MEMORY 序章
啓吾がぼつりと口を開く。
「一護って、ゲームキャラみたいな事やってねぇ?」
「確かに運動神経が半端なく良いみたいだね。」
「截拳道っていうのは護身術としてはやり過ぎだし、剣道……じゃねぇのか、剣術か。そんなもん、今の日本で必要な事とも思えねぇんだけどなぁ。」
「一護の進路希望に拠るんじゃないかな?」
「進路希望?」
「例えば、警察官希望なら、犯人逮捕とかの場面では強いに越した事はないよ?」
「そんなもの、警察学校に進んでからでも身に着けられるんじゃねぇか?」
「じゃあ、海外で生活する事を希望しているならどうかな?」
「海外ったって、普通に生活する分には、截拳道は兎も角、剣術なんて要らねぇじゃん。」
「啓吾。」
「なんだ?」
「君も有りがちな、危機管理意識の薄い日本人なんだね。」
「は?」
「海外は、場所に拠っては只歩いているだけでも強盗に殺されるかも知れない所もあるんだよ?」
「えぇ?」
まさか、と顔に書いた啓吾に、水色は溜息を吐く。
「自己防衛は自己責任、なのが海外での生活に必要な基本概念だよ。」
会話しながらも、水色の意識は隣の啓吾ではなく、目の前で真剣を交わす二人に向いている。
一護の動きを見ていて、水色は気付いた事がある。今日の入学式で、上級生に絡まれて、一護と茶渡が助けてくれた時、一護はかなりの手加減をしていたという事だ。これだけ広い空間を浦原共々走り回っている一護が蹴りを使っていれば、上級生はもっと早く片付いていたに違いない。
延々と続く剣戟に、啓吾が岩陰に靠れて居眠りを始め、水色も流石に立ち疲れてきた頃、ジン太が降りてきた。
「おーい、店長~、オレンジ頭~! そろそろ夕飯出来るぞぉ。」
メガホンで声を掛けるジン太に気付いて、二人の動きが停まる。
「水色~、今何時~?」
「え、あ、七時になるね。」
三時間近く延々と剣を交わしていた二人に、水色は内心で呆れる。しかも、二人とも息が上がっていないのだ。
「あの速さで走り回ってて息も乱してないって、どういう体力なんだよ、二人とも。」
啓吾がぼそっと言う。水色も同感だった。
「三時間くらいじゃ息上がんなくなりましたね。黒崎サン。」
「お陰様で。」
「で? 今日は勝てたのかよ、オレンジ頭?」
揶揄うようにジン太が問うと、一護は眉間に皴を寄せた。
「取り敢えず、一本取られてないだけ上等だろ。」
ぶすっとした声で返す一護に、ジン太が目を瞠る。
「マジ? 店長、手加減でもしたのかよ?」
「寸止めにするっていうルール以外、手加減してないッスよ。それだけ黒崎サンが腕を上げたって事ッスね。」
「ほえ~。そういや、オレンジ頭、今日は泊まっていくのか?」
「そうしたいのは山々だけど、明日も学校あるから無理だな。」
「朝トレしてんだから、その時間に帰れば良いじゃねぇか。」
「鍵持ってきてないって。ピッキング出来なくないけど、通報されたら騒ぎになる。」
「黒崎サン、食事の前にお風呂入ってきちゃどうッスか?」
「着替えがないんだけど。」
「大丈夫ッスよ。テッサイが黒崎サン用の浴衣縫ってくれてるっスから。」
「じゃ、借りる。先行くね。」
水色と啓吾に声を掛けて、一護はさっさと梯子に取り付いて上がっていってしまった。
「何っ⁉ あの速さっ!」
「馴れッス。」
「だな。三年も続けれりゃ速くもなるさ。」
「三年?」
「中学上がった頃から続けてるからな。此処での修行。」
「ジン太。」
