梅嶺小噺 1 の二
どの位、時が経ったのか、蒙摯が帰ってくる。
「くそ、なんてバケモノだ!。剣を一振、持っていかれた。」
蒙摯は言葉を吐き捨てる。
相当悔しいようだった。
「蒙摯、、、。医者を連れてきてくれ。、、、、小殊が、、。」
「小殊?、どうしましたか?。」
急いで蒙摯は林殊の様子を見に来る。
衣服の背中に滲む、林殊の血を見て、只事では無いと分かった。
「殿下、むしろ山を降りて、見てもらった方が、、。」
「いや、ダメだ。小殊は頭を打っている。動かせない。」
「ならば、大急ぎで連れてきます!。」
蒙摯は、ばっと踵を返し、斜面を駆け下りて行った。
近くまで馬で来たが、猪に勘づかれてはマズいと、下の山道に置いてきたのだ。
幾らかすると、馬の蹄の音が聞こえ、蹄の音はどんどんと遠ざかっていき、消えてしまった。
どの位抑えていたか、出血はおさまった様だった。
「小殊、痛みは?、頭は?。」
「痛い、、。頭は、、、回ってる、、、。」
「小殊、、傷を診る。血止めをしておこう。この傷以外に痛い所はないか?。」
「、、分かんない、、、ん、無い、、かな。」
靖王がゆっくり上衣を脱がせると、生々しい、裂かれた傷が現れた。
傷は一尺程もあり、その半分は深い。
まだ完全に血が止まった訳ではなく、衣服を剥がしたせいで、また噴き出している部分もある。
「以外と大きいぞ、、。」
靖王は腰の袋の中から、皮の袋を取り出す。
城外に林殊と出かける時、必ず持ち歩いていた。薬袋だった。
皇宮で暮らしていた時、林殊と遠駆けをすると言うと、必ず母親の静嬪から持たされた。
靖王が使う事もあったが、その大半は林殊の治療の為に使われていた。
傷に血止めの粉をかける。傷の大きさに、粉はほとんど無くなった。
そして靖王は、自分の下着を割いて、傷に当て、包帯代わりに巻いてやる。
「血を止めねばならぬから、強く巻くが、苦しかったら言うんだぞ。」
林殊は静かに頷く。
「これを飲んでおけ。」
傷が膿まぬようにと、静嬪が拵えた丸薬だった。
抱き起こして、水と共に、林殊に飲ませてやった。
ようやく靖王も一息つき、林殊の側に座り直した。
「一体、、何がどうなったのだ?、小殊。、、私は、、、私はよく覚えていないのだ。」
「、、、そうか。」
少し考えて、林殊が答えた。
「うー、、ん。、、、実は私もよく覚えていないんだ。」
ふふ、と、二人で笑い合う。
何があったのか、蒙摯が帰ってくれば分かるだろう。
「余り喋らず、休んだ方がいい。小殊は頭も打っている様だから。蒙摯がここに医者を連れて来る。」
「、、、ん。」
逆らわずに、林殊は言われた通りに目を瞑る。
余りに素直で、靖王はふと心配になり、林殊の額に手を当てて、熱が無いか確認をする。大きな怪我をすると、発熱する事があるのだと言う。
右手で前髪をよけて、熱を看るが、熱は無いようだった。
靖王は、ほぅっ、と、安堵した。
「上げるなよ、髪。」
怒ったように、林殊は上げられた前髪を、右手で戻した。
林殊は、格好が悪いからと、額を出すのが嫌なのだ。
「ぷっ、この状態で額を気にするのか?。その元気なら、大丈夫だな。」
眉間に皺は寄ったままだったが、靖王に笑顔が戻った。
大分たった頃、蒙摯が戻ってくる。
麓の医者を連れてきたのだ。
蒙摯は、相当急いで馬を馳せて来たようで、蒙摯の後ろに掴まって乗っていた医者が「酷い目に遭った」と怒っていた。
それ程、蒙摯は急いていたのだろう。
蒙摯ですら息が切れ切れだ。医者が怒るのも無理はない。
医者は、林殊の傷を診る。
「医術の心得がお有りで?。」
