白い闇4
「隊長!大丈夫ですか!?」
グッタリとするアムロを心配気に覗き込むジェリドに、小さく笑みを浮かべる。
「…ジェリド…すまない…迷惑を掛けた…」
「そんな事!」
「お前は…怪我とかしていないか?」
「俺よりも隊長の方が!」
「俺は大丈夫だよ…このくらいじゃ死なない…ジェリドは大丈夫か?」
こんな状態でも部下である自分の身を案じるアムロに切なさが込み上げる。
「隊長!俺は大丈夫です!だから隊長は自分の身をもっと案じて下さい!」
「そうか…良かった…。俺は…いいよ…」
安堵の言葉を呟くと、そのままアムロは意識を手放した。
「…隊長…!」
腕の中のアムロを、ジェリドはギュッと抱き締める。そうしなければ、この儚い存在が消えて無くなってしまいそうだったから…。
――――――
『気持ちいい…』
眠る自分の髪を、誰かが優しく梳いてくれている。その手の感触が心地良くて、微睡みの中、その温もりに身を委ねる。
髪を梳いていた手が、ゆっくり移動してそっと頬を撫でる。少し熱が出ているのだろう。頬に触れた手が冷たくて気持ちが良い。
「ん…冷たくて…気持ち…いい…」
「目が覚めたか?気分はどうだ?」
優しく自分に問いかける声に、アムロの意識が徐々に浮上していく。
「…熱…い」
「ああ、傷のせいで熱が出ているからな」
まだ目の覚め切らないアムロは、その冷たい手に頬を摺り寄せる。
「君がこんな風に甘えてくるなんて珍しい」
声の主がアムロの頬を撫ぜながら話すのを、アムロは虚ろな意識の中で聞いている。
『誰…?何故だろう…この手の温もり…ホッとする…』
アムロはゆっくりと瞼を上げると、頭上の人物へと視線を向ける。
そこに居たのは、いつもは軽く留めているブルーグレイの長い髪を下ろしたシロッコだった。
シロッコはアムロと視線が合うと髪をかき上げながら優しく微笑む。
「シロッ…コ…?」
この男のこんな優しい顔など見た事が無かったアムロは、まだ覚め切らない虚ろな意識の中で不思議なものを感じる。
『こんな穏やかな顔…初めて見た…』
そして、無理矢理番いの契約を結ばれたにも関わらず、オメガの本能が番いとなったこの男を求める。自分に酷い事をした男なのに、心から憎む事が出来ないのだ。
「傷口が開いて酷い出血だった。今はゆっくりと休むがいい」
尚も優しく髪を撫ぜる手を温かく感じる。
「こ…こは…?」
「ドゴス・ギアの私の部屋だ。ジェリド中尉から報告は受けている。良くやった」
「あ…」
その言葉で、自分がアーガマに潜入し、グリプス2の起動コードを書き換え、カミーユ・ビダンの情報を持ち帰るという任務を遂行した事を思い出す。
そう、戦友であるブライトとシャアを自分は騙し、裏切ったのだ。そして…正気を失い、多くのクルーを傷付けた。
アムロはゆっくりと両手をシーツから出すと、両腕に残る手錠の痕を見つめて唇を噛み締める。
『俺は…誰も殺してはいないだろうか…』
「念のためにとジェリド中尉に薬を持たせて正解だったな」
「俺が…薬を投与しないと正気を保てないと…知っていたのか?」
「ああ、ニュータイプ研究所の者が来た時に聞いた。そして薬も預かった」
「…貴様…そろそろ薬が切れる事を知っていて俺をアーガマに送ったのか?こうなる事を見越して!?」
俺が暴れればアーガマ内に被害が出る事を知っていて!?
