MEMORY 序章
見ているだけの水色と啓吾が立ち疲れてきた頃、一護が躓きよろける。
「おっと。」
態勢を戻せず座り込みそうになった一護の腕を掴んで浦原が掬い上げると、一護は息を切らせていた。
「一先ず休憩を入れましょ。」
「…は…い……。」
浦原はそのまま一護の体を抱き上げて運ぶ。そこへ、雨がお茶の道具を持ってくる。
「キスケさん。テッサイさんが、そろそろお茶にしませんかって………。」
「ああ。ありがと。雨。丁度良いタイミングだ。」
雨に続いて現れたジン太が地面にシートを広げた上に、浦原は一護を下ろしてやる。続いてテッサイがバスケットを抱えてくる。
「本日の茶菓子はパウンドケーキでございますぞ。黒崎殿は食べられますかな?」
「………まだ、無理ぃ。」
ゼイゼイと息を切らせたまま呼吸が戻らない一護に、水色も啓吾も呆気に取られている。動いている間は、一護は汗こそ掻いていたものの、息など切らしていなかったのだ。
浦原は苦笑して、よっこらせ、と爺臭い掛け声と共に一護の傍に腰を下ろし、一護の頭を膝に乗せてやる。
「黒崎殿ご提案のパウンドケーキですぞ。」
「種類は?」
「マーブルとフルーツとブランディーですな。」
「じゃ、マーブル残しといて。ブランディーなら浦原さんも食べられるんじゃね?」
「左様ですな。頂いたレシピはかなり甘さを抑えた物でございましたから。」
「何、テッサイ。黒崎サンのレシピなの?」
「左様でございます。」
「じゃ、貰おうかな。」
浦原とテッサイがブランディーを、水色と啓吾とジン太がフルーツを、雨が一護と同じマーブルを選んで、紅茶に添えて食べ始めた頃、一護が漸く体を起こした。
「黒崎さん、どうぞ。」
雨が取り置きしていたマーブルのパウンドケーキが載った皿と、紅茶のカップを一護に渡す。
「サンキュ、雨。」
「砂糖要ります?」
浦原の問いに、カップに口を付けた。
「ん~、……ミルクちょうだい。」
浦原がミルクポットを一護に渡してやると、一護は少量を落としてスプーンで搔き混ぜ、香りを確認して口に含んだ。満足そうに眼を細める一護に、浦原も一護を真似て少量ミルクを落としてみる。すがしい香りが柔らかく包まれて舌に広がる。
「茶葉がフラッシュなんだね、テッサイさん。」
「流石は黒崎殿ですな。」
「一護、紅茶に詳しいの?」
「詳しい事はないよ。フラッシュは前にも出して貰った事があるから覚えてただけ。」
テッサイが満足そうに頷く。
「店長などは覚えていても下さいませんぞ。」
「良いんじゃない? テッサイさんの料理は何でも美味しいって事さえ理解ってれば。」
「そうそう。」
一護に援護されて浦原が力強く頷く。
「店長………。」
「でも本当に美味しいよね。フルーツ・パウンドケーキに使ってるドライフルーツも、そこらで売ってるような物と違うみたいだし。」
「テッサイさんは基本的に、作れる物は全部自分で作っちゃうからね。」
「自分で……って、ドライフルーツも?」
「作りましたぞ。フルーツ自体は殆ど購入しましたが。」
サングラスを掛けた強面の大男は、見掛けに反して家事全般が得意なのだろうか。水色と啓吾がそんな事を考えているとは思いもしないのか、一護はテッサイと料理のレシピについて話を始める。
ケーキを食べ終わった一護の肩を引き寄せ、浦原は自分の膝に一護の頭を載せさせる。浦原の手が優しく一護の髪を梳いていると、テッサイとの会話が段々あやふやになってくる。
「小島サン。」
「え? はい?」
浦原に声を掛けられるとは思ってもいなかった水色は反応が遅れた。
「今から三十分ほどしたら教えて頂けますか?」
「良いけど?」
言われて時計を見ると三時半になっている。
浦原は羽織を脱いで一護の体に掛けてやる。見ると一護は浦原の膝を枕に眠ってしまっている。眠ってしまった一護が冷えないように羽織を掛けてやったのだと納得し、水色はふとシートの下から冷たさが這い上がってこない事に気付く。まじまじと撫でたり擦ったりしてシートを眺めていると、浦原が可笑しそうに目を細めて水色を見た。
「どうかしました?」
「あ、いえ。このシート、地面の冷たさを伝えてこないな、と思って。」
「ああ。断熱素材なんスよ。黒崎サンが此処での修行中の休憩時間に眠ってしまう事があって、体を冷やさないように作ってみたんスよ。花見の時のシートにも使い回しが出来て便利ッスよ。」
へらりと笑ってみせる浦原の目元は、帽子に隠れて見えない。
「今年もこのシート、花見に使ったっけなぁ。」
「みんなでお弁当囲んで楽しかったです。」
雨が楽しそうにニコニコ笑う。
「花見、ねぇ。黒崎サンがうちに出入りするようになって、花見にも行くようになったんでしたっけ。」
「……珍しいですね。」
「桜の季節に改めて出掛ける事をしなかっただけッス。部屋から桜見えるんスよ。」
話しながらも浦原の指は優しく一護の髪を梳いている。
「一護は浦原さんを武術の師匠だって言ってましたけど、それにしては懐いてますよね。」
「………御父上の古い知り合いなんスよ。」
「へぇ。それって男だと思ってない、安全パイくらいに思ってるって事か?」
啓吾が、一護と親しい男の存在が払えると目論んで口を挟むと、浦原は苦笑する。
「………可能性は低くないんスよね。」
浦原が困ったように溜息を吐くと、水色が啓吾を振り返る。
「浅野さん? 僕は、初対面の大人の人に対して失礼な口を利くような輩を、友人に持った覚えないんですけど?」
「敬語嫌~っ!」
「今日知り合ったばかりの分際で、一護のプライベートに踏み込み過ぎだよ、啓吾。」
一護は浦原の膝を枕にして俯せ気味に横になっている為、その顔を覗けるのは丁度良い位置にいる水色だけだ。浦原が羽織を掛けてやった時、一護がひどく安心したような顔をした事に気付いているのは水色だけなのだろう。
四時になった事を浦原に知らせると、浦原は一護を起こした。
「黒崎サン、起きて下さいな。続きしないんスか?」
「ん。」
浦原が一声掛けただけで一護は目を覚まし、体を伸ばした。羽織を浦原に返した一護は、シートから降りて靴を履くと柔軟体操を始めた。
一護が起きると、全員がシートから降り、ジン太が雨と一緒に素早くシートを畳み、テッサイが空になったバスケットにカップや皿を収める。ジン太が畳んだシートを、お盆にポットを載せて雨が、テッサイがバスケットを抱えて立ち去る。
身軽に梯子を登っていく三人を見送っていた水色と啓吾が振り返ると、一護も浦原も手に刀を握っていた。
「え………?」
驚いている二人を無視して、一護と浦原は打ち合いを始めてしまった。それは剣道とは程遠い、刀での真剣勝負のようにルールなどないらしい。但、真剣を使っていても怪我をさせる心算はないらしく、お互いに寸止めにしている。膂力差の所為だろう。刀を合わせる時、浦原が片手で剣を揮うのに対し、一護は両手で刀を握っている。
動きの速さは、先程までの截拳道の時と同じほどで、拳を合わせる代わりに剣を交えているだけ、といった様相を呈している。
「なんかさー……」