梅嶺 参 ───梅嶺ノ谷───
「、、、戦英はともかく、蒙摯は顔と態度に出るからな。蒙摯には特にお前の具合は教えられない、、そうだろ?。」
長蘇は、眉間に皺を寄せ、渋い顔をしている。
梅長蘇は、いつ、藺晨が口を出すか、内心、はらはらしていたのだ。
『頼むから今だけは言うな』、そう、強く藺晨に念を送っていた。
───通じていたなら良しだ。───
かつての藺晨は、そういった長蘇の望みをも、無下に一蹴する。
梅長蘇は、自分の体の事で、誰をも悲しくさせたくない。
自分が周囲に虚弱さは見せられない。見せれば皆が心配する。殊に蒙摯には、堂々と笑っていて欲しかった。それが、今の梁軍には必要なのだ。
───蒙哥哥に、心配気に気遣われるのは苦手だ。───
いくつも言い訳を探していたが、そもそもはそこだった。
藺晨が暴露するのは、自分の体を案じての事と、分かってはいるが。
調子が悪いと知れたなら、蒙摯あたりは気に病み心配し、それはたちまち、軍全体に広がるのだ。
だが、藺晨が正しいという事は、長蘇も分かっている。
長蘇の体が第一、国の事など、国の人々の事など、二の次なのだ。
『お前が消えるという事がどういう事か、お前は知られたくはないだろうが、知りたい、覚悟をしたい、残された刻を、大切にしたい者がいるのだ。残された者達は、その後どうすれば良いと。』
『残酷な仕打ちだ。』
そう言う。
───結局、私は、このようにしか進み様が無いのだ。
こうしか出来ないのに、結末も変わらぬのに、悲しませてどうする。
蒙哥哥だって、景琰だって、同じ立場なら、きっと私と同じ事をする。
、、、、霓凰だって、武人なのだ。
、、、分かってくれているはずだ。───
───、、、霓凰の涙は、、、。
、、どうしていいか分からなくなる。───
長蘇が、もっとも避けていた部分。
霓凰を、幾度も泣かせた、、、。
泣く霓凰の前では、毅然としていても、本心を伝える言葉一つ、出す事は叶わなかった。
霓凰が巻き添えにならないようにという心と、側から離したくない心とが混沌とし、、、、。
、、、いつもいつも、、、その場凌ぎだった。
霓凰は王族の流れを汲む穆王家に生まれ、雲南を守る武門の家の血を引き継いだ。
霓凰は、武人という人間を理解出来ていたが、藺晨には、無理だった。
武人という者は、都人とも、医者とも、考え様も生き様も違うだろう。
自分の命よりも勝る事が有るなどと、藺晨は、今まで理解してはくれなかった。
今日は蒙摯と戦英に、言わないでいてくれた。
この度、行軍して、藺晨の中で、何かが変わりだしたのだろうか。
いくらか離れた所にいた飛流が、二人の側まできた。
「哥哥、、??、、。」
不思議そうな顔をしていた。
ついさっきまでは、あんなに元気だったのだ。
元気な長蘇に少しずつ慣れてきたのに、また、動けない程具合の悪くなった長蘇が目の前にいる。
飛流を見ると、長蘇に笑みが零れる。
長蘇は、笑って嬉しそうにしている飛流が好きだが、これは飛流を安心させようと、無理に作り出した笑みでは無かった。
自然な、柔らかな表情だった。
薬が効き始めてきたのだろう。
その表情を見て、もう一度、藺晨が長蘇の脈を診た。
「さっきより、良くなっている。」
脈を診て、藺晨も安堵した。
さっきは、それ程、弱々しい脈だったのだ。
持ち直しはしたが、それでも、今朝、脈を診た時よりは、格段に弱い。
冰続丹がどれ程効くのか、そんなに頻繁に飲んでいるわけでも無いが、飲めば長蘇は無理をする。
更に冰続丹その物が、一時的、体力気力を回復させるが、本当に回復するわけでは無いのだ。むしろ、命を削ってしまう事になる。