「…偶然だ」
ニヤリと笑うシロッコに、それがこの男の思惑通りだったのだと気付く。
「貴様!!」
怒りがこみ上げ、殴りかかろうと起き上がろうとして、傷口の激しい痛みにシーツへと突っ伏してしまう。
「痛っくっ」
「無理をするな。かなり暴れた様だな。傷口が酷い事になっている」
「…貴様が…そう仕向けたんだろうが!」
「そうだな。しかし少し後悔している」
「後悔!?」
「ああ、大事な君の身体を危険に晒してしまった」
「何が大事だ!貴様にとって俺などただの道具だろうが!?」
「そんな訳がなかろう。君は私の番いだ」
アムロの顎に手をかけて上向かせる。
「番い?ただの性欲処理道具の間違いだろう?」
「おかしな事を言う。君だけが私の子を成せると言うのに」
「はっ!何が子供だ!貴様の子供など誰が!」
「……気付いていないのか?」
「は?」
ボソリと呟いたシロッコの言葉はアムロには届かなかった。
「…いや、何でもない」
「大体、貴様は何がしたいんだ!」
アムロの問いに、シロッコがクスリと笑う。
「別に大したことではない。このくだらない内乱を終わらせたいだけだ」
「終わらせる?貴様は煽っている様にしか見えない!」
「ブレックス・フォーラの様に大した勢力も持たずに真っ向から立ち向かって理想論を唱えるだけでは世界は変わらんよ。それはシャア・アズナブルも同じだ」
シャアの名にアムロがピクリと反応する。しかしシロッコは少し視線を動かしただけで何も言わず、話を続ける。
「木星から帰ってみれば連邦軍内で内乱などバカバカしくて呆れたよ。ジャミトフ程度の俗物が世の中を支配しようなどと、よく言ったものだ。大体バスクの様な愚かな男を使うから要らぬ反感を買う」
シロッコの言うことは尤もだ。ジオンの残党が小さな抵抗をしていたのは確かだが、それを口実にスペースノイド全体を弾圧し、アースノイドだけが選ばれたものだとして世界を支配しようとしたのだ。おまけにその手段としてバスクによる毒ガス攻撃などの過激な行動をとった事により、スペースノイドの反感を激しく買って泥沼と化した。更にその隙を突かれ、ハマーン・カーン率いるネオ・ジオンの介入まで許し窮地に立たされている。
戦力自体は圧倒的にティターンズの方が勝っていると言うのにだ。
上に立つものによってこうも簡単にこのバランスは崩れる。
しかし、シロッコがティターンズを指揮する事により、おそらく形勢はまた変わるだろう。この男はそれだけの力を持っている。
「私の手でティターンズを立て直す。選ばれし者が支配すれば世界は変わる。その為には愚かな者たちを排除しなければならん。それこそが世界の平和に繋がるのだ」
方法や考え方に偏りはあるものの、この男もまた世界の安定を目指している。行き着く先はエゥーゴと同じなのだ。
ただ、その方法と極端な理念に問題があるが…。
それに、この男には決定的に何かが足りない。人としての何かが足りないのだ。
しかし、こんな男だとわかっていても、番いとしての繋がりがこの男を突き放せない。
憎いのに離れられない。心の何処かでこの男を求めてしまう。心の底から嫌いにはなれないのだ。
アムロはそんな葛藤に苛まれながらも、結局はこの男の元に、ティターンズに戻ってきてしまった。その事に深いため息を吐くと、ゆっくり目を伏せる。
解っているのだ、この男は一生を共にする伴侶なのだと。この男が死ぬ時は自分も死ぬ時だ。身体は生きていたとしても、心は死んでしまうだろう。それがオメガの宿命だ。
「アムロ・レイ、君は私の側に居ろ。私の隣こそが君の居場所だ」
シロッコはそう言いながらアムロへと口付ける。アムロもまた、それを受け入れた。
それが変わりようのない自身の運命だと解っているから…。
「今日はここでゆっくり休め」
「…でもここは貴方の部屋だろう…貴方はどうする?」