テイルズオブジアビス 星の願いが宿る歌
「なるほどな。それでむくれてたのか」
ルークが事の顛末を話すとガイは笑ってそう言った。一方、全く面白くないルークは頬をふくらませてそっぽを向いたままだ。そんなルークの様子を見て、ガイは彼を諭す優しい口調で続けた。
「ちょうど良かったんじゃないか。ジェイドやレヴィン博士の話も全部聞けたわけじゃない。答えを出すには早かっただろ」
ガイの耳にルークの返事は届かなかったが、代わりに小さく頷いたのが見えてガイも満足げに微笑む。手に持っていた水にまた口をつけてテーブルに置くと、ソファから立ち上がった。
「急いては事を仕損じるって言うぜ。ゆっくり考えた方がいいと思うがね」
獣たちに占領された自身のベッドの隅の方に腰掛け直し、薄緑色の毛玉に手を伸ばす。毛玉だったそれはガイの手に撫でられると顔を上げた。
「ティアもあれで案外早合点しがちなところがあるからな。変に考え込んでなきゃいいが」
な?と投げかけたガイの視線はもうルークではなくフィフィに向けられていた。気持ちよさそうに目を細めるフィフィの尻尾は左右に大きく振れる。
「…ガイって」
「ん?」
一瞬の間。これからの事や、ティアの事。ガイの意見を聞いてみたいことは沢山あったが、あまりに幸せそうなフィフィの顔がルークの頭に浮かんでいた質問を塗り替えた。
「動物の世話好きなのか?」
「………んん!?」
ガイが間抜けな声を上げる。
「マルクトではまだブウサギの飼育係やってんだろ」
「…確かにやってるが、それしか仕事がない訳じゃないからな!」
少し前にもこんな話をした。突っかかってくるガイにルークは面白半分興味半分で発破をかける。
「…例えば?」
「商人貴族達の会合に参加したり、街の視察に出て市民の意見を取り纏めたり」
「へえ」
「城の掃除を手伝ったり、陛下の話し相手をしたり…」
「…ん?」
「陛下の部屋の片付けとか、陛下のお忍びの付き添い……」
だんだんガイの声に力が無くなっていく。ルークはいたずらっぽく笑った。
「どこぞの使用人と大して変わんねえな」
「……とどめを刺すなよ」
がくっと落ちたガイの肩からは哀愁が漂う。すっかり動きを止めたガイの手を、フィフィは慰めるどころかもっと遊べと言わんばかりに容赦なく齧っていた。
「───まあ。陛下の計らいもあって、こっちはなんとかやってるよ」
「…そっか」
ルークにとって幼馴染みであり兄のような存在である彼が、新たな土地で平穏に過ごせていることに安堵しながら、同時に少し寂しさも感じた。それを隠すようにルークはまた笑う。
「どこに行ってもガイはガイだな」
「なんだそれ」
ガイはフィフィを膝の上に抱え直し、顎下を指先でくすぐった。
「しかし久々に連絡でも取ろうかと思ってたらいきなり結婚式の招待状が届くんだもんな。正直驚いたぞ」
「それは…」
俺じゃないけど、と言いかけたが考え直した。無事に地殻から帰還して、ナタリアとの結婚を決意したあの頃。確かにアッシュの意識が強かったが、あの間はルークとアッシュ、二人が共にあった。全てをアッシュの責任にするのは違う気がした。
「…多分焦ってたんだ」
手ではフィフィを撫でながら、ガイの目はルークを見据えていた。ガイの腕の中のフィフィも心做しか、顔を向けてルークから出る言葉の続きを待っているように見えた。
「アッシュは、アッシュとして居るために、ナタリアとの結婚を拠り所にしようとしてた。…無意識に俺のことをここから消そうとしてたんだ」
ここ、と言う時にルークは自身の胸元に触った。
