MEMORY 尸魂界篇
花太郎が岩鷲の負った傷を治し、一護の掠り傷を消して休んでいる頃、漸く一護が刃禅を解いた。
「一護さん。」
「一護。」
目を開けた一護に、花太郎も岩鷲も駆け寄る勢いで声を掛けた。
一護の瞳が、常もの蜂蜜色ではなく青味を帯びた炎のように燃え立っている事に気付いて、花太郎は息を呑む。
「……修業、してらしたんですか?」
「………ん。私の斬魄刀は手厳しくて、副隊長如きに掠り傷でも負わされるなんて情けない、とか言って叱られたよ。」
「……副隊長如き……って、副隊長なんて僕から見たら雲の上なんですけど………。」
「そうか? 私は現世の生き人だからな、死神の地位なんざ何の関係もないな。」
「………。」
一護の態度は、物を知らない者故の怖い物知らずにしか見えなくて、花太郎は危惧する。
一護は、顔を顰めている花太郎に、内心を読み取って笑う。
一護には、花太郎を非難する気はない。
花太郎や岩鷲の眼には、物知らず故の怖い物知らずに見えていても、一護は知らなくて平然としているわけでも、内心の恐怖を隠しているわけでもないのだ。
鍛錬に体が付いて行けるようになるまで一人でトレーニングを続け、成長途中ではあっても効率良く鍛える為の知識を持つ浦原を頼って鍛錬を続けたのは、いずれ訪れるだろうこの日々を見越しての事だ。
浦原と顔を合わせた時には既に『覚悟』は出来ていたのだ。“記憶”と違って女の子である自覚もあったので、体に傷跡が残るような羽目にはなりたくなくて、ルキアが連れ戻される時に死神化して白哉の前に現れるような事はしなかったが、それは敵わないから、という意味と同義ではなかったのだ。
「一晩経ったか?」
「あ、はい。」
不審を抱きながらも一護の質問には端的に応えてくれる花太郎に、一護は唇に笑みを浮かべる。
「一護。これからどうすんだ?」
「出来れば夜一さんと連絡を取りたかったんだけど、無理かな。」
「遅うなってすまんかったの。」
何の気配もなかった位置に、黒猫の姿がある。
「夜一さん!」
「お主の頼まれ事は済ませて置いたぞ。」
「おっ。サンキュー、夜一さん。忠告聞いてくれた様子か?」
「さて、どうじゃろうな。儂に出来るのは伝える事までじゃからの。」
「それはそうだ。兎も角、ありがとう。」
喋る猫に腰を抜かしている花太郎の姿を見つけた夜一が、尋ねるように一護を振り返る。
「四番隊第七席の山田花太郎、だってさ。十一番隊に囲まれた時巻き込まれそうになってたんで連れて来ちまったら、『ルキアを助けてくれ』って言うからさ。」
「ほう?」
一護と会話をしながら、ゆっくりと歩み寄ってきた夜一は、胡坐を掻いた一護の膝に乗る。
「六番隊牢に囚われていた間、ルキアの牢の掃除と食事の担当だったらしい。」
「なるほどの。信ずるに値すると、お主は判断したわけじゃな。」
「当然。『旅禍如き』にスパイを送り込む必要性を、護廷が感じてるとは思えないからな。」
「……確かにのう。」
一護がしれっと言った言葉に一瞬息を呑んだ夜一が豪快に笑い出す。
一頻り笑った後、夜一は息を吐いて一護を見上げた。
「これからどうする心算じゃ、一護?」
「それより、護廷の方で何か起きたりしてないか?」
「……重大事が起きとるようじゃな。」
「……“奴”が死にでもした?」
「! よう判ったの。」
夜一の答えに、一護は眉を顰めた。
「その伝達が行き渡れば、旅禍に対する対処は捕獲に変更になるな。」
「まぁ、そうじゃろうが。それまで皆が大人しくしている保証はないのう。」
