TWILIGHT ――黄昏に還る1
「ふ……、ふふ……」
その光景が可笑しかったのか、セイバーは抑えながらではあるが笑いだした。
「な、なんだよ、セイバーまで」
不機嫌な顔で、ぼそり、とこぼせば、ますます子供みたいだと、二人は笑う。
「こ……、こっちは、笑いごとじゃないんだぞ!」
喚いてみても、二人は笑うだけだ。
「くそ……」
座卓に頬杖をつき、面白くない、と士郎は不貞腐れながら訊く。
「それで? どうなんだよ、いいのか悪いのか、お前の考えは?」
「んー。そうだなぁ……」
腕を組んで、少年は唸り、
「正直、迷う」
そうこぼした。
「迷う? なんでだ? 普通は突っぱねるだろ?」
「けど、あんたの気持ち、わからなくもないから……」
座卓を見つめる琥珀色の瞳は僅かに揺れている。本気で迷っているようだ。
(なんだってこいつは迷ったりするんだ……)
ここで頑強に突っぱねてでもくれれば、士郎は仕事だからと無理強いをしてセイバーを奪うことができる。そんなことをしては少年が怒るだろうが、さっさと姿をくらましてしまえば聖杯戦争の知識など皆無のこの少年に、士郎を追う術などない。
その方が士郎にとっては都合がいい。過去の己に気を遣わなくて済むのなら、それにこしたことはない。できれば関わりたくはないのだ。この少年と過ごしていると、過去を捻じ曲げている、という事実をヒシヒシと感じなければならない。だから、ここで、この少年の聖杯戦争は、セイバーを奪われたことで終了する、そういうことにしたい。
だが、少年は迷うと言うのだ。士郎の気持ちがわからなくもないから、と言って……。
少年が必死に考えている様が見て取れる。
(バカだな……、我ながら……)
自分の未来だと知っていながら、少年は士郎のことを優先しようとしている。自分自身を置き去りにしてしまうところは、おそらく士郎もいまだに変われない性分だ。
(それから、アイツもな……)
歯を喰いしばって、身も心も傷つき、自身を磨り減らしながら、理想を追って歩き続けた、遠い未来のエミヤシロウ。
(けど、アイツは、行き着いたんだ。過去(おれ)を殺せば、もしかしたらなかったことになるんじゃないかって……)
その答えは正しいものではなかったかもしれない。
過去の己を消し去ったからといって、すでに輪廻の枠からこぼれ落ちた英霊エミヤという存在は固定されている。いくら過去を消しても、もうどうにもならないのだ。それでも彼には、唯一の望みだった。
そんな答えに行き着いてしまうまで、彼は追い詰められていた、ということなのだろう。
(俺には……、わからないけどな、アイツの苦しみは……)
後悔していた。
己が進み歩んだ道を、あの英霊は後悔して、なかったことにしたかった。
そこに到るまでの苦しみは士郎には計り知れない。その道を自身も歩くかもしれないと理解したとき、情けないほどに士郎は戦慄した。
その自分の弱さが今も忘れられない。
あの時、いくらなんでも、もたない、と直感的に思ったのは事実。
そうして、時計塔で学ぶうち、災厄に抗うために魔術協会で働くうち、自身がもう、ああはならないのだと思い知った。
無限の剣製ができないのがその証拠だ。投影はできるが、アーチャーのように固有結界を展開することはできない。
(アイツが救われる道は……、あるんだろうか……?)
ふと、そんなことを思う。
この少年にとっても己にとっても、自分自身の可能性の一つ。英霊エミヤは、自分たちの成れの果てだ。その存在が、救われることのない永遠の道を歩み続けるということは、なかなかに衝撃的なことだ。
絶望だけがあの鈍色の瞳には映っている。明るさや光に満ちた光景など、あの瞳に映ることは、この先もないのではないかと思える。
(だから、曇天なのか……)
曇った空。
士郎が見続けている、ここから十年先の世界の空は、彼の瞳と同じ色だ。
(これからも、アイツは……)
ここで、この聖杯戦争で気づかない限り、答えを得られないまま、英霊エミヤは苦難の道を歩み続けなければならない。
(アイツか……、未来か……)
同じ曇天。
(晴れることのない曇った…………)
ハッとして士郎は頭を振る。
(何を秤にかけてるんだ、俺は!)
変えるべき未来と、自身の成れの果てなど、比べるべくもないというのに。
「っ…………」
自身の至った想いを振り払うように口を開く。
「ほんと、突然で悪いな……。えっと……、もっと時間に余裕があればよかったんだけどな……」
士郎が謝れば、少年は意を決したように視線を上げた。
「セイバーを譲るのもいい、あんたが未来のために何をしようと、俺には止めることはできない。ただ、この家を拠点にしてくれ」
「は?」
思いもしなかった返答に、士郎は、ぽかん、とする。
「な……に……、なに、言ってんだ! お前を巻き込んで――」
「もう巻き込まれてるだろ? それに、知らないふりをしておくから……、いや、実際、知らないことでいい、逐一情報を寄越せとか言わない。この聖杯戦争だっけ? それは、あんたに任せる。だけど、完全なカヤの外はごめんだ」
「カヤの外はごめんって……」
「だってさ、寝泊まりするところ、ないだろ? 飯だって必要だろうし、あんたのその顔を隠してくれるんなら、この家、部屋数だけは多いからさ、自由に使ってくれればいい」
「なに……言ってるんだ……」
「えっと、疑ってる、か? 譲った後にセイバーを取り戻そうなんて考えてないって。ただ、俺は……、その、あんたが、心配だと……、思って……」
「心配って……」
呆然と士郎はこぼす。
「ほっとけないなって……」
「……………………俺、一応さ……、お前の未来の、はず、なんだけど……」
「そ、そうなんだけどさ……」
こういう奴だった、と士郎は自身の性分を思い出す。お人好しで、けれど頑固なところもあって、自分のことは置き去りで……。
それを、未来の自分にも発揮するのは、どうなのだろうと呆れもする。が、ここは少年の提案に乗ることにした。こちらも無理を通している、ならば、このくらいの言い分を呑んでやってもいいだろうと思える。
未来のためと大義名分をかざしていても、士郎とて後ろ暗さが拭えないのが本当のところだ。だから、半分は罪滅ぼしの気分で頷いた。
「……正直、助かる。野宿を覚悟していたからな。じゃあ、よろしく頼む。そんなに長引かせる気はないし、セイバーが召喚されたことで、聖杯戦争は開始されたはずだ。俺はすぐに動き出す。……お前を巻き込むのは、ほんと、気が進まないけど、よろしく頼むな」
士郎が頭を下げれば、少年は居心地悪そうに、頭を上げてくれと言った。
「頭を下げるのはまだ早いだろ。俺はいいけど、セイバーが……」
少年が隣に座るセイバーを窺うように見つめて口ごもる。彼女は難しい顔を崩していない。
「協力してくれないか、セイバー?」
士郎が訊けば、セイバーは、じっと座卓を見つめたままで答えない。
「セイバー、いいだろ?」
少年に念押しのように訊かれ、セイバーは傍らを振り向き、少年と視線を交える。
「待ってください、私は……」
作品名:TWILIGHT ――黄昏に還る1 作家名:さやけ