桜恋う月 月恋うる花
広間では朝食の膳は既に片付けられ、試衛館出身の幹部達は一度は部屋に戻ったらしいけれど、夫々の行動に出る前に斎藤さんから招集が掛かったみたい。千鶴ちゃんの姿だけない。
「幹部には話した」
「では、行動ですね」
「待てよ。平隊士に気付かれないようにここを出るなんて出来るわけねぇじゃんか」
口を挟んできたのは平助君。
和麻さんが綾乃や煉と一緒に現れた時の事を覚えていないのかしら。
この人は本当に行動が先んじるんだね。説明してあげないといけないのかしら。
チロリと視線を向けると、土方さんは眉間に皺を寄せている。
「平助、君、彼らが現れた時の事、覚えてないの?」
沖田さんが呆れたように口を開く。
「は? え?」
キョトンとしている平助君に、原田さんが手を伸ばして頭をくしゃりと撫でる。
「神矢が誰もいない庭に声を掛けたら、三人が突然現れたじゃねぇか」
「あ、ああ。そっか……え? じゃあ……」
「姿を消せるんだろうね。どういう方法か知らないけど」
沖田さんが、くすりと笑いを漏らして肩を竦めた。和麻さんに視線を向けるとうんざりしたように顔を逸らしている。
「山崎を待たせておくか?」
「それだと監視が疎かになりましてよ? 山崎さんを和麻さんが最初に運んで、そこへ綾乃と煉を、次いで私と千鶴さんを運んで貰うのが最良、かと」
和麻さんを見ると面倒そうに眉を顰めている。
「積極的に協力して下さるなら、無事に帰れた暁には別報酬払いますわよ。和麻さん?」
「一件に付き百万……」
「お帰りになりたくないと?」
和麻さんを遮って口を開く。一瞬眉を顰めたが、和麻さんはいかにもという深い溜息を吐いて譲歩した。
「十万だ。それ以上は負けねぇぞ」
「余分な事はその額で。必須はその半額にして下さいね」
にっこり笑ってゴリ押し。和麻さんの反論は封じてしまう。和麻さんが苦虫噛み潰した表情になってるって事は、取り敢えず了承してくれた証ね。
「話は付いたようだな」
土方さんが眉尻を下げて苦笑を隠そうとするような表情で問う。和麻さんが小さく溜息を吐いて天井を見上げる。
「監察方の山崎ってな、天井裏にいるあんただろう。降りて来い」
「和麻? 何を言って……」
綾乃の疑問の声が終わる前に、部屋の隅の天井板が一枚外れて青年が下りてくる。
呆気に取られる綾乃と煉に、私と和麻さんは揃って呆れた視線を向けた。
「二人とも修行不足です。完璧に気配を隠していたわけではないのですから読み取りなさい」
「あたしは和麻みたいに気配を読むのは得意じゃな……」
「綾乃」
綾乃の体がピクリと跳ねる。
「生きて帰りたいならこの程度の事はこなせるようになりなさい。この時代で貴女の〝力”を派手に使うわけにはいかないのだから」
「……はい」
しおしおと綾乃が小さくなる。
山崎さんを観察していた和麻さんが息を吐く。
「面倒だからな。山崎さんといったか? 三人纏めて外へ連れ出すぞ。履物を持て」
綾乃と煉に千鶴ちゃんから借りておいた草鞋を持たせ、山崎さんに視線をやると、彼も準備万端のようだ。障子を開けて辺りを窺うが誰の気配もない。和麻さんを振り向いて頷くと、和麻さんは綾乃に煉を抱き込ませて腰を抱え、山崎さんの腕を掴んで姿を消す。
予想通り大声を上げようとしていた平助君と永倉さんの口を塞ぎ、遠去かる四人の気配が消えてから二人の口を放した。
「驚いたからといって一々声を上げないで下さい」
冷たい一瞥をくれて言い放ち、土方さんに視線を向ける。