「あいつ、いっつも『自分はアッシュだ、ルークは死んだ』って意識してた。よく考えたらおかしいよな。本当にそうなら、わざわざ言い聞かせなくてもいいはずなんだから」
ガイは何も言わない。じっと、ただルークの言葉を聞いている。
「実際、今の俺はそんなこと意識してない。だからこそ怖いんだ。ここにいたはずのアッシュは、どうなっちまったんだろうって」
フィフィの真ん丸の瞳がルークを映している。ルークは語るうちに少しずつ俯いていった。
「アッシュはずっと、いつ俺に取って代わられるか分からない恐怖を感じながら過ごしてたんだと思う。俺は死んだって言い聞かせて、俺の意識を深く沈めておかないといけないくらいに」
瞼を閉じると、当時の感覚が呼び起こされる。光が、音が、世界の全てが遠くに感じていたあの頃。そんな中でもアッシュの感じていることや考えていることだけは手に取るように分かった、あの頃。
「多分だけど、俺もそれでいいと思ってたんだ。アッシュの意識の中で、ぼんやりとしか残ってなかった俺はいつかそのまま消えるんだろう、そうしたらここにいるのは本当にアッシュになるんだろうって思ってた」
再び瞼を開くと自分の手が視界に入った。掌を上に向け、握り、解く。齟齬なく伝わる感覚が、ここにある身体が自分だけのものになっていることを教える。
「…なんでこんなことになっちまったのかはまだ分からないけど、だからこそなるべく早くアッシュのことを探さなきゃって思ってる。なのに、ティアのやつ……」
バルコニーでの会話。アッシュ達のことは自分に任せろ、と言って背を向けられた気分だった。
「そりゃ瘴気の話はほっとけないけどさ。俺だってアッシュやナタリアのこと早く解決したいんだ。ただでさえ寄り道してるんだから」
それを聞いて、ずっと真顔だったガイの目元が緩んだ。
「答えは出てるじゃないか」
そうなのかもしれない。しかし素直に頷くことができず、言葉を詰まらせたルークの膝にフィフィが飛び乗ってきた。真近に迫った蒼い瞳は鏡のように、ルークの迷いに沈んだ顔を映す。
「今のをそのままティアにも話せばいい」
「…でも、いいのかな。あいつの言う通り、俺はここに残った方が…」
「自分を殺すことに慣れるなよ、ルーク」
僅かに鋭さが増したガイの声音に、ルークがぱっと顔を上げる。しかし、予想に反してガイは穏やかな笑顔のままだった。
「確かに人の為にって考えは大切だ。だが、自分自身の気持ちも大切にしてやらなきゃ駄目だ。自分を一番守ってやれるのは他でもない自分だってこと、忘れるな」
ガイの笑顔には力強さがある。長い時間、ルークを一番近くで見守り、励ましてきた彼の言葉はすんなり耳に入り、胸に刻まれる。
「…わかった」
明日、ちゃんとティアに話してみる。ルークがそう頷くとガイは満足げに破顔した。
「それがいい」
膝元に視線を寄越すと、気の所為かもしれないがフィフィも目を細め微笑んだように見えた。頭を撫でようとするとそれまで大人しく鎮座していたフィフィはルークの体をよじ登りだした。なんだろうと思いながらも好きにさせていると、頂点に達したフィフィはタオル越しにルークの頭を踏みつけにした。
「早く乾かせってさ」
「…うるせえな」
乱暴にタオルを引っ張ると振り落とされたフィフィはベッドの上に器用に着地し、勢いそのままガイの膝まで跳んだ。
「久しぶりに手伝ってやろうか?」
ちらっとガイに視線を寄越し、子供扱いするんじゃないとそっぽを向いて再びタオルを被るルーク。苦笑いをしたガイから手渡されたドライヤーで数分かけ、なんとか自力で乾髪した。
作品名:テイルズオブジアビス 星の願いが宿る歌 作家名:古宮知夏