秋枯れの歓待
【勘右衛門+その他】
部屋には、久々知が筆を紙に撫で付ける音と、勘右衛門が本をめくる音しかなかった。
――…ぱたん。
程なくして、勘右衛門は本を読み終える。
顔を上げると、そこには久々知が先刻と変わらず文机に向かって何かを書き続けている姿があった。
せっかくの休日を、久々知はよく書き物で過ごす気になれるなぁと思いつつ、勘右衛門は立ち上がる。
「本返してくるな」
一言だけ勘右衛門がそう言えば、久々知は文机に向けた視線をそらさず「おう」と頷いた。
開けっ放しの戸を抜け廊下に出ると、秋の冷たい風がひゅうと凪ぐ。
昼下がりの弱い陽が、懸命にそれに抵抗しているようで、肌寒いようなまだ耐えれるような、何とも言えない頃合だった。
(もうすぐ、冬か……)
秋というのはあっという間だ。涼気が風に乗ってきたと思ったら、とんとんとんと要領よく寒さを迎え入れてしまう。
洗濯や水遁が嫌になってくる時期だ、と勘右衛門は考えながら図書室へ向かった。
「あれ、中在家先輩」
図書室に入ってすぐ、勘右衛門は小さく声を上げた。
「今日は雷蔵が当番じゃなかったんですか」
中在家が机に座っているという事は、つまりそう言うことなんだろうけど、でも昨日か一昨日かに本人に聞いた気がしてたのに。勘右衛門は、自分の勘違いだったかなと首を捻り、ひとまず借りていた本を中在家に手渡した。
「おかしいなぁ〜雷蔵に用があったんですけどね」
「…不破とは当番を変わった…」
ぱらぱらと、本の中を確認しながら中在家が小さく言う。
「用事ができたらしい…」
「…用事、ですか」
カードを返して貰いながら嘆息した。別段こちらは取り立てて急ぐ用ではなかったのでいいが…珍しい。
「…そういう時もある」
「え?」
そう言って、中在家はカードだけではなく別の物も差し出した。
「本に…」
「あ、ああ。挟めておいたんでした、すみません」
慌てて頭を下げてそれを受け取る。
こんなものを大切な本に挟めるな!と怒られると思ったが、中在家は一度それをじっと見ると、すぐに興味を失くしたようだった。
「…本は、借りるのか」
「あ、いいえ…。今日はもう、」
いいです、と言う間も与えてもらえなかった。
中在家は立ち上がって、返却箱に積まれていた本や巻物をしまいに行った。
「じゃ、あ…失礼しましたー…」
一応声をかけたが、書架に消えた中在家から返事はなかった。
ぶらぶらとまた来た道を戻りながら、勘右衛門はこのまま五年ろ組の長屋に行こうと思い立った。
勘右衛門の不破への用事は、別に鉢屋あたりに頼んで伝えてもらえればいいぐらいの内容だ。
もちろんそこには、あわよくば不破が部屋にいないかなという考えもあったが。
「雷蔵ー三郎ー」
しかし、部屋を前にして声をかけ、二人が居ないのだと知った。
…不破が用事なら、鉢屋も同じ事で居ないのかもしれない。
通りがかった他のろ組のやつに聞いたところ、竹谷もどこかへ行ってるそうなので、勘右衛門の中でそれは確信に近かった。
(――…これから何をしよう)
のたのたと歩きながら、勘右衛門はこれからの事を考えた。
久々知に習って勉強でもするか。寒くなる前に水遁の術の自主錬でもするか。
…どっちにしても、せっかくの休日なのに、という思いは拭い去れなかった。
(そうだ、こいつを栞にしよう)
ふと、手の中のものを見た。
先程、中在家に手渡された、それだけで栞代わりにしてたもの。本に挟んで数日おいたので、すっかり乾燥して平になった、イチョウの葉っぱ。
一番彩りのいい時にとって来てくれたからだろう、鮮やかな黄色はまだまだ褪せず、生き生きと見える。
とってきてくれた二人が言うには、山のイチョウの木についてる葉は、まだほとんどが黄緑と黄色の間をさ迷ってる最中だったらしいから、今頃はきっと……
そうこう考えている内に、自分の部屋に着いた。
栞の作り方なんてとうの昔に忘れてしまったけれど、久々知ならきっと覚えているだろう。
勉強中でも、少しぐらい休憩ってことで……そう思って、声をかけた、
が。
「……兵助?」
そこに、彼は居なかった。
『某山ノ、山麓カラ入ル道ヲ――』
残された手紙には、文字での案内と共に地図まで描かれていた。
少々入り組んだところにある目的地を示すためには両方必要だったのだろう。
『途中、切リ株カラ右ニ、十五歩、左手ニ…――』
まるで忍務で場所を知らせるかのような書き口に、久々知らしいと苦笑する。
ご丁寧にも細々と書かれた「招待状」には、久々知だけではなく不破、鉢屋、竹谷の名前まで添えられていた。
手紙を一読した勘右衛門は、急いで私服に着替え、門を出た。
じれったいことに小松田さんが出門表をどこかに失くしていたので少々時間を食ったが、そんな事を気にしている暇は無い。
『――早く、来い!!』
そんな彼らの声が聞こえた気がして、勘右衛門は早足で急いだ。