医者が靖王に聞く。
「いや、、見よう見まねで、、、。この者の具合はどうだ?。」
「治療が適切です。大丈夫でしょう。しかし頭を打ったのなら、動かさぬ方が良い。一晩、様子を見た方が、、。」
「そうか、、、なら、夜営になるな。」
夜営の準備はしていなかったが、三人とも経験がない訳では無い。
と言うより、それぞれ夜営には慣れていた。
蒙摯は赤焔軍の調練で、林殊と靖王は、度々とんでもない遠駆けをして、帰るのが面倒だと、そのまま帰らず、夜営してしまうのだ。
この面子では初めてであった。
いつも野駆けの時は、夜営になっても困らぬような、最低限の用意はしていたのだ。
蒙摯には、医者を送り届けるついでに、林殊の治療に必要な物を頼む
。
バケモノ猪は、蒙摯が仕留めるつもりで追って行ったが、振り切られたと、、、もうこのネグラには戻らぬだろう、と蒙摯が言った。
靖王と林殊も、そんな気がしていた。
猪の体には、蒙摯の剣が、刺さったままだという。
平然と駆け去ったというが、痛い思いはしただろう。
痛い場所には戻るまい。
靖王が、馬を取りに行き、念のためにと持ってきた外套が役に立つ。
外套は林殊に掛けられる。湿気が体に障るだろうと、林殊の物は林殊の体の下に敷かれた。
林殊は初秋の暖かな日差しに、ウトウトとまどろんでいた。
目が覚めた時には、目の前に火が焚かれていた。
そして、蒙摯がここに戻る途中に捕まえた、鳥が焼かれていた。丸々、太った雉鳥だった。林殊は、その匂いで目が覚めたのだ。
どの位眠ってしまったのか、夕暮れに近かった。もっとも秋の陽は短いのだが、、。
「起きたか?。気分はどうだ?。まだ目眩はするか?。」
矢継ぎ早に靖王が尋ねる。
「おぉー!、鳥!!!、美味そう!!!、早く食おう!。」
「小殊の頭は、大丈夫なようですね。」
蒙摯が笑っている。
林殊は、がばっと起きて、焼いている鳥に手が伸びる。
「待て小殊、その前に傷の治療をする。」
「腹が減った〜〜〜。」
不満を言いつつ、傷が膿むのも恐ろしい。素直に靖王の言うことを聞く。
以前林殊は、少々の傷の痛みを我慢して、放っておいて、傷が膿んで酷い目に遭った事もあるのだ。
それは懲り懲りだった。
「景琰、もう、大丈夫だろう?。」
林殊は座ったまま、靖王に背中を向け、衣服を解き傷を見せる。
包帯代わりにした、布を取り、傷を診た。
血はほとんど止まっていたが、深い傷だっただけに、やはり腫れていた。
傷の付近に触れると、熱も持っている。
「痛くはないか?。」
「んー、、、思ったよりは。」
「強いな、小殊は。」
景琰は笑っている。
「時間が経ってしまって、上手く効くか分からぬが、蒙摯が医者から、強い酒を傷口にかけると腫れにくいと聞いて、買ってきている。せっかくだし、、。綺麗な包帯もある。取り替えよう。」
「え、、酒??。嫌だ。」
「した事があるのか??。」
「、、、、、、、。」
靖王の問いに、口をつぐんだまま、答えなかった。
「した事があるようだな。ならば話は早い。しておいた方が良い。」
「嫌だよ、痛いんだよ、すごく。絶対嫌だ。」
「なんだ、小殊。猪には向かって行く勇気があるのに、こんな事くらいで、怖気るのか?。」
蒙摯が笑いながら言う。
「なら、蒙哥哥はあるの??。」
「あるさ〜〜、私は平気だったぞ。酒治療に、こんな意味があるのは知らなかったがな。」
「うっ、、、、。」
林殊は何も言えなくなってしまった。
「ほら、な、蒙哥哥がこうして手を握っていてやる。覚悟を決めろ。叫んでも良いぞ、『痛い』って。私が受け止めてやるからな。」