今桜詰め合わせ
夜は左手がつれてくる
今吉さんは夜が好きだと言う。
夜は何も見えないから。全部隠してしまうから。悪いことしてもバレへんやろ?セックスすんなら夜やし。
―――なんて、彼は頭の悪い男のふりをしていたけれど。赤い夕暮れが群青に呑み込まれてゆく様を見ながら、ぼんやりとそのことを思い出す。 悪いことをすることが前提なのがなんとも彼らしいなって僕はその時、そんなどうでもいいことばかり考えていた。星が瞬く。
彼は全てを隠してしまう夜の居場所を知っているのだ。
気がつけば、もうあたりが暗い。ベッドに寝ている自分は、はて、今まで何をしていたのだっけ。
寝すぎたのだろう、鈍く痛む頭を抑えながら、ゆるゆると起き上がる。自分の部屋ではない。でも、知っている場所だ。 よく、とてもよく知っている場所。空気が、香りが、風景がいつの間にか、すっかり自分にも馴染んでしまっている……―――
「起きたか?」
柔らかい声。首を回すと、ソファに座ったまま振り返ったところの今吉さんと目が合った。
―――そうだ、ここ主将の家だ。
「すみません、ああああ、あの、僕・・・、」
「ワシはなーんもしてへんで」
今吉さんは投降を呼びかけられた犯人のように手を顔を横に掲げて、ついでにひらひらして見せた。
「強いて言うなら、お前が満員電車乗ってきて勝手に『僕がいるせいでみなさんの寛げるスペースが狭くなってすいません!』 って加害妄想でくったくたになりながらウチ来たさかい、ちょいベッド貸してやっただけや」
「ああああああ……」
思い出してみればなんてことはない、いつもの悪癖だった。しかもなんという一人相撲。空回り感。
「すいません!すいません!」
「ええよ別に、いつものことやし、寝ろ言うたんワシやし」
今日は時間もあるしな、と彼はテレビに視線を戻した。金曜夜九時からのドラマがもう終わりかけていた。
(もうすぐ十時…)
僕は申し訳なさでいっぱいになった。そうだとしたら、まるまる二時間、今吉さんを待たせていたことになる。
卒業を間近に控えた今、今吉さんたち三年生にはもう登校の義務はない。週に一度くらいは登校日を設けてあるらしいが、 それ以外は進学や就職の準備に充てる期間なのだという。普通の生徒はこの期間に自動車学校に行く生徒が大半だというが、 今吉さんはまだ行っていないみたいだった。というのも、学校への登校義務がなくなった今吉さんが「会えんと寂しいからな〜」という名目で 前にも増して僕を自宅に招くようになり、僕にも今吉さんの生活リズムが馴染んできているから、分かることだ。 朝と夜どちらかのシフトで、適当にバイトはしているみたいだけど、僕の下校時間だけはいつも開けて家にいるみたいだった。
「あの、」
「んー?」
「…すいません」
「せやからええって。……隣座るか?」
今吉さんが少し面倒くさそうな顔をしたので、慌てて口を噤んで彼の隣に陣取る。今吉さんはテレビを消して、僕の目蓋にキスをする。
「良、」
恭しく僕の右手を掲げる彼の左手。いつだってあなたは悪いことを考えてる。
(―――今夜もきっと、悪いことするんだろうなあ…)
悪魔の唇は、いつだってあまい。だから僕は、共犯になることも厭わない。
(2010-02-25)