TWILIGHT ――黄昏に還る1
いくら殺したいと言っても、そんなことまではしないだろう、と思わず訊いてしまうが、今はそれを云々している場合ではなかった。
「やり合ってる最中に余所見とは、余裕だな?」
「え? ぉわっ!」
槍を振り払われ、そのまま士郎自身も振り回されて、壁にしこたま背中をぶつけたが、まだ槍を捕えている。体勢を立て直そうと踏ん張るものの、英霊の膂力には敵わない。
「ちっ! しつけえなあっ!」
喉元に槍の尖端を突き付けられてしまった。両手で握る赤い槍を、そのままランサーは突き貫くつもりのようだ。
「っく!」
ちく、と喉に痛みを感じる。
(アーチャーに見られんのは、予想外だけど……、今、ランサーに殺されるわけにいかないし、退かせないと仕事にならない!)
今のところ、アーチャーが手を出してくる様子はないが、最悪の状況を想定しておく方がいい。二体のサーヴァントを相手になど、人間である士郎にはとうてい戦えない。
(なら、やるしかないか)
腹を決めた士郎は、ふ、と息を吐く。
「フン、諦めたか?」
ランサーが口角を上げて笑っている。勝つことを当然と考えている顔だ。
(当たり前か、人間なんて英霊の歯牙にもかからない……)
だが、士郎とて、ここで引くわけにはいかない。瞼を下ろして口内で呟く。
「術式起動」
キュイィィィ――――。
微かな起動音が耳の奥に響く。
カチカチカチカチ……。
左目の奥で刻まれる小さな音。まるでゼンマイ仕掛けのようだと思いながら、士郎は瞼を上げた。
「な、ん……だ?」
ランサーは僅かに首を傾げた。士郎の左目が紅く輝く。
「血製魔術(ブラッドオーダー)……、」
急速な魔力の増大にランサーは瞠目した。
「な、」
「爆(フレア)っ!」
ボッ!
「ぐぁっ!」
士郎の声とともに、爆発音が響く。ランサーの身体が後ろへ仰け反った。槍が士郎の喉元から離れる。
「よっ……し?」
士郎の奇襲は成功したかに思えたが、ランサーはまだ倒れていない。
「ちっ! 丈夫だよな、英霊はっ!」
間合いを取るため、すぐさま跳び退いた。
「テメェ……」
こめかみから血を流し、ややふらつきながらも、ランサーは立っている。
(ランサーは魔術も使えるって、遠坂が言ってたな……)
この程度の傷ではすぐに治してしまうだろうことは明らかだ。
どうするか、と思考をフル回転だ。
先ほどの術――――血製魔術は、義眼に溜めこんだ血液を魔力として、小規模な爆発を起こす術だ。
不意打ちならば効果があるが、たいした殺傷能力はないため、一度喰らわせてしまえば、その効果は半減以下にまで落ちる。しかも、充填に時間がかかり、連射はできない。加えて、眼前で爆破するため衝撃もある。身体への負担も考慮すると、一日に一度か二度が限度。三度はさすがに身の危険となり、使用制限がされている。
コツ、と足音が聞こえ、ランサーは背後へと目を向けた。
「あー、そうだった、テメェもいたんだったな……」
深傷ではないが負傷している上に、前にも後ろにも敵がいる。ランサーは分が悪いと判断したのか、身構えを解いた。
「ま、今日のところは、このくらいにしておくとするか」
す、と消えたランサーに、士郎がほっと息を吐いた途端、
「貴様……」
低い声が耳に届いた。
警戒感も露わに近づいてくるアーチャーの動きに、赤い外套が揺れている。
不機嫌な顔が懐かしい、などと思っている自分に、士郎は思わず笑ってしまいそうになる。
「あー……、まあ、説明すると長くなる。だから……、っつか、てめぇ! 俺が殺されるとこ、黙って見てたのかよ!」
思い切り眉間にシワを寄せていたアーチャーが瞠目する。
「貴様、衛宮士郎……なのか……?」
「遅……」
「む」
あらぬ方へ士郎がため息をつくと、アーチャーは再び眉間にシワを寄せた。
「ああ、まあ、そうだよ。そういうわけで、俺は、俺の都合でここにいる。結果的にお前の邪魔をすることになるからな、先に断っとく」
「な……んだと?」
「何も隠すことなんかないさ。お前がなんのためにここにいるのか、お前の願いがなんなのか、俺は知っている。ただ、それを容認する暇はないってだけだ。……それでも、たぶん、協力は願うけどな」
「なに……?」
タンタンタン、と軽やかな足音が近づいてくる。
「じゃ、そういうことで。また顔を合わせることになるだろう」
言い置いて、足音の聞こえる階段とは別の、校舎端の階段を士郎は下りていく。
「ランサーを先に説き伏せたかったけど……、あの神父に筒抜けになるリスクを負うよりは、いいか……」
出遅れ感が拭えず、士郎は思わずため息をついてしまう。
過去、聖杯戦争の最中、廃墟となったアインツベルンの古城から戻った後に凛から聞いた話では、ランサーのマスターは言峰綺礼で、イリヤスフィールの心臓を与えた凛を、聖杯の媒介にしようとしていたというのだから、あの神父は曲者だ、と士郎の頭にはインプットされている。
であれば、ランサーに近づくのは、リスクが大きい。最後の最後にした方がいいと簡単に結論は出る。
どうするか、と、くよくよ悩んでいても仕方がない。とにかく行動に移していかなければ、いつまで経っても士郎の仕事は終わらない。
夜道を、馴染んだ景色の中……、士郎の生きる未来では見る影もない、かつて過ごした町を歩く。
士郎が向かったのは、やはり深山町の武家屋敷――――衛宮士郎の自宅だ。
ここにランサーが現れ、衛宮士郎は再び命を狙われる。
その筋書きは変わらないと思うが、まだ確定ではない。それでも、やはり、そこへ向かってしまうのは、一種の感傷だろうかと、そんなことを思う。
歩き慣れた道はかつてのままで、街灯に所々浮かび上がる建物は、いつも見ていたもので……。
懐かしさが、胸をざわつかせる。
「ガキじゃないっての……」
気を取り直すように呟いた。
「聖杯の破壊にセイバーの力は必要だし、召喚までは傍観するしかないよな……」
迷うこともなく到着した瓦屋根の塀を見上げ、あたりを見回して確認し、
「よっ、いしょっ、と」
素早く塀の上へと乗り上がる。
静まりかえった屋敷は閑散としたものだ。
何しろ、この屋敷に住まうのはたった一人。来客は多いものの、ここには、家主が一人きりで住む。
自身が経験していたことでもあるのだが、こう改めて客観的に見てみると、寂しいものだと思える。
(別に、寂しいとか、思わなかったけどな……)
過去を振り返ってみても、そんな感情は抱いていなかった。
(いや……、気づかないフリしてたのか……)
やらなければならないことに追われるように過ごしていたと、今は認めることができる。
「寂しかったのかなぁ、俺……」
独り言ちて、衛宮邸の塀の上にしゃがんで待機する。
「この後はアインツベルンの方へ行って……、キャスターは、どうするか……。交渉次第じゃどうにかできそうだけど……、まあ、話してみないことにはな……」
先のことを思案していると、屋内で物音がした。
「はじまったか……。セイバーを召喚するまでは、ドジ踏むなよ」
士郎は祈る気持ちで過去の己の幸運を願った。
作品名:TWILIGHT ――黄昏に還る1 作家名:さやけ