棘の役割
ようやく体が動くようになった頃、日本が手合わせを、と言ってきた。
今までそんなことを言われたことは無かったから驚いたが、特に何も言わずに広い庭へと出た。
久しぶりに出た外は相変らずの曇り空だったが、ここはささやかではあるが緑が植わり、花を咲かせていた。
「エマさんが食事を作っている間に終わらせましょう」
そう言う日本の格好は着物という、民族衣装。
そんな動きにくい格好でいいのか?と聞けば、病み上がりですからハンデですよと笑われた。
ハンデを付けられたことが無いから色々な意味で新鮮だ。
適当に攻撃をすればいいのか、と殴りかかる。
普通なら肉にのめり込み、赤い鮮血が吹き出ているだろうに、日本はそれを受け止めると逆に捻り体を跳ね上げた。
ふわり、と浮く体を捻って着地すると同時に地面を蹴って飛び上がる。
しかし、それを見越したように掻い潜り、袖を引かれ地に押し付けられた。
小柄な体でも関節を捕られてしまえば動くことは叶わない。
これが敗北というものか、と呆気に取られた頭で思った。
「まぁ、これなら安心ですかね」
体の上から退いた日本がポツリと呟いた。
体を起こし、何が?と聞こうとすると同時にエマが食事が出来たと呼んだ。
「エマさんも料理がお上手になりましたね」
「そうか?」
「ええ。さしすせそも知らなかった頃を思えばとても」
「それは褒めているのか?」
どこで調達しているのか、味噌や醤油といった調味料から米、野菜、肉に至るまで日本の家には常備されていた。
俺が意識不明だった1週間の間、日本は無気力だったエマに料理を叩き込んだらしい。
曰く、木の皮をずっと食べさせるつもりなのか、と。
「所で、さっきのはなんだったんだ?」
「いえ、貴方の体がどこまで回復しているのかを確認しようと思いまして」
「何かしていたのか?」
さっきの格闘を見ていなかったエマが首を傾げる。
日本はそれを笑ってかわし、本題に入る。
「そろそろ、CFCと日興連にも決着が着きそうです」
「早い……」
「さて、どこかの赤い目をした誰かが優秀な副官と共に暴れまわっているそうですから」
「それは……」
少女と、彼女の選んだ未来。
それの断片を聞けば、胸がいっぱいになる。
今、どうしているのかは分からないが、まだあの男と居るのだ。
「そこそこに幸せみたいですよ?」
「それならいい」
見透かしたように付け加えられた言葉に返せば、エマがなんだか嬉しそうに笑う。
どうしたのか、と隣を見れば慈愛に満ちた笑顔で言った。
「お前が嬉しそうなのが嬉しかったんだ」
「……嬉しそう?」
「あぁ」
「ふふ、感情が徐々に戻ってきたんですね」
と日本も嬉しそうに笑った。
「それで、貴方がたはどうされたいのですか?」
「どう、とは?」
「nさんの体も癒え、ここに居る必要もなくなりました」
これから、どうしたいですか?ともう一度問われた。
エマと顔を見合す。
どうしたい、などと考えたことも無かった。
ただ、流れるままに、死を求めていただけだったから。
「追われる可能性は残っては居ますが、とりあえずお二人は死んだことになっているはずです」
「死んだ?」
「はい。血痕は致死量でしたし、軍が入り込んだ混乱に乗じて偽装した死体を用意しましたから」
つまり、公的に死んだことになったということ。
にやりと笑う日本を見つめる。
「言ってくだされば新しい戸籍も用意いたしますが、今の状況ではあってもなくても変わらないでしょう」
「そうだな……」
考える。
これからのことを。
己が何をしたいのか。
隣を見ればエマが物言いたそうにこちらを見ていた。
「エマ?」
「私は、ナノと生きていきたい」
「そうですか……nさんは?」
「俺は……生きてみたいのかもしれない……」
エマの言葉で心の奥で何かが揺れた。
それを掴もうとすればヒラリと逃げてしまう。
しかし、たぶんずっと前から眠っていた感情の切れ端なのだろうと思う。
独りで居たときには何一つ見えなかったのに。
「……俺は、アキラの選択を、見守りたい」
「では、エマさんと一緒に各地を回ってみればいいと思いますよ」
日本は本当に嬉しそうに笑った。