長蘇の性格なら、破滅の道をまっしぐらだろう。
出来ることならば、飲ませたくは無い。
長蘇は勝手にこの冰続丹を、自分で飲んでいるのではないがと、一時は疑ったが、そうではなかった。
この瓶の感じからして、多分、これ迄飲んだのは三粒だけだ。
藺晨が「飲め」と言った時にしか、飲んでいない様だ。
長蘇も、自分の判断で飲むのは、限られた時間を、更に縮める事だと、分かっているのだろう。
無茶はするものの、勝手にあれこれ、他の薬を飲んだりはしていなかった。
長蘇は自分の身体を、藺晨に委ねているのだ。
「もう少し休めば、歩ける程度にはなるだろう。」
「ふふ、、私は、、良い、患者だろう?。」
「何を言ってる、無茶ばかりするくせに。治療する医者が優秀なのだ。天下一の医者だぞ。
なぁ?、飛流、医者が良いから長蘇は動けるのだ。そうだろう?。」
中々「うん」と言わない飛流にジリジリして、つい藺晨は飛流を睨んでしまう。
藺晨に、無理無理、同意を求められ、飛流は困り顔になっている。
「飛流。」
長蘇が助け舟を出す。
「蘇哥哥は、、良い、、患者だろう?。」
「うん。」
満面の笑みで、問いかけた長蘇に返事をした。
「!!!、、ぁあ??。良い患者??、誰がだ。」
飛流は藺晨に向き直って、
「蘇哥哥。」
そう、臆面もなく答えた。
「お前らときたら!!、お前の仕込みか?、長蘇。」
「、、私は何も、、言って、、ないぞ。」
長蘇は下を向いて、笑っていた。
長蘇の調子は良くなっているようだ。
「名医を欺けるなら、ゆっくりでも歩けるだろう?。
ここはどんどん寒くなる。砦に戻ろう。」
動けるならば、砦に戻った方が良い
あっという間に、日が落ちて薄暗くなり、あっという間にとんでもない寒さがくる。
そして漆黒の闇。
星空があればまだいい方だ、冬に向かう梅嶺では、一日中、晴れている日は少ない。
北の地は、恐ろしい程寒い。
暖かな地で育った藺晨には、この寒さは、想像した以上だった。
初めて知った事だった。
飛流と二人で長蘇を立たせた。
思った以上に力が回復して、長蘇は自分で立っていられるようだった。
これが冰続丹の効能なのだ。
口も利けぬ位に衰弱していたのに、たちまち回復をする。
藺晨は、この手の薬を、頻繁に飲み続けた者の末路をよく知っている。
頼まれて、良かれとその者に処方したのに、藺晨の言うことも聞かず、勝手に乱用して、命尽きてしまった。
飲めば若返り、動き続けられると勘違いしていた。終いには薬は効かなくなってしまい、こと切れた。
藺晨がその者に処方した丹薬には、これ程の回復力は無かった。
冰続丹の方が何倍も、何十倍も強力な薬効があるのだ。
それだけに、長蘇の体に、どれだけの負担と反動がくるのだろう。
藺晨は使う度に、強い不安に襲われた。
苦しい時に使って、動き続けるのではなく、飲んだら数日休ませる。
それ以外に、後々、来るだろう薬の害を、避ける方法を思いつかなかった。
幸い、ここ迄、二度、冰続丹を飲んだが、長蘇は藺晨の言うことを聞き、飲んだ後は、しっかりと休んだのだ。
長蘇はまだ、幾らか足元がおぼつかない。
両側から、藺晨と飛流に支えられ、一歩一歩、歩みを進める。
しっかりと立って居るように感じたが、違った。
思った以上に、悲しい程に、長蘇の体は軽い。
この軽さだから、一人でしっかり立っている様に感じたのだ。
まるで、残った命の重さのようだ。
「砦に着いたら、先ず休め。体を休める事が先決だ。」
「ああ、、、そうしよう。」
長蘇は素直に応じた。
作品名:梅嶺 参 ───梅嶺ノ谷─── 作家名:古槍ノ標