「斎藤、千鶴を呼んできてくれ」
「御意」
言われて斎藤さんが向かったのは厨の方向。朝餉の後片付けをしているのね。
斎藤さんに連れられて千鶴ちゃんが広間に現れる。
「お呼びですか、歳兄様」
ふわりと、千鶴ちゃんが常もの癒される笑顔で小首を傾げる。
「いつの間にかここにいた、では平隊士の手前困るのでな。一旦屯所を出て神矢君と一緒にここを訪れた事にして貰いたい」
用向きを口にしたのは、局長の立場上か近藤さん。困惑して土方さんに向けられた千鶴ちゃんの視線に応えたのは土方さん本人。
「そうだ。少々訳ありでな。綱道さんが行方不明というのは新選組にとって都合が悪い。今までお前に知らせてやれなかったのもその所為だ。密かに探していたんだが、これ以上隠し通すのは無理がある事が判明してな。上に報告するに辺り、お前の身柄は新選組で預かって於きたい。協力してくれないか?」
「え、でも、新選組は女人禁制では……」
困惑を深くした千鶴ちゃんに、土方さんは渋い顔をしている。
「千鶴さんは土方さんを兄様呼びしておられるので、平隊士の手前は土方さんの親族という事にしては如何です? 私が近藤さんの親族で。隊士になれなくとも、そうすれば新選組預かりの立場を取れるのではありませんか?」
「……千鶴には悪いが男装して貰って、近藤さんなり、山南さんなりの小姓にでもすればいいか」
土方さんが呟くように言うと、近藤さんが目を輝かせる。
「うん、それがいいだろうな。流石は歳、名案だ」
「じゃあ言いだしっぺって事で、土方さんの小姓に」
沖田さんがつるりと口を挟む。
「「「賛成」」」
続いて土方さん言うところの三馬鹿が口を揃えた。
「え? ちょっ……待てっ!」
土方さんが慌てるが、話はトントン拍子に進められていく。
「土方君に預ければ安心です」
山南さんが爽やかそうな笑顔で駄目押しをする。
土方さんの反論を聞いていると話が進まないから、ここは無視する方に協力しておく方が得策ね。
「そういったお話は、まずは平隊士に見つからずにここを出て改めて訪れた形を整えてからにしましょう」
和麻さんの気配がしているけど、姿を現さずに済ませる心算みたい。
「千鶴の履物は?」
話を振ると、千鶴ちゃんが反応する。
「あ、はい。何故か理解りませんでしたけど、斎藤さんに言われて持ってきました」
流石は斎藤一。使える男は状況判断力も確かね。
「じゃ、私も自分のを」
昨夜脱いだ草履を懐に入れておいて正解だったわね。草履を引っ掛けて庭に降り、千鶴ちゃんを手招きで呼び寄せる。不思議そうにしながらも寄ってきた千鶴ちゃんを抱き込んだ次の瞬間、和麻さんの力を感じた。驚いた千鶴ちゃんが悲鳴を上げないように慌てて口を塞ぐ。ふわりと体が浮き上がり、驚いて目を丸くしている千鶴ちゃんの耳元で囁く。
「静かに。折角姿を隠しているんだから。声を上げて発見されたら元も子もなくなる」
体が空中に浮く恐怖心から固くなっているけど、千鶴ちゃんは大人しくこくりと頷いた。屯所の周りの塀を楽々と越え少し進んだ所で、ゆっくりと体が地上に降りる。
ほっと息を吐いた瞬間、綾乃、煉、和麻さんに気付いて僅かな警戒心と疑問が千鶴ちゃんの顔に浮かぶ。
「千鶴。私の従妹の綾乃」
紹介されて綾乃が千鶴ちゃんに頭を下げる。
「綾乃の夫君で、親族でもある八神和麻さん」
和麻さんが眉を顰める綾乃の表情にくすりと笑ってから、千鶴ちゃんに会釈する。
「和麻さんの弟の煉」
「初めまして」
作品名:桜恋う月 月恋うる花 作家名:亜梨沙