梅嶺 参 ───梅嶺ノ谷───
酷い具合だが、せめて数日、一切、軍務に関わらずに休めれば、ちゃんと回復できるかも知れない。
「だが、蒙哥哥と戦英と、少し話がしたい。」
━━━そらきた、長蘇の悪い病気だ。
素直にそのまま応じるわけが無いのだ。━━━
「横になって、、二人と話す。、、それならば大丈夫、、だろう?。」
「、、、、、駄目だ。誰とも話さず、横になっていてもらう。」
「、、ほんの、、半刻だけだ。、、体の負担には、、ならぬ。」
藺晨は足を止め、長蘇と飛流も、歩みを止める。
藺晨は長蘇を睨んだ。
「嘘をつくな。半刻で終わるわけが無い。なし崩しに延々と終わらぬではないか、いつもいつも。」
「本当に、、半刻だ。、、、半刻だけ。」
「今日はやめろ。今晩はゆっくりと休み、明日話せ。明日もあるのだ、今日にこだわるな。」
「大渝が、、そろそろ動き出すのだ。、、急ぐのだ。
、、、藺晨、、、なぜ、、分からぬ。」
『分からぬ』、そう言われて、藺晨は我慢していたものが、ふつと切れた気がした。
長蘇を支えていた手に、力が入る。
━━━お前は何が分かっているのだ!!。
お前こそ何も分からぬくせに、、、お前の体も、、、この体のこの先も、、私がどれだけ苦労しているのかも、、、。━━━
「、、、ぅ、、。」
余程、長蘇の腕を掴んでいた手に力が入ったのか、長蘇の顔が歪む。
藺晨には言いたい事が山ほどある。
互いが、どれだけ言っても、恐らく平行線だろう。
「、、、、、」
藺晨は苦々しげに、長蘇の腕から手を離し、振り向かずにそのまま、足早に一人だけ、先に歩いて行った。
「、、、蘇哥哥!。」
梅長蘇は、急に支えられていた手を離され、体勢を崩した。
飛流が支えたが、ゆっくりと膝を折り地面に手を付いた。
「蘇哥哥。」
飛流の声に藺晨の足が止まる。
藺晨は意地になっいて、長蘇の方を振り返ることは無かった。
━━━飛流が支えても、立っていられぬ程、弱っているのに、。
私を欺くために、軽口をたたいて、さも回復したように、、、。
、、、、、奴は、馬鹿か?。
アイツは国に利用されているのだ、しかもそれが本望なのだ。
私がどれ程、お前に心血を注いでいるのか。
それを全て無にするような事を、お前は平気でするのだ。
そして「仕方ないのだ」の一言で片をつける。
何が大梁帝国だ!。
苦しかった長蘇に、この国は何をしてくれた?。
そもそも、長蘇に苦しみを与えたのはこの国なのだ。
そして、今にも死にそうな病人に全てを背負わせ、国、永らえて、なんの意味が?。
また同じ状況になった時、梅長蘇はいないのだ。
その時、奴が命を灯して守り抜いた国は、あっさりと無くなるだろう。━━━
二人を振り切るように、また大股で歩き始めた。
藺晨は、そのまま先へ先へと進んで行く。
「藺哥哥、、、、。」
飛流は、藺晨の去ってゆく背中を見ていた。
「、、、、、蘇哥哥、、、、。」
行ってしまったよ、と、飛流は不安げに長蘇を見る。
「、、、大丈夫だ、飛流。」
梅長蘇は、幾らか疲れたような笑顔を見せた。
「良いのだ。」
そして、藺晨が足早に歩く、後ろ姿を見ていた。
───藺晨の足ならば、もうすぐ馬を繋いだ、あの岩陰に消えるだろう。
そして、蹄の音が、谷に響き渡る。───
「飛流、立たせてくれ。」
───軍や宮廷では、一個の命が見捨てられることもあり、また、下らない事の後回しにされる事もある。
太極の為には仕方が無いのだ。
武人の生き方は、藺晨には理解出来まい。
梅長蘇として、景琰を帝位に就け、私は、それで終わりだと、そう思っていたのだ。
何も、心患わせることも無く、後は残り火を灯すだけだと、、、。
