嘘の楽園【後編】
突然話を振られ、ナナイは驚きながらもコクリと頷く。
「地球連邦政府との会談を設ける準備は出来ています。あとは大佐がお戻りになるのを待つだけです」
「ふふ、流石だね。それじゃ、とっととあの人を連れて行ってくれ。連邦に捕まったら戦犯扱いで一生牢屋から出れなくなっちまう」
「アムロ・レイ…」
「あの人の事、よろしくな」
アムロにシャアを託され、ナナイが複雑な表情をする。
それは、シャアの心が変わったのは、アムロの存在があったからだろうと思ったからだ。
アムロと一緒にいる時のシャアは、自分の知るシャアとは明らかに違っていた。
昨日、陰からその姿を見つめ、一瞬連れ戻す事を躊躇してしまった程だ。
いつも小さな闇を抱え、何処か遠くを見ていたその瞳には暖かさが宿り、アムロ・レイを優しく見つめていた。アムロもまた、そんなシャアの瞳を優しく受け止め、互いが互いを慈しみ、尊重し合っているように思えた。
『この二人を引き離しても良いのだろうか…』
ナナイは不意にそう思う。
「兄さんは良いとして、アムロ、貴方はどうするの?」
セイラの問いに、アムロが少し思案した後、「うん」と頷く。
「ホンコンシティにでも行きます。ああいうゴチャゴチャした町の方が紛れ込みやすいし」
「でも、今の身体で一人で生きていくのは無理よ」
「大丈夫、なんとかなります」
「なんとかなる訳がないだろう?」
突然、ここに居ないはずの男の声が後ろから聞こえる。
声がした方を振り返ると、顔に包帯を巻いたシャアが立っていた。
「貴方何してるんだ。まだ安静にしとかなきゃダメだろう!」
「大佐!」
シャアの姿に、ナナイが思わず声を上げる。
そんなナナイをシャアがすまなそうに見つめる。
「ナナイ、連絡をせずにいてすまなかった」
「いいえ!必ず生きていて下さると信じていましたから」
シャアとナナイのその様子に、アムロはこの二人が上官と部下という以上の関係にあったのだろう事を察する。
アムロは小さく溜め息を吐くと、シャアに向かって視線を向ける。
「シャア、どうせ話は聞いていたんだろう?貴方は貴方のあるべき場所に戻れ」
「アムロ、君はどうする?一人で生きて行くなどまだ無理だ」
「なんとかなるよ。今までありがとな。貴方のお陰でここまで回復できた。もう大丈夫だから、貴方はネオ・ジオンに帰れ」
ずっと言えなかった言葉が、不思議とスルリと口から零れた。
しかし、胸はナイフで刺された様にズキズキと痛む。それを耐えながら、必死に笑顔を作る。
「君は私との暮らしが終わってしまっても…離れても構わないのか?」
「貴方との暮らしは…色々揉めた事もあったけど、とても楽しかったよ。でも、あの家は仮のものだ。本当の居場所じゃない。それは貴方も分かっていただろう?来たるべき時が来た、それだけだ、大した事じゃない」
『そんな訳はない。心が砕けそうに辛い…
でも、こんな俺の為にいつまでもシャアを縛り付けておく訳にはいかない』
「“大した事じゃない”?アムロ…、君にとって私との暮らしは…その程度のものだったのか…?」
「そうだよ。すまなかったな。俺の面倒なんか見させちまって。もう解放するよ」
「解放など…私は自分の意思で君と居たのだ、誰かに命令された訳では無い!」
シャアから悲しみと、怒りの念が伝わってくる。胸に手を当て、アムロはそれを受け止める。
「でもさ、いつかネオ・ジオンに帰らなくてはいけないとは思っていただろう?」
「…っそれは…!」
言葉に詰まるシャアに、少し悲しい笑顔を向ける。
