MEMORY 尸魂界篇
一護は、真面目に路を歩いたり駆けたりするよりも、現世でヤンキーから逃げ回っている時の手段を使う事にした。つまり屋根の上を逃げる方法である。
懐から黒いスカーフを取り出して頭を包み、前後左右を見て人影がない事を確かめて屋根に上がった。
屋根の上にも死神はいるだろうが、平死神に囲い込まれて身動きが取れなくなるのは鬱陶しい。
何処から来られても支障がないように、霊圧の鎧を纏いながら屋根上を走り抜けていった。
霊圧探査が苦手なのは“一護少年”と変わらないので、茶渡の霊圧は判るものの、岩鷲や雨竜や織姫の霊圧を探るのは、一護には簡単な事ではなかった。夜一については最初から諦めている。
各隊詰所の位置は正確に把握は出来ないが、夫々に広い敷地を持っている筈だから、詰所を避けて進めば良い筈だ。
肝心なのは、大勢出動している十一番隊を熨して回る事よりも、ルキアを助けたいと思っている山田花太郎の確保だろう。
考えながら屋根の上の散歩を決め込んでいると、方向的には見当外れな方向で花火が上がった。
「岩鷲………。」
あまりに違う方向で、一護はがっくりと膝から崩れ落ちた。
だが、兎に角岩鷲と合流出来る方へ行かなければ、花太郎とは会えない筈なので、一護は溜息を吐くとそちらへ向かって屋根の上を軽々と駆け出した。
岩鷲に近付くと、茶渡の霊圧が自分の方へ向かってくる事にも気付いた。“一護少年”はこの時点で十一番隊の平隊員達に追い掛け回されていて、茶渡の接近に気付けなかったのだろう。
一護が花火の元を目指した足を停めずにいると、大勢の気配が小路を走って行く。
流石に人数が多過ぎて、岩鷲一人であしらうのは荷が勝ち過ぎると判断した一護は、屋根伝いに先回りして壁越しに岩鷲の様子を窺える位置に降り立つ。
様子を窺っていると、エネルギー体の接近に気付き、咄嗟に晶露を発動して近付いたエネルギー体を包んだ。
すんなり晶露に収まったエネルギー体は茶渡の力で、人混みを掻き分けて前に出て来た花太郎を岩鷲が掴んだのを見て取り、一護は茶渡の力を閉じ込めた晶露を手にした儘に二人の下に降り立ち、二人を掴んで跳び上がる。
「「「「「あっ⁉」」」」」
平死神達が掴み掛る直前で空いた空間に茶渡の力を入れた晶露を投げ入れた一護は、直後に断空を張りその上に二人毎降り立つ。
足の下で茶渡の力が爆発し、屍累々の状態になった。
「今のうちに逃げるぞ!」
一護は声を掛け、花太郎を掴んだ儘の岩鷲の腕を引っ張った。
「こっちです。」
花太郎が声を掛け、地面に敷かれた石畳を持ち上げて地下水路への入口を開いた。
地下水路に入って少し歩いてから、一護は頭に巻いていたスカーフを解いた。
「山田花太郎と申します。」
「「返って覚え難い。」」
「ええっ⁉ どうしてですかっ⁉ 皆さん、覚え易いと言って下さいます!」
岩鷲と揃っての突込みに、花太郎は情けなさそうな表情で反応した。
「太郎と花子がくっついたみたいな名前で、混乱しそうだな。」
「そうそう。」
「そんなぁ…。」
「まぁ、冗談は兎も角。」
「冗談なんですか⁉」
花太郎の素直な反応にも構わず、一護は腕を組んだ。
「十一番隊の連中、四番隊って言ってたよな。」
「あ、はい。僕、四番隊第七席です。」
「四番隊?」
「救護・後方支援専門の隊だ。」
「よく御存知ですね。」
「無知の儘で敵地に乗り込むのは自殺行為なんじゃねぇの?」