一護は意識を集中して同行した仲間の現在の様子を探った。それだけに集中出来るなら、一護も知る者の霊圧を追える。
茶渡の霊圧は集中しなくても探れるが、他はそう簡単にはいかない。
一度対峙した者なら肌が覚えているが、織姫も雨竜も霊圧操作が上手い分、普段は隠すように沈めているから余計だ。
茶渡はどうやら、一護と遭遇しようと図っていたようだが、それが儘ならないと真っ直ぐ突き進み始めたようである。その儘真っ直ぐ進めば八番隊舎に出くわす。副隊長なら兎も角、それ以下の死神では茶渡の相手にはなるまい。八番隊隊長は京樂春水だ。此処まで人物については記憶との相違はなかった。ならば、京楽も副官の伊勢七緒を前線には出すまい。京樂自身が茶渡の相手をするなら命まで奪う事はしない筈だ。
「夜一さん。」
「なんじゃ。」
「姫は石田と一緒だよな?」
「そうじゃ。」
「他は兎も角、姫の能力って、あの気狂い科学者が興味持つ逸材じゃね?」
「……そうじゃの。」
「石田にとっちゃ、目指すじーさんの仇でもあるしな。」
「……そうじゃの。」
「石田に伝言、頼む。他は捕獲しようとするけど、涅だけは命の保証がないって。」
「……お主はどうする心算じゃ?」
「……一角に言われたんだ。」
一護が夜一から視線を逸らしながら口を開く。
「『うちの隊長は弱い奴には興味がねぇ、強い奴が狙われる』って。」
「よもや自分が一番強いなぞと嘯いたわけではあるまいな?」
怒りオーラを滲ませた夜一を横目でちらりと見て言う。
「一番強い人は逃げるのも隠れるのも上手くて、更木じゃ見つけられないって言った。」
「一護………。それはお主にお鉢が回ってくる事を承知の上じゃという事かの?」
一護はガリガリと頭を掻きながら、ちらりと夜一を見る。
「更木剣八は、無意識に霊圧調整して、勝てるぎりぎりの霊圧で戦う奴だってさ。」
「なんじゃと?」
「私にも勝てる見込みがないわけじゃないって事。」
「一護。」
「賭けには違いないけどさ。幸か不幸か、私はまだピークじゃないんだよ。」
「一護………。」
「流石に、無傷は有り得ないから、石田に伝言済んだら早々に戻って来て貰えると有り難いけど。」
「………承知じゃ。」
一護がほっとしたように小さく笑みを浮かべる。
「俺もその更木って隊長と………。」
「無理だ。」
「! てめっ……一護っ!」
岩鷲が申し出るのを、一護はあっさり一蹴した。
「莫迦言ってんな。恋次の霊圧にすらビビってた奴が、更木剣八を前にまともに動けるか。」
「んなっ!」
「……一護の言う通りじゃな。」
溜息を吐きながら夜一が言い添えると、岩鷲は勢いを削がれて黙る。
「僕達はどうしたら………。」
花太郎が言い難そうに口を開くと、一護は息を吐いた。
「夜一さん。」
「なんじゃ、一護?」
「浦原さんと夜一さんで造った隠れ家の内、護廷にバレてない場所ってあるか?」
「おお、いくつもあるぞ。」
「……双殛の丘の近くには?」
「……あるの。」
「なら、花太郎と岩鷲は双殛の丘の下に行っててくれるか?」
「近くと言うても……。」
「丘に通じる道から離れてるよな?」
「! そうじゃ。」
「ならバレない。」
「ルキアさんを助けるんじゃないんですか⁉」
趣旨の見えない会話に、花太郎がとうとう声を上げる。
「言ったろ。ルキアを連れ出すだけじゃ助けた事にはならないんだ。ルキアを処刑しようって意思そのものを砕かないとな。」
「んな事出来んのかよ?」
作品名:MEMORY 尸魂界篇 作家名:亜梨沙