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女は部屋に入るなり男の首に両腕を絡めた。
 男を誘うように塗られた紅い唇を妖艶に開き、男の耳に甘くささやきかける。
「ねぇ、きて」
 大抵の男はこれでよかった。大きく開いた胸元に顔をうずめ、むしゃぶりついてくる。
久しぶりに味わう若い男からのほとばしる様な熱を 女は期待した。
 しかし、男は微動だにしない。顔を背け、自分に絡み付いてくる女の体をやんわりと押しのけた。
「ちょっ、な、に?」
「………」
男は顔を背け、狭い部屋の中に置かれた小さな椅子に腰掛けた。
「んねぇ、そんなにあたしが嫌?」
女は男の前に座り込んだ。
「……すまない、どうかしていたんだ。来るつもりは無かったんだが、は……酔っちまったのかな。……らしくねぇや」
女は薄明かりの中に浮かぶ男の顔を見た。
「あんた……逃げ出してきたのかい?」
「……」
「色んなお客の相手をするから分かるんだよ。あんた、女の所から逃げてきたんだろ?」
女は先ほどとはうって代わって、やさしくゆっくりと男に手を差し伸べ、目を背けたままの顔を優しく包んだ。
「いいんだよ。あたしをその女の代わりにしなよ。あんたの好い娘の代わりだよ」
「……」
ぴくり。
それまでの頑なな表情が揺らぐ。
「そうさ、あたしはあんたの好い娘さ。ねぇ、こんな風にあんたを優しく見つめるだろう?こんな風にあんたを抱きしめるだろう?」
女はおずおずと、まるでうぶな娘の様な仕草で男の亜麻色の髪を優しくなでる。
そっと、ゆっくりと、いたわるように唇を重ねた。
忍び込むことも、煽ることもしない優しいくちづけ。
ゆっくりと離れると、男は熱に浮かされた様な瞳で見つめていた。
女は男の首に両腕を回し、耳元で甘くささやいた。
「あんたの恋人、名前は?」
「こい……び、と」
「そうだよ。あんたの恋人。名前を教えて」
男は自分の視界に広がる黄金色の髪に目がくらんだのか、震える様にその名をつぶやいた。
「……ユ……リ…」
男は女をかき抱き、激しく唇を奪い女のドレスを脱がせた。

女は思惑通り、久しぶりに熱く激しい夜を過ごすことが出来たのだが、それでもうぶな娘を演じることを忘れなかった。



 「ねぇ、また今夜もきてよ」
  真っ赤な指先に煙草をはさみ白い煙を燻らせる女の傍らから、男はするりと抜け出した。
 「さあな」
  男は床に散らばったままになっている服を拾い上げ、手早く身支度を始めた。
 「あんたみたいないい男だったら、毎晩どころか一日中だっていいよ。すっごくよかったしさ。ねぇ、あんたはどうだった?あたし、よかったでしょ?」
  妖艶な肢体をシーツの狭間から露にし、男を誘った。
けれど男はベッドを降りてから一度も女の方を見ようとも、ろくに会話すらしようともしなかった。
  「ねぇ、あんたの恋人。ユリ…だっけ?」
 男がようやく女を見つめた。
 「あんたのそばにいないのかい?かなわぬ恋のお相手とか?」
 「……そんなんじゃない」
 「ふうん。あんたみたいないい男に想われているってのに、もったいないねぇ。あたしなら、断然あんたに乗り換えちゃうけどね」
 ケラケラと笑う女に、男も少し和らいだ表情を浮かべた。
 「あたしが言うことじゃぁないかもしれないけど、その恋人にさ、あんたの気持ち、はっきり伝えなよ」
 「……気持ち?」
 「そうだよ。あんた逃げてきたんだろ?逃げてばかりじゃだめさ。恋人だって悲しんでるよ。わかんないけどさぁ、もっとこう……恋人の気持ちを考えてやんなよ。きっとまってるよ」
 「そう、かな?案外忘れちまってるぜ」
 身支度を終えた男は、じゃぁと短く声をかけ、ドアを開け女の方を振り向いた。
 「すまなかったな。ゆうべは助かった」
 「またきてよ。いつでも身代わりつとめるからさぁ」
 男は少し寂しげな顔を見せるとドアの外へと姿を消していた。 
女は煙草の煙をふうっと大きくはいた。
 「へんな男。あたしをこんな気分にさせるなんて」
 女は自分の黄金の髪をがしがしとかき回し、ベッドから起き上がり身支度を始めた。

作品名:その先へ・・・1 作家名:chibita