。
だが、御林軍大将はあっさりと、受け容れてくれた。
「泰平の世が続き、腕が訛っていた。」
そう言って、喜んで危険な任務を承諾してくれたのだ。
後日、靖王が御林軍兵の、本心の言葉を耳にしていた。
御林軍は梁の為に働きたいと、この度の梁の窮地に、重任とはいえ、ただ皇帝だけを守っている事を、歯痒く思っていたようだ。
皇太子となったり、戦さの対応を一任された靖王は、御林軍兵と戦英と繋げ、御林兵を先に砦へと向かわせ、用意をさせたのだ。
当初、十万の軍と、大渝軍を見積もっていたが、蓋を開ければ、全軍でわずか六万だった。
大渝は三万を砦に置き、残りを、かつて赤焔軍と戦った、戦場ヶ原の側に陣営を置いている。
「大渝軍の軍営は、この砦だけではないのだろう?。伝令が走ったら、残りの軍がこの砦戦に、加わりはしないのか?。」
「心配は要らぬ、それも予見済みだ。伝令も斥候も、張殿の配下が始末している筈だ。三万の軍は合流は出来ぬ。さっきの爆破が、狼煙の代わりになるだろうが、もう手遅れだ。」
───大渝戦は長引かせたく無い。厄介だ。
戦さというモノ自体を、やるのならば一気に、そして再び立ち上がれぬよう徹底して、、、それが父の方針だった。そうすれば、敵も迷わず諦める。───
影の動きによって、あっけないほど、思ったよりもずっと早く、砦戦は決着する様だ。
願ってもなかった。
それでも、梅長蘇の戦術無しでは戦英も御林軍の張も、これ程の成果は挙げられぬだろう。
砦の内部も、砦の弱点も、そして誰も知らぬ抜け穴も、、、。
かつて、林殊が過ごした事のあるこの砦。
蒙摯も、戦英も、砦のそんな仕掛けは何も知らぬのだ。
「終わったようだ。」
ぽつりと梅長蘇が言う。
まだ、砦に梁の旗は立っていない。
砦の北側から、行く筋もの煙が上がり、そして爆発音。
「北側には、大渝が、砦に入り切らぬ食量やら武器やら火薬やら、相当な量を、北面の軍幕に積んでいたそうだ。
砦を取られると覚悟して、敗走しながら、火を付けて処分しているのだ。大渝は梁軍には、食糧や武器は取られたくないだろうからな。」
えげつない、藺晨はそう思った。
自分の父親が、武人や戦を毛嫌いする訳がよく分かった。
手段を選ばず。
強い軍は、もっと堂々と、綺麗に戦っているのかと、藺晨は思っていた。
どんな方法を使っても、最後に勝てば良いのだ。
それが基本なのだ。
だが藺晨は、この戦という場所に身を置いて、そして戦う前線の軍の『意志』の側にいて、ただ勝つだけでは無い、国を『守る』という信念の様なものを感じていた。
そして敵軍の将への、尊厳のようなものも抱いている。
敵対していながらも、同じ『信義』を心に持ち、戦を通して心通い合うような、、、。
連戦練磨の武人であればある程、身体から放たれる『それ』を強く感じていた。
武人特有の『気』とでもいうのだろうか、、、全く、その辺りは理解も同意もしようとは思わなかったが。
やがて、砦の門に、梁軍の旌旗と、蒙摯の軍旗。
梅嶺の冷たく強い風に、旗めいていた。
「行こう。」
黙って、梅長蘇と藺晨、飛流は砦に向かって、ゆっくりと馬を歩ませた。
梅長蘇と藺晨は、砦の一室に通された。
かつて、梅嶺を巡視する際に、赤焔軍の主帥、林燮が使っていた部屋だった。
石組みの砦の部屋は、蒙摯の軍幕程の広さもなかったが、それでも、ここは日当たりの良い温かな部屋なのだ。
ここを主帥が使い、梁軍の司令室とするのだ。
この部屋は、昔から変わっていない。
室内の配置もこんなものだった。
机の位置、棚の位置、二十年近く前に、父親と初めて訪れた当時と、何も変わらなかった。
砦の中は戦場となり、武器や爆破の瓦礫が散乱していた。
外ではそれらを片付けているのだ。
喧騒な様子が部屋の中まで伝わってくる。
此度、兵として志願した有志の中には、様々な職を持つ平民もいた。
その者達の技を生かせるだろう。
梅長蘇、蒙摯、戦英と、この砦戦の分析をしていた。
向こうの大将の性格や、戦術。
赤焔事案から十数年、その間に、新たに重用された将もいる。
そんな大渝の情報も掴んでいた。
今後に備えて、重要な事だった。
やがて、黒服の、軽装備の男達が三名、部屋に入ってきた。
さも強そうな、眼光鋭い男だった。
張副将と、御林軍の配下二人だった。
砦を奪還する為に、御林軍の副将とその配下のほとんどを、景琰は手配してくれたのだ。
景琰もまた、腕に覚えのある武人なのだ。
皇帝を守れる自信からか、、、いや、それだけではなく、一番の難局の梅嶺に、幾らかでも助けられる事は助けてやりたかったのだろう。
そしてそれは、梅長蘇にとって、これ以上ない、助けとなったのだ。
勿論、景琰の皇太子冊封を、快く思わぬ者もいる。
そういった者に、気付かれる前に、御林軍の中身を、金陵に帰してやらねばならなかった。
「良くやってくれた。」
恭しく拱手する張副将に、拱手で返し、蒙摯は張副将を労った。
張副将が、梅長蘇に視線を移す。
長蘇も、何か労いの言葉をかけるのだろうと、側で見ていた藺晨は思っていた。
だが、梅長蘇は何も言わず、視線を合わせ、微笑んで頷くだけだった。
そして張副将は、分かったというような表情になり、ただ頷き返しただけだった。
これだけなのに、何か大切な会話でも交わしたかのような、そんな雰囲気があった。
藺晨は、景琰に何か書簡などの言伝は無いのだろうか、そう思ったが、何も無く、彼等はただ、蒙摯に労いの言葉をかけられただけで、それだけで部屋を去っていった。
何とも、皇太子とて、発覚すれば面倒になるだろうに、終わってしまえば何も無い。謝意位あれば良いのに、味も素っ気もないものだった。
、、、、言葉では無いのだろう。
互いに分かっているのだ。
作品名:梅嶺 弐───再会─── 作家名:古槍ノ標