棘の役割
リハビリを進め、支障なく動けるようになった頃にまたあの男が来た。
気づいたらひっそりと部屋に居て、静かに笑いかけるのだ。
「もう退院できるそうですね」
「早耳だな」
今日担当医と話して決まったはずなのに何故か本田は知っていた。
訝しく思いつつも荷物をまとめる為にベッドへと近づく。
「貴女の部署は変更になります」
「何故それを?」
今のニホンでは目立つことこの上ない“着物”を着ている時点でこの男が軍に所属しているわけではないことが判る。
かといって、Rabitにも関係は無いはずだ。
その割りに上層部しか知らない話を知っていて、上に顔が利く。
そのくせ外見はどこまでも若く見える。
怪しむなという方が無理だ。
「私が指示したからですよ」
「何だと!?」
「ニコルプロジェクトは頓挫しました。集められた子達も兎園に行くことが決まっています。貴女にはニコルプルミエの追跡をしてもらいます」
私が拘束され、入院している間に目まぐるしく変わった状況。
そして、命じられた内容。
驚きを隠すことは無理だ。
「頓挫したはずなのに、何故nを追う!」
「頓挫したからです。彼は殺しすぎる。もしこの先何かあったら責任はCFCが負うのですよ」
どこまでも正論だ。
人権の侵害を責められてもおかしくないプロジェクト唯一の成功例。
そして殺人兵器。
それに逃げられたのがバレればここぞとばかりに日興連に漬け込まれるだろう。
その上、もし、もしだ。nが日興連に組すれば、たぶんCFCは壊滅するだろう。
それを考えれば追わずに居ることは出来ないのだ。
「貴女は誰よりも彼の近くに居た」
「あぁ……」
そう、思っていた。
「ならば、彼の望みも判るはずです」
「……nは、」
疲れていた。
絶望していた。
あの綺麗な目に光がなくなったのはいつだったろうか。
誰よりも自然や動物を愛していたのに。
「すぐに見つからないことは理解の上です。その間に貴女が何をしたいのか考えるといいでしょう」
そういって辞令の書かれた封書を懐から取り出し、差し出してくる。
それを残った左手で掴むと、本田はニコリと笑った。
「私はいつでも貴女方の幸せを祈っているのです」
「どういう……」
「ふふ……それでは失礼しますね」
そのまま病室を出て行く凛とした背中を見送る。
カサリッと音を立てる手の中の物が彼の存在を確かなものだと伝えた。