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不幸少年と幸運E英霊の幸福になる方法7

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 気が逸る。早く、早く、と意識ばかりが駆けていきそうになる。実体になっているこの身が重いと感じている……。
 アーチャーは、困惑して口元を片手で覆った。
「私は…………何を?」
 これでは、凛の言ったことを体現しているようなものだと項垂れる。が、足は止まらない。
 目的の部屋の前に着き、一つ深呼吸をして自身を落ち着ける。どうにか、とアーチャーは引き手に手をかけ、そっと障子を引いてハッとする。
 ぼんやりとした士郎が布団の上に座っていた。首筋に残る赤い鬱血の痕がやたらと艶めかしい。それを己が付けたのだと思い至れば、ぞわぞわと下腹あたりが落ち着かなくなる。
「っ……」
 こく、と喉が鳴ったのを聞き咎められてはいないかと、身が縮む。
「っ、……マスター?」
 気を取り直して、呼びかける。アーチャーの声に驚いたのか、びく、と肩を揺らした士郎が顔を上げた。
「ぁ……」
 アーチャーを認め、半端に開いた口をそのままに、士郎は固まってしまったように動かない。
(これは、どう取れば……)
 士郎の反応を測りかね、アーチャーは何を言えばいいかと思案する。だが、とにかく、と障子を閉めて、アーチャーは士郎の傍らに膝をついた。
「身体は、問題ないか?」
 やはり、一番に訊ねるのは体調だろう、とアーチャーは判断した。その問いに士郎は数度瞬き、こく、と頷く。どうにか会話はできると踏んで、アーチャーはさらに一歩踏み込む。
「その……、悪かった、調子に……乗ってしまった……」
 ぴく、ぴく、と士郎の頬が引き攣れ、
「あ、うん、平……気、」
 掠れた答えが返ってきて、少し息をついた。
 体調の確認が済んだら、無茶をしてしまったことへの謝罪。
 間違いではない一歩だと思ったのだが、士郎の反応がいまひとつわからない。
 正直、アーチャーはこういう時に、何を言うべきなのかわからなかった。身体の関係だけを持った相手と会話をすることなど遠い彼方の記憶の中にもありはしない。
 今、士郎の身体が辛そうに見え、その状態に追い込んだのが自分自身であるなら謝るべきだと思い謝罪したのだが、それが正解なのかどうなのか、士郎の反応を見てもわからないし、その上に、どんな顔をすればいいかもわからない。
「その……、だな……」
 言葉に窮した。
 昨夜のことを謝って体調を伺えば、士郎はぎこちない返答を返してきた。これは予測できた事態だったので問題ない。問題は、その後。予想と違い、士郎は真っ直ぐにアーチャーを見つめてくる。ぼんやりとしているが、琥珀色の瞳は己を映している。
 士郎はこちらを見ようとはしないと思っていた。きっと、以前のように距離を取って接するだろうと思っていた。
 なんといっても、必要のない行為をしたのだ、士郎としてもいたたまれないと思っているかも知れず、アーチャーを見つめることなどない、と……。
 絶対にそうだとタカを括っていた。だから、余計に動揺する。
「っ……」
 くら、と眩暈を覚えた。何に対してか、など考える余裕もない。そして、アーチャーは言い様のない衝動に駆られる。
(私は、何を……)
 その頬に触れ、口づけたい。
 熱が内側から溢れそうな気がした。無性に欲しくなるこの情動は、と考えようとして、琥珀色の瞳に映る自身がひどく猥雑なものに見えた。
 恐い、と思った。
(何もかもを見透かされているようで……)
 己が今にもむしゃぶりつきたい、などと思っていることに感づかれてしまいそうで、アーチャーは目を逸らした。
「喉を痛めたな……、少し潤わせて、お、おい?」
 士郎が立ち上がる気配を感じ、アーチャーは慌てて手を伸ばして支える。士郎の膝はがくがくと震えていた。まだ立てる状態ではないと傍目にもわかる。
「寝ていろ、まだ、動くのは、」
「ご飯、作らないと、もう、夕方だろ?」
「もうできている。凛と桜が用意してくれた。マスターは、」
「でも、みんなが、いて、」
「皆、帰宅した。マスターの身体を気遣ってな。だから、お前は寝ていればいい」
「…………わかった」
 腰が抜けたように座り込んだ士郎は、やはり無理をして立とうとしたのだろう、素直に布団に横になった。
「どこか、痛むところはあるか?」
 掛け布団を整えながら訊けば、
「腰、痛い……、腕と脚も、あと、指先も、痛い……」
 ぽつり、ぽつり、とこぼれていく声にアーチャーは、ふ、と微笑(わら)う。少しバツの悪さを感じたのか、士郎は背を向けてしまった。
 そっと、その背に触れて撫でていき、アーチャーは士郎の腰をさする。
「気持ちい、い……」
 小さな声が聞こえて、アーチャーは笑みを深める。
「間違ったサーヴァントの使い方だな」
「取説なんて、ないクセに」
「常識的に考えて、だ」
「非常識な存在じゃないか」
「それもそうだな」
 うつ伏せた士郎は顔を向こう側に向けたままだ。面と向かっては無理だが、こんな軽口を叩くようなやり取りができることに、アーチャーは少しほっとした。



(どう……すべきか……)
 アーチャーは、士郎と並んで洗濯物を取りこみながら音にもならないようなため息をつく。
 士郎とは恙なく過ごすことができている。
 あれ以来、聖杯の作り出した黒い影は出てこない。
 士郎の夢にも出てこないようなので、士郎の言っていた通り、ただの器になったのかもしれない、とアーチャーを含む関係者たちは胸を撫で下ろした。
 そして、アーチャーは、士郎といろいろな話をするようになった。料理のことや家事のことなどを士郎の方から相談もしてくるようになった。あの行為の直後は、居心地悪そうにしていたが、日を追うごとにそれは薄れ、今は士郎とは普通に会話ができている。
 ただ、アーチャーは士郎とまともに向き合うことができない。
 内面的なことではなく、その言葉のままの意味で“向き合う”すなわち、しっかりと顔を見合わせる、ということができない。
 だからといってアーチャーは士郎を無視するわけではなく、話す時には斜になっているか、どこか他のところを見ているかして応対している。士郎とは本当に向き合う格好ではないというだけで……。
 アーチャーとて、どうにかしなければ、と思っている。端から見ればおかしな感じだろうし、ともすれば、士郎に失礼だろうと指摘されかねない。
 だから、いつも用事をしながら士郎と話をしている。我ながら姑息な手段だと思わなくもないが、士郎には“自分を見ていない”とは思わせたくない。
(見られない、とは……、いったいどういうことだ……)
 自身に呆れてしまう。
 アーチャーは、士郎を見たくないのではなく、見ていられないのだ。
 顔も見たくない、などというつもりは全くないために無用に傷つかれても困る。したがって、アーチャーには、何かしらのカムフラージュが必要だった。それが、何か用事をしながら、というようなことになっている。
(仕方がないだろう……)
 心で言い訳をする。
 面と向かってなどいれば、アーチャーは手を伸ばしてしまいそうになるのだ。それは、時と場所を選ばず起こる衝動だった。