【弱ペダ】ヒタルヨル
巻島がそれに気づいたのか、一瞬動きを止めた。が、それまでがほんの小手調べとでも言いたげに、更に熱心に坂道へのキスを再開する。
苦しい……、けど、気持ち良い。きっと、巻島さんとだから。僕が巻島さんを好きだから。好きな人とだから。だからキスって気持ち良いんだ……。
恐る恐る、けれども明確な自分の意志で、坂道はこの行為を受け入れることにした。つまり、巻島に応えたのだ。それに巻島が驚いた様にまたふと動きを止めたが、坂道の熱心さに頤に添えた手を外して、坂道の身体をぎゅ、と抱き寄せた。
巻島さん。
人の体温をこんなに近くに感じるなんて、初めてだ。自分を抱きこむ熱い肌に、巻島の使っているシャンプーの匂いがする。その後から、巻島の体臭だろうか。何故だか芳しい匂いだと感じる。ずっと包まれていたい。そろりと坂道も手を巻島の背にまわして、いよいよ深く巻島とのキスに浸る。
ぼく……、こんな……、大変なことになってる……。
バタバタ、という気配とも足音とも判断つかない音がしたかと思うと、甲高い女子生徒の笑い声とともにバタン! と屋上の扉が開く音がした。巻島と坂道の体が図らずも一緒に、ビクンと震えた。
「邪魔が入ったな」
扉からすぐには見えない場所に座っていたこともあって、屋上に出てきた生徒達に自分たちがなにをしていたのか見られてはいないようだ。
「は、はひ……」
坂道は、そう返事するのが精一杯だった。
「小野田くん、大丈夫かいな?」
巻島との余韻が抜けず、午後の授業はずっと上の空だった。
「う……、うん……」
鳴子の心配そうな問いかけに、坂道は言葉少なに答える。ヘタに何か喋ろうとすると、色々ボロが出そうだったからだ。それに、巻島とのことを話しても良いものか、判断できなかった。自分だって始めは男同士、と言うことで随分悩んだのだ。
「坂道、自主練しすぎじゃないのか? 疲れてるんだろう」
「スカシ、割り込んでくんなや。ワイが今しゃべっとんねん! 小野田くん、疲れてるのとちゃうか?」
「俺が今言った」
今泉の言葉に、鳴子がなんやと? と睨む。坂道が一触即発と言わんばかりの二人を、まあまあ、と仲裁した。
「今日、練習オフだからな」
「お、そや。今日はゆっくり休んだ方がええで」
今泉の台詞を奪うように勢い込んだと思うと、鳴子がかっかっかと笑いながら背中をばしんと叩く。
「うん。鳴子くん、今泉くん、ありがとう」
坂道は辛うじてそれだけを答えて、背中に少しばかりの罪悪感を背負い荷物を抱えて教室を出た。正直に巻島と帰るのだと言わなかったせいで、やはりまだ友達を裏切っているような気がしてしまう。同時に好きな人と一緒にいられるのが嬉しい、という気持ちもあって、不安定に揺れる天秤のようだ。
総北高校ではすべての部活に「休日」が設けられている。全ての部活と言うことは、当然ながら自転車競技部も練習は休みである。
ひたすら走ってばかりのせいか、この日は通常の通学、及び日課の筋トレ以外の自転車に関わる活動は一切禁止、と言われている。当然のように毎年新入生からこの取り決めに文句が出る。部活以外にも朝、晩、休みの日ととにかく走ってばかりいる生徒達のうち、顧問であるミスターピエールが『休むのも練習の内デス』と言う言葉の段階で納得する者もいれば、そうでないのもいる。そんな彼らも、最終的には『敢えて触れないことで、自転車への気持ちをもっと高めなさい』と、我慢大会のような、若干気持ちが被虐的な方向へ傾いてしまいそうなお言葉を頂いて何故だか納得させられてしまう。
そんなワケで練習の出来ない今日は、前から巻島の家に遊びに行く約束をしていたのだ。
裏門を出たところで、巻島が既に待っていた。
「巻島さん、お待たせしました」
「ヨォ」
巻島が優しく微笑みかけてくれる。それだけで坂道はなんだか足元がふわふわしてくるような多幸感に包まれる。陽が傾きかけたほんの少しオレンジがかった陽射しに、巻島の髪が透けてキラキラと輝いているような気すらしてしまう。
――やっぱり好きだ。
そう何度思い知らされるのだろう。そう思う一方で、何度思い知らされても良い、とも思う。アニメだけが友達で友人のいない中学校時代。それがずっとこの先続くのだと思っていたのだ。それが、スポーツどころか運動部に入るなんて。ましてやそれで試合に出て、勝つことが出来るなんて誰が考えただろう。仲間や友達まで出来た。そればかりか、好きな人まで出来た上に、気持ちが通じてお付き合いまでするなんて。それでこんなに幸せな気持ちになってしまって、これから僕どうなっちゃうんだろう? なんて、一抹の不安も覚えるほどだ。
「行くか」
「はい」
二人は制服のズボンの裾を巻き込まないように捲り上げ、ヘルメットを被る。
二人とも自転車通学だから、『練習じゃありません』という言い訳を用意して走り出す。少しだけ、そう、ほんの少し遠回りするだけだ。普段の練習時間に比べたら、なんということもない距離だ。ミスターピエールが知ったら指示に従わなかったと怒られるかもしれない、そう思いながらも、巻島と二人で走る時間は何にも代えがたい。
加えて、二人だけの秘密、と言う秘め事めいた特別感が嬉しかった。
クライマーの二人ならどうしても向かってしまう峰ヶ山のふもとにあるパーキングで、二人とも制服を脱いで、予め着ておいたウェア姿になる。
『練習禁止』とは言え、寝ても覚めても自転車のことばかりという部員たちが素直にそれを聞くわけがない。恐らくミスターピエールもそれは百も承知だろう。だから部員たちが知恵を絞って『練習』にはならないけれど、それでも走らずにはいられない気持ちを多少発散しているのを見逃してくれてもいる。
だから、坂道と巻島も総北のレギュラージャージではなく、練習用のウェアだ。学校の名前が入ったジャージを着ていては、誰に見られるか判ったものではない。そこからミスターピエールに伝わったりすれば、顧問の指示を守らなかったということで問題になるだろうし、同時に彼の指導力を問われることにもなる。坂道たちが休日を守らなかったことで他の部活へ示しがつかないと言うことになれば、最悪自転車競技部の活動停止、なんてことにもなりかねない。
生徒たちもその空気を察して、あからさまには判らないように工夫しているのだ。
「どうしたっショ」
「なんか、ドキドキします」
坂道がヘルメットを被りながら、巻島の問いに答える。二人で秘密を共有している。先生の指示に従わない、と言う背徳感。それでも巻島と一緒に走ること。休めと友人から言われたのに、その言葉を守っていないこと。今まで自分がしてこなかったことのオンパレードだ。
教科書や制服を詰めた荷物を担いで自転車に乗るのは、普段の練習と比べて相当に勝手が違う。けれど、それもまた楽しい。
斜度のキツくなる山道で、巻島が隣に並ぶ。
「楽しいかァ?」
「はい、巻島さん」
もう何度そうやってここを登っただろう? いつまで登れるだろう? 他の所も一緒に行けるだろうか。そう考えて、坂道はくすりと笑う。
「どうした?」
巻島がそんな坂道に尋ねる。
作品名:【弱ペダ】ヒタルヨル 作家名:せんり