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MIDNIGHT ――闇黒にもがく1

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 小さくため息をつき、肘掛けに頬杖をついて、ワグナーは予言書の複写を机に置いた。
 伝承や言い伝えが、これほどはっきりと名前と年を指定していることは珍しい、というよりも、皆無だ。だが、人間の殺戮を淡々とこなしたその化け物は、そう告げて消えたという。
 それから数百年、今、2015年は半ばを過ぎた。
「そうして……、エミヤシロウの捕獲……」
 数日前の慌ただしい一日のことをワグナーは目を伏せて反芻した。



***

 魔術協会・極東支部のある日本では、雨期にあたる梅雨というものが開け、世間に夏が訪れたころ、少し大きな地震にこの地は襲われた。
 さいわい街は大きな被害を受けることもなく、ビルの倒壊などという大事にはならずに済んだ。ただ、この魔術協会・極東支部のビルには、被害というよりも、異変が起きていた。
 ビルの最下層は地下三階だったのだが、その下に空洞ができてしまったのだ。
 調べを進めると、その空洞と最下層の間に少し前の地下建築のようなものがあり、地下三階からさらに下に、地下四階・五階のフロアが存在することが確認され、そのさらに下に岩壁に覆われた空洞ができていた。
 建物の下現れた建造物が、いつからあったのかなど調査をしてもわからず、勿論この建物を建てる前にあったはずもない。
 何しろ、空洞の上に建物を造るなど無理な話だ。だが、できてしまったものは仕方がないと、調査の後、安全性に問題ないことを確認し、その空洞以外は地下施設として使用している。
 物置などとして使用を開始した地下五階部分にあたるそこには、また奇妙な、得体の知れない物が置かれていた。
 卵型のソレは、微弱な魔力を発する金属製で、SF映画に出てくる着脱式のコクピットのような感じにも見える。いつまでも放っておくわけにいかず、細心の注意を払いながら、極東支部はこの物体の調査に取り組むことになった。
 電動なのか魔力が必要なのか、さらには動くかどうかも半信半疑で、その卵型のポッドの外側を探り、なんとなく見たことのある、電気ポットで使われているような差し込みプラグが発見された。
 試しに電源コードを繋いでみたところ、前面だと思われる、ほぼ中央にある液晶画面が点灯し、文字が浮かび上がった。
 “20040210165548”という数字の羅列を見ていれば、下一桁が見る間に増えていく。下一桁から二桁目、三桁目とどんどん数字は大きくなっているようで、ワグナーが、これは、コロンやコンマなどで区切られていないが、時間の経過なのではないかと推測した。
 その数字に驚いていたのも束の間、次の行のアルファベットの羅列を読み、ワグナーは冷たい汗が噴き出るのを嫌でも意識した。
「E、M、I、Y……A…………S……H……」
 ともにこの地下を調べていた部下たちも顔を見合わせ、ごくり、と生唾を飲む。
「す……、すぐに本部へ報告! それから、警備と実働隊をこちらへ!」
 すぐさまワグナーは指示を出し、そこにいた者たちに退避を命じた。
 武装した魔術師と警備の者たちが卵型の物体を囲み、ワグナーはそこから離れ、別室でモニター越しに指示を出す。
 ワグナー自身はその場にいると言い張ったのだが、支部長でもある司令官が現場にいるものではないと諭され、仕方なく上階の部屋へと入っている。
「エミヤシロウ……、あれが……? どうして、こんなところに? それに、あのポッドは……?」
 本当に、人類悪と謳われた者なのだろうか、と首を捻る。
 疑問に答えられる者などここにはいない。自身を含め、誰もが思いもよらない事態に、浮足立っているのだ。
 動揺を抑え、ワグナーは的確に指示を出す。さいわい、ポッドから出てきたのは普通の人間のようで、開いた瞬間に殺戮が行われるような事態にはならなかった。
 捕えたのは、人間の男、東洋人、そして、やはり、エミヤシロウであった。
 彼は暴れることもなく、おとなしく収監され、肩透かしを喰らった気分でワグナーも警備の者も魔術師たちも引き揚げた。
 それから数日、部下からの報告に加え、ワグナー自身も牢獄へと足を運んでみた。
 牢獄と言っても近代的な建物の部屋だ。古めかしい地下牢などとは違うものの、確かに地下二階に位置していて、家具はなく、寝具とトイレだけしかない牢獄だ。が、衛生的で空調も整っている。その上、食事も三食きっちりと、栄養士が管理したものを与えている。
「エミヤシロウ、だな?」
 ワグナーが訊ねれば、顔を上げ、静かに頷く。彼は抵抗もせず、文句も言わない。そして、自らのことを何も語らない。
 こちらが、なぜあの物体の中にいたのかと、今まで何をしていたのかと、経歴はどうなっているのかと、いろいろと質問をしてみたものの、エミヤシロウはその顔に微笑を浮かべるだけで、何も言わず、ただ、今が2015年だと知ると、目を瞠り、驚いていたようだった。
 その意味もわからず、ワグナーたちは、正直お手上げの状態だった。
 だが、知り得るだけの情報を本部に送らねばならず、身体測定からはじまり、視力や体力面の測定、魔術師としての能力、魔力の量、そして、魔術回路の本数など、捕えた数日後から、彼のことを知るために、あらゆる測定を行っていた。
 反抗もせず、言われる通りに測定されている彼をワグナーは遠目に見たことがある。淡々としていて、その顔に表情というものはなかった。

「身体能力は高そうですが、魔術師としては、三流か、それ以下、というところです」
 部下の報告を受け、ワグナーは顎を引いて頷く。
「彼の得意とする魔術はなんだ?」
「強化の魔術だけのようです。それと、背中に魔力受信用プラグがあり、左の眼球がなく、義眼のための施術が見られます。彼はいつそのような施術を受けたのでしょう?」
 首を捻る部下に、
「記録がないのか?」
「はい。データベースを漁ってみたのですが、エミヤシロウという名での記録は全くありません。義眼や義肢の施術者はすべて記録があり、辻褄が合っていますので、どこか、モグリの医師にでも施術されたのかもしれません」
「……そうか」
 ワグナーは、眉間を揉んで小さく息を吐く。
「それで、衛宮士郎の所在はどこに?」
「以前と変わらない紛争地で、ボランティアに勤しんでいると、先ほど報告が入りました」
「そうか……。では、あれは、いったい誰なのか……」
 捕らえた男はエミヤシロウかと訊けば頷いた。だが、衛宮士郎という青年は、今も紛争地でボランティア活動をしているという。
(エミヤシロウが二人?)
 ワグナーは額を押さえて項垂れる。
「いったい……」
 どういうことなのか、とため息をつき通しだ。謎だらけのエミヤシロウに、ワグナーは悩まされるばかりだった。



 魔術協会が“エミヤシロウという人類悪が現れる”という伝承を慴れはじめた年月は、十年にも満たない。それまで、文献に残る記述を知りながらも、協会はなんの手も打ってはいなかった。それが、2015年が近づき、そして、頻繁にその名を語る虐殺者が現れはじめ、ようやく協会は重い腰を上げた。
 はじめは信じていなかったのだろう。伝承などというものは、得てして、今後への戒めや、教訓であることが普通だ。