溜息を吐きながら、一護は呟くように言う。
「尸魂界の住人である俺ですらろくに知らねぇのに、現世の人間であるお前が何でそんなに知ってんだよ?」
「……帰ったら空鶴さんに訊けば?」
「姉ちゃんは知ってんのか?」
「まぁなぁ。」
一護は溜息混じりに呟きながら、ガリガリと頭を掻いた。
「そういや、なんでこいつ、連れて来たんだ?」
岩鷲が今更気付いたように花太郎を指差しながら一護に訊いた。
「四番隊なら、補給路でもあるこの地下水路の造りを熟知してんじゃねぇかと思ってさ。」
「あ?」
「花太郎。懺罪宮四深牢への近道、教えてくれないか?」
一護の視線が真っ直ぐ花太郎に突き刺さる。
「懺罪宮四深牢って、朽木ルキアさんですか?」
やはり花太郎はルキアに懐いていたらしい。
「そうだ。弁解の余地もなく処刑が決定されたらしいな。冤罪で殺されるってのはあんまりだから、助けに来たんだよ。」
固い決意が窺える一護の眼差しに射抜かれた花太郎は、首振り人形のように頻りに頷いた。
「あなたの事はルキアさんから伺いました。黒崎一護さん。」
岩鷲が目を丸くする。
「どうか、ルキアさんを助けてください。」
花太郎の眼にも、静かな決意が浮かんでいた。
ルキアとの馴れ初めから今までを話す花太郎に、岩鷲は黙って聞き入った。
ルキアは一護の運命を捻じ曲げたのは自分だ、と語ったという。
要らぬ負い目を感じているのだと知れた。
あの日、処刑される為に連れ戻されようとしていたルキアを引き留めもしなかった一護に、感謝と贖罪の意識だけを残して処刑の日を待っているルキアを、何が何でも助けなければ、と思う。
「ルキアは優し過ぎるからな。」
ピタリ、と足を停めて、一護は呟いた。
「あ?」
「え?」
「ルキアは優し過ぎて、負わなくても良い筈の負い目まで、自分で負おうとする。自分より強い筈の者をさえ守る為に、自分が傷付く事を厭わないんだ。」
一護は、一心から聞き出した従兄・斯波海燕の顛末を思い出しながら呟いた。
「黒崎さん?」
「一護?」
「……尊敬してやまなかった上司が虚に憑りつかれた時、虚に乗っ取られて自分の手で仲間を傷付けたくはないからと懇願されて、ルキア自らの手でその上司を殺めたそうだ。」
「「!」」
振り返った一護の瞳に感情は浮かんでいない。
「現世駐在になった初日にうちに虚が出て、私の霊圧に晦まされて出遅れた所為で、対応を誤ったんだ。」
「そりゃあ、死神としちゃあ未熟……。」
「現世の人間で、死神の姿がまともに見える奴なんてそうそういるもんか。」
突込み掛かった岩鷲をピシャリと黙らせる。
「言ったろ。ルキアは無実だ。それなのに処刑される事を受け入れてるのは、あいつ自身が生きる事を望んでないからだ。」
「死にたい奴を助ける事ぁ、ねぇんじゃねぇのか?」
「逃げてんだよ。あいつのそんな弱さを許す気はない。」
一護の目は厳しい。
「ルキアが上司を手に掛けたのは、上司を傷付ける為じゃない。上司の心を救う為だ。上司は感謝して逝ったそうだぞ。それなのに、生きようとしないのは、上司に対する何よりの裏切りだ。」
黙り込む岩鷲と花太郎に、一護は真っ直ぐな視線を向ける。
「死に逃げる方が楽だろうさ。けど、あいつが手に掛けた上司は、ルキアが生きる事を望んだんだ。だったら生きる事こそが、何よりの贖罪だ。どんなに苦しくても、石に噛り付いてでも泥水啜ってでも生きるべきだろうが。」
作品名:MEMORY 尸魂界篇 作家名:亜梨沙