水色の質問に、躊躇なく答えるジン太の名を浦原が静かに呼ぶ。ジン太ははっとして慌てて口を塞いだ。喋り過ぎだ。
「小島サン、浅野サン。先に上がって下さいな。」
「あ、ああ、はい。」
「あれを登るのかぁ。」
梯子に取り付く前から、啓吾は疲れたような声を出している。
ジン太はさっさと上がっていった。
水色と啓吾が漸く上まで上がると、そこにはメガホンを持ったジン太が待っていた。
「おー、お疲れさん。無事に上がってこれたな。」
「な、なんとか、ね。」
息が上がって顔を引き攣らせている水色と声も出ない啓吾を横目に、ジン太はメガホンで下に向けて声を放った。
『店長~! 二人とも無事に上がってきたぞ~!』
「了~解~。」
二人がその場にへたり込んでいると、いくらもしない内に浦原も上がってくる。
「⁉」
「どっ、どうなってんだよっ⁉」
あまりの速さに、水色も啓吾も信じられない物を見る表情になる。
「お、二人とも無事に上がってこれたんだな。」
浦原の所業に呆気に取られている二人の後ろから声が掛かる。振り返った視界に入ったのは、臙脂色の地にピンクや白の桜の花弁が散る図柄の浴衣に薄い緑の帯を身に着けた一護だった。
「おや、似合いますね、黒崎サン。」
「浴衣地は浦原さんが選んでくれた物だって、テッサイさんから聞いた。ありがと。」
「どういたしまして。それじゃ、アタシも埃流しだけしてきますんで、先に食べてて下さいな。」
「ん。」
浦原が風呂場へ向かうのを見送って、一護は水色と啓吾に向き直った。
「お疲れさん。梯子上がるの大変だったんじゃね?」
「大変だったけど、まぁ、自分で降りたんだしね。」
肩を竦める水色に、一護はふと口元だけを緩めた。
「テッサイさんがあんたらの分も作ってくれたから、ご相伴に与れば?」
言って促す一護に、水色と啓吾もスニーカーを脱いで座敷に上がり込んだ。店の奥のすぐにある茶の間は然して広くもない部屋だが、中央に置いてある卓袱台の上には所狭しと料理が並んでいた。
「ごめんね、テッサイさん。余分な手間掛けさせて。」
「いえいえ。黒崎殿が食卓に着いて下さると、店長が食事を楽しんで下さいますからな。」
水色と啓吾の乱入は予定外もいいところの事態だったが、テッサイは厭う素振りもなかった。雨と一緒にテッサイの配膳を手伝う一護は、この場に随分と馴染んでいる。
一護の入浴時間と、水色と啓吾が梯子を登りきる時間も計算してジン太に夕飯の予告をさせたテッサイの読みは大当たりで、配膳が終わるのと埃を流しだけで風呂を出てきた浦原が席に着くのが粗同時だった。
「あら、丁度良いタイミングだったみたいッスね。」
「豪華だなぁ。」
「美味しそうです。」
ジン太が感心した様に言い、雨が嬉しそうにしている。
「店長が、昼に寝ていらっしゃらなければ黒崎殿の入学祝を昼にしようと思っていたのですが、生憎起きていらっしゃらなかったものですからな。」
気ままな睡眠時間の浦原に嫌味を言って、テッサイは浦原の隣に座る一護と、その隣に並んだ水色と啓吾の前に小ぶりの鯛のお造りを置いた。
「うわっ、テッサイさんてば、豪華!」
「実は、頭と尾は三匹ございますが、身の方は全部はありませんのです。」
眉を下げるテッサイに、一護はくすりと笑う。
「うん。お吸い物と酢の物に使ってるでしょ。」
「お見通しですか。」
水色と啓吾の乱入があった所為で他に行き渡る筈の分が減ったに違いない。水色は気付いたが、啓吾はまるで気付かなかった。
「さぁさ、食べましょ。」
「「「「いただきます。」」」」
「いただきます。」