陽は国境へと傾き…
見知らぬ人と向かい合うのが苦痛でなくなり、翻訳の仕事を通じて自国の文化や歴史についての充分な知識が身についたころ、外国からの観光客の増加に伴って、政府が地方で通訳およびガイドを務める者を募集していることを知ったユリアは、これに応募して採用された。割り当てられた勤務地がショプロンだったことも、何かの運命だったのだろうか。この街にいたことでユリアは、大きくうねり始めた時代の第一波を目撃することになった。
今年5月にオーストリアとの間の国境が解放されると、やがて大勢のドイツ人がやって来るようになり、夏にはショプロン郊外は彼らのテント村になっていた。それらは皆、東側のドイツ人だった。そして8月19日、あのピクニックが開催されたのだ。ユリアはドイツ語の通訳に駆り出され、会場でオーストリア側の人々の対応をしていた。そしてそこで、多くの東ドイツ市民が国境の西側へ雪崩れ込んでいくのを目にしたのだった。検問所の係員は彼らに背を向け、気づかないような顔をしていた。ヨーロッパを東西に分断していた「カーテン」が、大きく破かれた瞬間だった。
その日、会場の興奮と熱狂の中で忙しく動き回っていたせいだろうか。夕方になってユリアは不整脈の発作を起こして倒れ、病院に運ばれた。医師の診断は心筋症。かつて母が患っていた病だった。ユリアは驚かなかった。母の主治医から警告されてもいたし、1年ほど前からひどく疲れやすくなり、急に動悸がしたり咳き込んだりすることが増えていたから、自分でも何となくそうではないかと思っていたのだ。
以来、入院生活を続けながら、日々この窓から国境を眺めている。
もう、自分があの向こう側へ行くことはない、とユリアは思った。国境の向こう側どころか、この病院の建物から出ることも、もうないだろう。けれど、そのことに不満はなかった。あの暗く湿った石壁の中で尽きるはずだった生涯に、20年もの余禄がついたのだ。二度目の人生と言っていいほど、充実した20年だった。ただ…
ユリアは窓枠に頬杖をつき、夢見るように目を閉じる。
この20年の間にも、あれほど幸せだと思った瞬間はついに訪れなかった。あの広い胸に抱きしめられた時の安堵感や、初めてくちづけされた時の恍惚感、宝物のように大切に扱われた時の至福感は、今なお記憶の底から呼び起こすことができる。
今、どこにいるのだろう、あの人は…。
会いたかった。今さら会ってどうなるものでもないけれど、できることならもう一度、彼と話してみたかった。もはやこの身はどこにも行けないが、いずれ魂だけが自由になったら、あの人を探しに行けるだろうか…。このところ、そんなことばかり夢想していた。
ふと夢想から覚めて我に返ると、すでに陽は国境の向こう側に沈み、西の空はすみれ色に染まっていた。市街地に灯りはじめた明かりが、遠く星のように瞬いている。病室のドアはまだ開いたままで、薄暗い廊下からは階段を上ってくる靴音が聞こえる。看護婦たちのゴム底の靴とは違う、硬い響きの、おそらくは男性の靴音。どこか他の病室を訪ねる見舞い客だろう。ユリアは病室のドアを閉めようと腰を浮かせかけたが、このタイミングでは、かえって顔を合わせに行くようなものだ。この見舞客がどこかの病室に入ったら、そっと閉めにいこう。そう思いなおして再び腰を落ち着け、窓の外に顔を向けたまま、靴音が通り過ぎていくのを待った。
けれども、その靴音は通り過ぎて行かなかった。階段のあたりで一瞬立ち止まり、それから廊下を歩き出すのが聞こえたが、ユリアの病室まで来たところで再び止まって、それきり動かなくなった。不審に思ってそっと振り返ると、病室の入り口に、口ひげをたくわえ、グレイの髪をした、背の高い紳士が立っていた。その長身、物静かな雰囲気、そして何よりもこちらを見つめる青い双眸の穏やかさは、30年の時を越えてもそれと分かる、忘れ得ぬ人のものだった。
ユリアは驚きに目を見開いた。一体どうやって今の自分を見つけ出したのか、彼の属する恐るべき組織には、調べられないことなどないらしい。けれど今はそのことが、怖ろしいよりも嬉しかった。もう一度会いたいと願いながら、叶わぬことと諦めてもいた。その人が、こんな所まで自分を訪ねて来てくれるなど、まるで奇跡のようだと思った。
「久しぶりだね」
彼は、立派な体躯には不似合いなほどの、はにかんだような微笑を浮かべてそう言った。ユリアは願いが叶った喜びのすべてを、満面の笑みに変えて答える。
「ようこそ、ガスパディーン…!」