「それが今なんだよ。貴方はこんな所でくすぶってちゃいけない。あんな事をしたんだ、それにきっちりケリをつけて、本来あるべき場所でやるべき事を全うしろよ。でも、もう馬鹿なことはするなよ?俺はもう止められないからな」
そう言って、アムロは動かない左腕を軽く叩く。
「アムロ!」
シャアは唇を噛み締め、震える拳をキツく握る。
そして、意を決してアムロに向き合う。
「アムロ、私と共に来い!」
アムロに向かって差し出された手に、アムロだけでなく、そこに居た全員が驚いて目を見開く。
「シャ…シャア…?」
「こうして君に手を差し出すのは三度目だな、アムロ。今度こそ私の手を取ってくれ」
目の前に差し出された手に、アムロの目が釘付けになる。
まさかこんな事を言われるとは思っていなかった。自由の効かない自分を…と、そこまで考えて、動かない半身に視線を向ける。
『共に行ってどうする?こんな身体じゃ何の役にも立たない。それに、俺は数多くのジオン兵を倒して来たんだ。当然恨みもかっている。そんな俺がシャアと共に行けば、シャアの立場が悪くなる…』
アムロはグッと心を抑え込み、シャアへと視線を向ける。
「シャア…貴方俺を誰だと思ってるんだ?」
「アムロ?」
「“連邦の白い悪魔”だっけ?ジオンでの俺のあだ名。そんな人間が一緒に行ける訳ないだろう?いつ寝首をかかれるかもしれない所になんて行けないよ」
自分の本心を隠しながら、アムロは必死に不敵な笑みを浮かべシャアに答える。
「悪いけど、貴方と共に行く気は無いよ。じゃあな」
そう言って、アムロはシャアの手を振り払う。
アムロの言葉に、シャアは辛そうに顔を歪めながらも差し出した手を引き、グッと握りしめる。
「…そうか…分かった」
瞳を伏せて、シャアが頷く。
「しかしアムロ、一人でホンコンシティに行くのはダメだ。せめてカミーユを連れて行け。まだ一人では入浴も出来ないだろう…それに…」
「分かった、分かった!…分かったから…俺の事は心配するな…本当に貴方って世話焼きだな」
戯ける様に言うアムロに、シャアは少し笑みを浮かべる。
「君があまりにもだらしがないからだろう?」
「ほっとけ!ほらっさっさと行けよ!」
シャアはじっとアムロを見つめた後、諦めた様に一度視線を閉じると、もう一度真っ直ぐとアムロを見つめる。
「分かった…。行くよ…君も元気で…」
別れを告げるシャアに、自分でそう促しておきながらも、アムロの心が悲しみで押しつぶされそうになる。
けれど、そんな自分の心を偽り、顔に笑顔を浮かべる。
「ああ、貴方もな」
背を向けるシャアを見つめ、引き留めたい心を必死に抑える。
その時、足元に転がっていたハロがピョンっと跳ね、シャアの背中に体当たりする。
そして、介助様にと改造して取り付けられたアーム状の腕が丸い羽のような部分から飛び出し、シャアのズボンの裾を握る。
「ハロ?」
シャアが足元に捕まるハロを見つめる。
〈イクナ シャア ホントウハ イッショニイタイ ハナレタクナイ〉
「ハロ!?」
「ハロ!バカ!」
ハロの言葉に、アムロが焦って前のめりになり、バランスを崩して車椅子からずり落ちる。
「アムロさん!」
側にいたカミーユが咄嗟に身体を支えようとするが、アムロはハロを止めようと必死に手を伸ばす。
〈アムロ カナシイ ツライ 、ホントウハ シャアノ テヲ トリタイ デモ カラダ ウゴカナイ ヤクニタタナイ メイワク〉
「馬鹿!ハロ!黙れ!」
そんなアムロを見つめ、シャアは足元のハロを拾い、アムロの元へと足を進める。
そして、床に倒れるアムロの前に屈み込んでアムロの顔を覗き込む。