それが、、、この梅嶺で、また、、、。
、、、、魂が震えた、、、林殊の魂が震えている。
この私は、姿、変わっても、骨の髄から武人なのだ。
、、、藺晨には、、分からぬだろうな。───
そのまま、藺晨は、梅嶺を下りるだろう、、長蘇はそう思った。
───藺晨が居てくれれば、心強いが、、、───
戦場は厳しい、藺晨だとて、命の危険に晒される、、。
無理強いは出来ぬ。
去る者を、引き止められぬ、、、、、、。
私は軍帥としての立場を全うし、大渝を阻まねばならぬ。
藺晨の言うことは最もだが、藺晨の言うことは聞けぬ。
私が今日倒れても、蒙哥哥や戦英、そしてこの梅嶺へと共に来てくれた戦友の為に、大渝を撃退出来るように、蒙哥哥達に、道標を置いてゆく。
この役目は、私の他は誰にも出来ぬ。
この梅嶺を知る、私以外には出来ぬ事なのだ。
そして、私に、明日は無いのだ。
今しか、、無い。───
飛流に助けられ、ゆっくりと立ち上がり、大きく息をすると、また歩き出した。
岩場のゴツゴツした、道とも呼べぬ様な道。
足元も悪く、何度か石に足を取られ、転びそうになりながら、進んで行った。
───よく、こんな道を歩いてきたものだ。───
ここへ来る時は、さほど難儀でもなく、歩いてこれたのだが。
飛流も、長蘇が転ばぬように、足元に気を使っている。
体に力が入らぬのだ。
───梅長蘇の体は、こんなにも非力で不便だ。───
馬を繋いだ場所までは、まだ距離はあるだろう。
───一歩一歩、歩めば目的を果たせる。───
今までだってそうだったのだ。そして果たした。
「、、、蘇哥哥、、、。」
飛流が立ち止まった。
「どうした??。」
どうしたのだろうと、飛流の顔を見ると、飛流は道の先をじっと見ているようだった。
何があるのだろうと、長蘇も飛流の視線を追った。
岩場の陰から、馬を連れた男が、こちらの方へと進んで来る。
藺晨が馬を連れて、こちらに向かっているのだ。
藺晨は、梅嶺を去るつもりなのだと思っていた。
そして長蘇が、永遠に辿り着かぬのではないかと、難儀していたこの道を、藺晨と馬は軽やかにやって来る。
「オ──イッ、難儀じゃないか。馬に乗れ。」
━━━どうせ、私が居てもいなくても、、コイツは死ぬんだ。━━━
本来の藺晨ならば、死んでいく奴の事など、どうでもいいのだ、、なのに、、、、。
情が移ったとでも言うか、、。
梅長蘇が死んでいく事は、決して藺晨の力不足では無いのだ。
今までに、そんな患者は散々いたのだ。そう、割り切ってきた。
ここまでも、何度も、長蘇の消え入りそうな炎を興し続けた。
長蘇以外の者ならば、患者本人の為に、恐らくここ迄の治療はしない。
生き続けるのは、長蘇の体が苦しい事なのだと、分かってはいるのだが、、、、放っておけない、、。
そして、本人も望んでいる、、、『頼む』と懇願までするのだ。
『成すべき事がある』、『時間が足りぬ』と、、患者は中々に欲深い。
梅嶺に来て、生まれ変わったかのように、きびきび動き、寒がる様子も見せない。
梅長蘇の病など、忘れるくらいに、、。
だが一方で、藺晨には、形の無い恐怖だけが募っていった。
━━━死ぬな、勝手に。━━━
藺晨は、これまで一人で、長蘇の命を背負ってきたのだ。藺晨の父親が治療をし、その後は藺晨が命の灯火を守ってきた。
━━━今更、お前を捨てて、南楚に帰れるか!!。━━━
死に急ぐ長蘇に腹が立った。
馬と藺晨は、長蘇の側まで来た。
「勝手に死なせるか!。死にたくても生かしてやるからな。」
作品名:梅嶺 参 ───梅嶺ノ谷─── 作家名:古槍ノ標