TWILIGHT ――黄昏に還る1
彼女は、疲れをピークまで持っていっては、妹の桜が勤めている魔術協会極東支部の医術部に転がり込み、特性ドリンクをねだっているそうで、士郎も何度か注意してくださいと桜から頼まれたことがある。
だが、衛宮士郎が師匠である遠坂凛に注意などできるはずもなく、また、士郎の忠告を凛が鵜呑みにするわけもないのがこの二人の関係だ。したがって、士郎がいつも、言うには言ったんだけど、俺の言うことなんか聞かなくってさ、と困り果てて弁明するので、桜は許さざるを得ない。桜も結局のところ、士郎には甘いのだ。
社会人になってからも付かず離れずの腐れ縁だと凛は笑い、それに士郎も桜も同意して笑う。三者ともそれぞれに忙しいため、年に数回ほどしか顔を合わせる機会はないが、それでも寄れば笑いの絶えない時間を過ごすことになる。何年経ってもこの関係は崩れることはないようだ。
ところで、桜の調合したドリンク栄養剤は、主に疲れ、熱冷まし、貧血、体力回復という、万能薬といっても良いくらいの効能を持っている。早く市販されないかと待ち望むファンも多いという噂まであるくらいだ。
そこそこに良い素材を調合されているため、市販するとなるとびっくりするような値段で販売されるのだろうが、それを凛はいつもタダでおねだりしている。
羨ましい、とあちこちから上がる声もなんのその。凛は胸を張って桜にドリンクを当然の如くねだっている。
“そのくらいの仕事、してるでしょ”と彼女のすべてが物語るため、誰も直に不満を漏らす者はいない。
「もう、仕方がないですね、姉さんも!」
苦言を呈しながらも桜は特性ドリンクを用意している。なんだかんだと言いつつも希望を叶えてくれる妹に笑顔を向ける凛は、魔術協会のエースとしてあらゆる事象の収拾に努めている。
彼女の所属する部署は、魔術協会の中でも花形で、日々を忙しくしているはずだ。だというのに、今はここ、魔術協会の中では辺鄙とされる極東の支部に、なぜかいる。
「遠坂、こんなところで何やってんだよ?」
暇じゃないクセに、と士郎が訊けば、
「衛宮くんが時空超えをするって聞いたから、帰ってきてやったのよー」
「む……」
恩着せがましい凛の言葉よりもまず、士郎には気になることがある。
「俺も今日聞いたところなのに、なんだって遠坂が知ってるんだ?」
「あったりまえでしょー。私は中枢にいるのよ、中枢に! あんたと違って、平社員じゃないのよー」
つーん、と鼻を高くして言い切る凛に士郎は目を据わらせる。
「コキ使われてるのは、俺とおんなじだろ」
「……衛宮くん、出発の日まで寝込んでおきたい?」
凛は笑顔と猫なで声で言っている、が、その目は獲物を狩る肉食動物そのものだ。確実に笑っていない。
こういう顔の凛に、何度、痛い目を見せられてきたか数えきれない士郎は、すぐさま姿勢を正した。
「い、いやいやいやいや! 遠慮します! いやあ、忙しいのに、わざわざ悪いなぁ、遠坂!」
どうにか士郎が取り繕えば、凛はにっこりと穏やかではない笑顔を作る。
「わかればいいのよー。わかればねー」
言いながら、診察用の寝台に腰かけ、凛は、ふ、と息を吐いた。
「それにしても……、聖杯戦争、ですって?」
声のトーンが落ち、真剣な眼差しが士郎を見つめる。
「ああ……」
桜が手渡した特性ドリンクを受け取って、ありがと、と桜に笑いかけていた凛は、視線を落として苦笑を浮かべる。
「失敗したのね、私たち」
「残ってしまっただけだ」
「成功か失敗か、で言えば、失敗でしょ」
