棘の役割
冷たい筈の雨すら感じなくなった。
流れ続ける血は止まることを知らないらしい。
「な、ナノ……」
傍らに座り込み、涙を流す女を霞む目で見つめた。
何故、泣くのだろう。
自分は満足しているのに。
もう少女ではなくなった、懐かしい面影を湛えた彼女は選んだ。
その道がどんなものかは知らないが、あの男もまた、選んだ。
それで良かったのだ。
少女が望んだのだから。
俺の寂しさに気付いた唯一が望んだのだから。
だから、泣かないで欲しい。
涙を拭いたくても、動かすことすら出来ない。
だから、泣かないで。
「え、ま…」
微かに破壊音が聞こえる。
軍の侵攻が始まったのか。
「は、やく……ここか、ら…去れ」
「イヤだ!」
下手をすれば殺されてしまうのに、美しい顔を歪めて、首を振る彼女をどうしたらいい?
死んで欲しくはない。
少女と同じく、彼女も唯一だから。
同一であるが故の唯一とまったく違うが故の唯一。
どうしたら、と考えていると足音が聞こえた。
「どうしたいんですか?」
「……本田?」
エマが不思議そうにその男を見上げていた。
はじめて見る白い装束は雨に濡れ、無残だ。
「……に、ほん」
「はい、なんでしょう」
「エマを……逃がして、やってくれ…」
「ナノっ!!」
エマが叫ぶ。
その声は悲痛と言えばいいのだろうか。
「……エマさんを逃がせばいいのですね?」
「そう、だ」
「イヤだ!もう、お前を失うのはいや……」
パシャと水音がして、体を抱きかかえられた。
「エマさんはご自分で動けますね?」
「に、ほん?」
「ちょっと動きますけど、死なないでくださいね?」
どこに行くのかは知らないが日本は走り出したようだった。
眼も開けていられない程に消耗した俺は途中で意識を失っていた。