TWILIGHT ――黄昏に還る1
たった二週間ほどの日々。その鮮烈な日々を凛は思い浮かべながら瞼を下ろした。
「アーチャー、お前の歩いた道は……」
間違いじゃない。
理想を追い続けたその背を、今も士郎は夢に見る。
自身がああなる、とはもう思っていないが、少しでも近づきたいと思う。
(お前の掲げた理想は、借り物でもなんでもない、お前が心底願ったことなんだぞ……)
守護者という運命に自身を磨り減らし、忘れてしまっていた一等最初の願いを思い出せ、と士郎は心で呟いた。
「でもさぁ、ほんとに大丈夫なのか? 過去を変えるってことは未来も変わる。しかも、今回は十年も前だ。時空超えはせいぜい二、三年が限度だったろ? いつもの三倍以上だってのに、協会が許可を出したってのが不思議でさ。それなりの準備はできてるって、ワグナーは言ってたけど……」
桜が淹れたコーヒーを飲みながら凛に訊けば、
「私も詳しくは知らされていないの。なんだか魔術協会は、一部署に出資をしたみたいよ。まあ、かつては名の知れた魔術師の家系が取り仕切っているらしいから、ほとんどは自腹で出資なんて微々たるものなんだろうけど、協会も背に腹は代えられないってことなのかしらねぇ。確か……、最近ではあまり表に出てきていない家柄だったわ。上手いこと口車に乗せただけだと思っていたけど、あながちそうとも言いきれないのよね。そこが、新たな装置を開発したみたいだから」
「装置?」
こくり、と凛は頷く。
「その装置で可能な限りのシミュレーションを行って、正しい道を選び出す、だとか言っていたわ。不可解現象の起こる場所を予測、あるいは、特定ができるらしいけれど……」
「そんなもの、が……?」
「たぶん、その装置の前段階のものが今は稼働しているはずよ。だって私たちには現場へ行って、言われた通りに事を進めて、帰って来いって言うだけでしょ? そんなピンポイントで起こる事象を特定するのなんて難しいじゃない。近くの場所ならわかるけれど、地球の裏側で起こったことでも、私たちは向かわされるんだから、そういう装置あってもおかしくないと思うの」
「俺の、場合……も?」
「ええ。きっと、二、三年くらいなら遡れるんじゃないかしら、今の装置でも。だから、衛宮くんの仕事も私たちと同じ扱いだと思うわよ。それでね、その新しい装置が十年前の事象も指定できるようになった。それで、今回のあんたの仕事、ってわけよ」
「そうか……、俺の仕事もそんな装置で……」
今まで士郎は考えてみたこともなかった。指示される過去の事象の直前へ赴き、指示通りに修正し、現在に戻る。その淡々とした流れ作業が、そんな装置の導き出した結果からだったとは、どうにも納得がいかない。
実際に訊ねたことはないが、訊けば誰かが過去の事象を事細かに調べ上げ、士郎にも納得のいく説明が必ずなされる理由と裏付けがあるのだと思っていた。だというのに、自分たちの仕事の内容をその装置が指定したからだ、などと言われては、はい、そうですか、と頷けなくなる。
「…………んでも、ま、こんな未来なら、要らない、……よな」
モヤモヤとしたものが湧き上がってくるのを抑えつけ、士郎は目の前のことに気持ちを切り替えた。
「そうね……」
険しい顔で頷く凛から顔を逸らし、話が途切れたのを機に、ぱかり、と士郎は手にしていたケースを開ける。
透明の球体が中央の窪みに納まっていた。桜が阿吽の呼吸で消毒液をさっと士郎の両手に吹きかければ、透明の球体を士郎は指先で抓み、取り出した。
蛍光灯にかざして見れば、うっすらと張り巡らされた糸のようなものが見える。これは、軟質ガラス製の義眼だ。
この義眼には人工の魔術回路が埋め込まれており、視神経と繋がって、視力を補うことができる。慣れた手つきで士郎は自らの眼球を抉り取り、義眼を嵌めて、顔を上げる。
「相っ変わらず、えぐーい!」
「今さらなんだよ……」
桜の持つケースに自分の眼球を入れ、義眼を調整しながら、士郎は呆れ顔だ。
「いくら処置が施されてるからって、自分の目玉を取り出すのよ? あー、トリハダが立つーッ!」
凛は自身の腕をさすりながら喚く。
「じゃあ、見ないでくれ……」
一応顔を背けたのだから、と心底迷惑そうにため息をつけば、凛にはうるさい、と理不尽に怒られた。
「まったく……」
肩を竦めながら、士郎は義眼の調整を終える。
「実行班で身体を弄ってないのは、遠坂くらいだぞ」
「なによー、私が悪いみたいな言い方しないでよー」
ぶすくれる凛に士郎は苦笑う。
「悪いとは言ってないだろ。羨ましいって話だよ。自分の身一つで仕事ができる、それは、俺には逆立ちしたって無理な話だ。俺だけじゃない、実行班のほとんどの魔術師がそう思ってるよ」
「な、なんだか……、褒められてる気がしないわ……。でも、どうして眼なのよ? 他になかったの?」
「手足は健在だし、わざわざ換えることもないだろ? それに、手や足はリハビリが必要になる。消去法でいって、俺には、他に代替できるところがなかったんだ」
「ふーん……。でも、眼なんて、使い道がないじゃない」
「そうでもないって」
そう答え、士郎は笑みを見せた。
時空を超える前に、士郎はいつも眼球を入れ換えるため、その眼には特殊な処置が施されている。視神経を義眼に繋ぎやすくすることと、取り出した眼球が生体反応を失わないようにするための保存処理だ。
他にも魔力増幅装置のパーツの埋め込みなどもあり、士郎の身体には改造が施されている。仕事上、必須と言ってもいい施術であり、同僚はみな、身体のどこかしらを施術していた。
ただ、これは、強制ではなく、みながみな自ら望んだことであり、また、士郎のように魔力の少ない魔術師にはやはり必要なことでもあった。
「このくらい、どうってことないさ……」
「士郎?」
士郎にとって、自身の身体のことなど大したことではない。そんなことよりも、この世界をどうにかしたい。
「この……世界の方が……」
この世界は――――。
崩壊の危機に面している。
人類を含めたあらゆる生命は今、滅亡へのカウントダウンの最中だ。
世界中で災厄があふれ、土地、食料の奪い合いが起こり、やがて紛争へ、と坂道を転がり落ちるように世界は崩れていく。
この世界にはもう、安穏と過ごせる地はなく、誰もが貧困と争いに疲れ切っている。
そんな状況にあって、かねてより災厄の収拾に取り組んできた魔術協会は、この原因を突き止めることに成功した。
それが、第五次聖杯戦争。
すなわち、凛と士郎が戦った、冬木の聖杯戦争にあるという。
あの時、セイバーが確かに聖杯を破壊し、消し去ったかに見えた。だが、残っていたのだ、壊れた聖杯のほんの欠片が。
その欠片はセイバーの宝具を受け、成層圏まで飛ばされ、やがて、ゆっくりと地上へと落ちていき……、落ちた先は日本の首都。
そこからじわじわと染み込むように大地に根を張り、人の巣窟である都会で魔力を溜め込んでいき、それこそ蔓延る根のように世界に災厄を広げていき、現在に至る。
それが魔術協会の出した結論だった。
作品名:TWILIGHT ――黄昏に還る1 作家名:さやけ