「協会の悪いところだな。白か黒か、二択しかない。そうそう世の中、すっぱり割り切れるものでもないだろ」
「仕方がないわよ、組織というものは、はっきりしないと根底から崩れてしまうわ。グレーゾーンの存在を認めてしまえば、立ち行かなくなる」
「まあ、そうだな……」
視線を落とした士郎に、凛は小首を傾げる。
「衛宮くん? どうしたの?」
「え?」
「やっぱり、自分の過去だとやりにくい?」
「仕事は仕事だ。私情は挟まない。けどさ……」
「けど?」
凛が先を促せば、士郎はあからさまに顔を曇らせた。
「アイツが、な……」
凛の表情も曇る。
「…………そうね……」
「アイツが気づく機会を潰してしまう……、って、思うとな、やっぱ、ちょっと、やりきれない」
「だけど、仕方がないことだわ。現況を変えるには大元を断つ。それが協会の決定事項だもの」
「わかってる。私情は挟まないよ。もう、子供じゃない」
士郎は、自身に言い聞かせるように繰り返す。
「そうね……」
重い沈黙が肩に圧し掛かってくるような気がして、士郎は肩を上下させて気を紛らわせようとしたが、たいして効果はなかった。
「ふぅ……、じゃあ……、役に立つかはわからないけれど、今の私たちの気持ち、伝えない?」
気分を変えてくれるような明るい声が紡ぐ言葉を、士郎はすぐには理解できない。
「はい? 遠坂? なに言って――」
「あのペンダント、持ってるでしょ?」
「あ、ああ、うん。なんか、もう、お守りみたいに……」
ごそごそとポケットに手を突っ込んだ士郎が取り出したのは、赤い宝石のペンダントだ。ランサーに心臓を一突きにされ、瀕死の士郎の命を取り戻した、凛が父から受け継いだペンダント。
士郎は常にこのペンダントを持ち歩いていた。すでになんの力も持っていない、ただの赤い石だが、士郎にとってはこのペンダントが命を繋いでくれたのだ。お守りのようになっていても仕方がない。
「私たちの記憶(おもい)を籠めましょ」
「おもい? でも、それは、過去を変えるってことに抵触しないか?」
「渡すだけならいいじゃない。そのくらいなら平気よ」
凛が手を差し伸べる。
「ちょうど“空っぽ”だから都合がいいわ。……効果があるかどうかなんてわからないし、気休めかもしれない、私たちの自己満足かもしれない。けれど、あいつに間違いじゃないってこと、気づかせてあげなきゃ、ね? 士郎」
士郎を見上げる凛の青い瞳が強い意志を示している。
彼女はあの赤い弓兵のマスターだった。あの、士郎の未来の一つの姿であった、英霊エミヤの戦友だ。紆余曲折がありはしたが、最後の最後に、彼女は契約を持ちかけて彼を救おうとした。結局断わられ、英霊は座に戻ってしまったが、その時の笑顔を凛は今も覚えている。
朝の光に溶けていく、憑き物が落ちたように爽やかに笑った英霊を、凛は何年経とうとも忘れたことがない。
「遠坂……」
「私たちがどんなふうに戦ったか、どんなふうにあいつを見送ったか」
「……そう、だな」
赤い石を見つめ、士郎は頷く。
「桜も、ね?」
「え? 私? いいんですか? 私は、何も……」
「なぁに言ってるのよ、いいに決まってるでしょ! だって、あいつ、衛宮くんの未来だもの。桜にだって思い入れがあるでしょ? カワイイ後輩だったんだから!」
凛が揶揄すれば、桜は赤くなって困ったように笑う。
「じゃあ、三人で。桜、手を」
士郎の掌に載った赤い石に凛と桜が手を重ねる。
「アーチャー、あんたは間違ってなんて、いなかったのよ!」
凛は力強く宣言する。
作品名:TWILIGHT ――黄昏に還る1 作家名:さやけ