桜恋う月 月恋うる花
にこりと煉に屈託のない笑みを向けられて、千鶴ちゃんもふわりと笑顔になる。
「平隊士の手前、いつの間にか屯所にいた、では困るから、これから貴女と一緒に屯所を訪ねる予定の顔ぶれ」
「これから?」
「そう。こちらの山崎さんは新選組の方で、近藤さんの親族の私が繋ぎを取ったという建前」
片目をパチンと閉じて千鶴ちゃんに向けると、千鶴ちゃんが目を丸くする。
さて、と。ここから屯所まで歩いても然して懸らないわね。
「さて、ここから屯所までは然して懸らないわ。歩いていきましょう。山崎さん、先導をお願いします」
「……承知」
山崎丞という人も言葉の少ない人だわね。沖田さんの軽口の反動で、土方さんは無口な人を側近に置きたくなっているのかしらね。
山崎さんの先導で屯所に着いた私達は、彼の案内で幹部の待つ広間へ通された。
「これで千鶴さんが新選組の屯所に身を寄せる口実は整いましたね。早々に会津の松平公に使者を出す必要がありますけど、駆け引き出来ます?」
土方さんと山南さんに視線をやると、二人は力強く頷いた。
「近藤さんが矢面に立たなくちゃならねぇんだが、近藤さん、神矢が授けてくれた知恵、使えるよな?」
「勿論だ。本来なら綱道さんが行方不明になったすぐに報告したかったんだからな」
近藤さんのこういうところは卑怯なのよね。おおらかで真っ正直だけど、自分だけが正しい事をしていればそれで許される立場に甘んじているんだから。本気でみんなを守ろうという気が薄い。こういう人を立てるには、土方さんも山南さんも汚れ仕事が出来ないくらいに潔癖なのに、自覚が薄いから荷が勝ち過ぎてしまう。
「で、千鶴さんの処遇は土方さんの小姓として、私達はどうなります?」
私達が戻るまでの間考え続けていたらしく、土方さんの眉間の皺が随分深い。
「その前に、散々大口叩いたんだから、腕前見せてほしいんだけどね」
沖田さんが舌なめずりする獣のような眼をして口を開いた。
「総司」
咎めるように名を呼ぶ土方さんを無視して、沖田さんが刀を立てた膝に抱えて私を直視する。
沖田さんの食いつくような視線に、土方さんは深い溜息を吐いて諦めたらしい。沖田さんばかりでなく永倉さんや原田さんの思惑がその辺にある事を、山南さんも理解っているのか苦笑を浮かべている。
まずは沖田さんの戦意を喪失させないと話を進める事も出来ないと判断したのか、土方さんは深い溜息を吐いてこちらに視線を向けてきた。
私は苦笑して和麻さんに向き直る。
「どうします、和麻さん?」
和麻さんは面倒臭そうに一瞥しただけで返事をしない。
苦笑して和麻さんに話を振る。
「腕前披露は必須ですよ。私が雇った用心棒、なんですから」
くすりと笑いながら言うと、和麻さんは苦虫を噛み潰したような顔をする。
「大した事ではないでしょう? 貴方の腕なら〝力”を使わなくても幹部相手に負けない筈ですもの」
「……お前な。どうしてそう煽るんだ」
和麻さんが頭が痛いというように額を抑えて呟く。
「勿論、久し振りに和麻さんの剣捌きを見たいから」
語尾にハートマークを付けてにっこり笑顔で言い切ると、和麻さんは驚いたような表情で私を凝視する。
和麻さんが厳馬伯父様に厳しくしごかれていた頃、極偶に時間があった時に母に頼まれて和麻さんが私の相手をしてくれた事があった。だから和麻さんは私が一族の力を持っていない事を知っていたし、私が選りにも選って水の力を持っていた事を初めて知った一族の人間は和麻さんだ。
和麻さんは諦めたように溜息を吐いてそっぽを向いた。
私達のやり取りに綾乃が眉を顰めているが、和麻さんと私が関わっていた頃は、綾乃は他の一族の者同様に和麻さんを物の数でもないと考えて歯牙にも掛けなかった頃なんだから、不満を持たれても、ね。
「話は決まったね。道場へ行く?」
沖田さんの語尾に音符が付いてる。楽しそうねぇ。
「確か、壬生寺の本堂を道場代わりに使っているんでしたっけ?」
土方さんの視線が鋭くなる。だから、一々そんな事で睨まないでほしいわ。
本質を見極める能力もなしに組織を率いていけると本気で思っているのなら、新選組が愚直な態度を貫く誠実さを持ちながら嫌悪される存在になったのも道理だわ。
これじゃあフォローが大変。先が思いやられるわ。
作品名:桜恋う月 月恋うる花 作家名:亜梨沙