秋枯れの歓待
【兵助+八左ヱ門】
「どわっ!」
「――っ!!」
ぶわっと起こった風が、二人に当たった。
強風と言うにはまだ軽く、そよ風と言うには自分らの髪を方々に飛ばすその勢いに、肌がひやりと冷える。
陽の温かさを遮るような秋風に、兵助は空を見上げた。
「…久しぶりに晴れたんだけどなぁ」
籠を背に山道を登りながら、ぽつりとこぼす。
昨日までの雨に二の足を踏んでいた兵助達は、空がやっと青さを取り戻したのを見て急ぎ足でここまで来ていた。
道は未だに乾ききっておらず、所々の窪みに雨が残っている。
ただえさえ冷たい風に煽られているのに、足袋は地面の湿気を吸って湿っていた。
「――おい、八左ヱ門。本当にこっちの道であってるのか?」
これ以上足を凍えさせないよう水溜りを避け、慎重に踏み場所を選びながら、兵助は前を歩く竹谷に声をかける。
「ああ、大丈夫だ! 俺は一度行った所は忘れないからな!」
兵助と同様、籠を背負った竹谷は、ふんふんと歌っていた鼻歌を中断して、こっくりと頷いた。
振り返りもせず、しかし明るい声で言う彼に兵助は安心する。
――風がまた、足元から舞い上がった。
気まぐれに風が吹くたび、道の左右に立つ木々が音を上げ、茶色に乾ききった木の葉を空に手放す。
午後の陽を受けた木の葉は、ちらちらと陰影を魅せながら、一度ふわりと浮かんだ。しかしそう思ったのも束の間、瞬く内に地へと落ちてゆく。
…兵助はその様に、月並みな物寂しさを感じた。
ひらひらりと兵助と竹谷の間に割って入り、重さを感じさせずにぱたりと地面に沿う。
――その、存在感の無さといったら。
兵助は、傍に落ちたそれをわざと踏んだ。ぱり、と小気味良い音が鳴り、地面に姿身を開いた枯葉は次に吹いた風に流され砕け去った。
軽く、余韻も残さず跡形もなくなった足元に、兵助は心の中でもう一度「物寂しい、」と呟く。…この季節は人の心を感傷的にさせるのが上手すぎる、と思った。
「――あー気持ちいいなぁ〜。いい風だ」
そんな兵助の心情とは裏腹に、朗らかな声で竹谷が言った。
「俺、この頃合の山が好きだ〜」
のびのびとした、声。
誰に聞いて欲しいというわけではないだろう、ぼやきに近いこれは、だけれども兵助に向かっている。
「…お前は、いつでも同じ事を言ってるだろ」
地面から視線を上げた兵助は、ため息をこぼす。
それは別に秋でなくても山の中でなくても。夏の学園の校庭でも冬の長屋の庭でも春の教室でも、彼は同じ事を言っているのを兵助は知っている。
「あー、そうだな。 確かに!」
竹谷は、やはりこちらを振り向くことなく、軽くひと笑いした。
(――まったく……)
兵助が感傷に浸っていた事など知る由も無く、彼はまたふんふんと鼻歌を始める。
(こいつには情緒というものがないのだろうか)
じとっと兵助が恨みがましく見ていることに竹谷は気づいていないだろう。内心、水をさされた気分でいっぱいで、呆れ返っていた。
(――だけど…)
さらに奥深い心の中では、じわりと温かみのある安堵が広がっている。
(――感傷は、いらない)
浸りすぎれば、戻るのが至難だとわかっているから。そこで留めさせるのが、自分に必要だと知っているから。
「おーい、兵助、ついて来てるかー?」
「…ああ」
…兵助は、そんなささいなやり取りに、気づかないうちに少しだけ口角を上げていた。
「――お?」
「う、わ」
突然立ち止まった八左ヱ門の背負う籠に、後ろの久々知が跳ね返されるのを感じた。
八左ヱ門はそれに「あ、すまん」と軽く謝ると、再び目に入ったものに気を取られる。
後ろで久々知が不満そうに文句を垂れているのが聞こえたが、それよりも、目にした彩に心を奪われた。
「見ろよ兵助。――色づいてる」
「あ?」
八左ヱ門が指差した先…そこには茂みの中に細く茎を伸ばし、小さな葉を広げる植物がいた。
「ああ」
久々知もすぐにそれに気がついたようだ。
茎の先には、支えきれないほど沢山の細かな実がなっている。
硬い緑の実は、茎の先に行くにつれてまだ枯れた花の跡を残していた。きっとつい最近までは花を咲かせ、やっと緑の実をつけたところだったのだろう。全体的にまだ若々しさを残すそれは、小さいながらに命に溢れていた。
だがその草は、八左ヱ門達が見つけた丁度今、続いた雨にようやく寒さを感じたところだったらしい。根元の方から、少しずつではあるが、実が彩りを持ち始めていた。
緑がから赤へ、赤から深紫へ…
憂いを知った硬い実が、次第にみずみずしく甘い果実になろうとしている。
「………」
八左ヱ門は思わずそれに見入っていた。
陽の入りにくい山中。茂る木々や草々より断然低い丈。光を受ける葉は生まれつき小さく、茎も長くは伸びていない。
…それなのに、その草は色づく事を決してやめようとしない。
八左ヱ門は、そんなこの小さな懸命さに、見入っていた。
「綺麗、だな」
久々知が言った。
その言葉に八左ヱ門は、それ以上の賛辞はないと心から思う。
「…いいなぁ、こういうの」
嬉しくて、八左ヱ門は久々知を振り返る。
久々知の目はそれを見ながら細められていた。瞳には温かく色づく途中の実を映し、口元は緩んで、とても…優しい。
そんな彼の穏やかな顔を見て、八左ヱ門はもっと嬉しくなった。
「いいよなぁ、生きてるって!!」
誇らしい気分に、胸が温かくて仕方なかった。