MIDNIGHT ――闇黒にもがく1
はっきりと年代を指定し、その名を語る稀有な例ではあるが、やはり、協会は伝承という枠を出ないと踏んでいたようだ。
だが、とある紛争地で、その名を聞いた者が現れ、あちこちで同じような話をする者が出てきて、これは、由々しき事態だ、ということになった。
協会は世界中からエミヤシロウという名の人物を探し出し、ようやく、その名に辿り着いたが、それが第五次聖杯戦争――――つまり、冬木の聖杯破壊を主導した遠坂凛の同級生だという。
すでに魔術協会で働いていた彼女にワグナーが聴取をしたのもそのころだった。
その衛宮士郎は現在二十八歳になり、魔術協会とは一切関わりがなく、紛争地でボランティア活動をしている。だが、捕らえた男も同じくエミヤシロウであるという。
「どちらが人類悪だ……」
ワグナーには判断しかねる。衛宮士郎は報告の上では善良な一青年である。であれば、こちらか、と監禁されて過ごすエミヤシロウを見ても、それらしい行動を起こすわけでもない。
2015年は今だ。そこに現れるという予言を信じるならば、エミヤシロウの収監は正しい選択だったと思うものの、ワグナーはいまいち腑に落ちないと思っている。
「せめて、もう少し話ができるのならば……」
黙して語らないエミヤシロウに口を割らせるにはどうすればいいか、と思い悩む。
拷問のような悪手はワグナーの頭にはない。ワグナーは人道的な行いしか選んでこなかった。魔術師という家系に生まれ、人を人とも思わぬ所業を成す魔術師を見聞きしてきたワグナーには、絶対に選ばない手法だった。
常にモヤモヤとしたものを抱えながら、ひと月以上が過ぎ、エミヤシロウは封印指定のままではあるが、日中は地下牢から出ることが可能になった。魔術協会本部も処分を考えあぐねているのか、いっこうに沙汰が下らない。そのため、ワグナーがそう決めたのだ。
もしかすると、何かを話すきっかけになるかもしれないという期待も込めて、エミヤシロウには少しだけの自由を与えることにした。
やはり牢獄というのは居心地が悪いのだろうか、エミヤシロウは毎日“上”に上がってくる。
牢獄から出るときは魔力を抑える手枷と足枷が常に嵌められるため、億劫だろうに、とワグナーは思うのだが、それでも地下から出たいのだろう。彼は毎日決まった時間に牢獄の外へ出てくる。そうしてどこに行くのかといえば、彼はいつもビルの最上階にいる。
魔術協会・極東支部の建物は日本の地方都市・冬木市にあり、その高層ビルのガラス張りの展望室が日中の彼の居場所となっていた。
そこで何をしているかといえば、嵌め殺し窓に身体を預け、日がな一日外を見ている。夜になれば地下へと戻り、また朝が来れば最上階へ……。
いつしか、昼食を運んでくる看守もいて、少なからず彼が害のない者ではないかという空気が、この極東支部の一部に湧きはじめている。
彼を同情的に見る者もいれば、やはり危険だと言う者もいて、中には彼の処遇について言い争う者たちもいると報告が上がってきていた。
それを知ってか知らずか、我関せず、という体で、エミヤシロウは今日もまた地下から最上階へと上がっていく。
彼のライフサイクルは上下に動くことだけだ。それだけしか許されていない。
今も視線の先にいる彼は、展望室でガラス窓に身体を預けて、空を見上げている。
「封印……指定……」
酷な処分だとワグナーはその姿を眺めて思った。
何をすることも許されず、何をしたいとも言えない。
ただ生きているだけというのは、彼にとってどれほどの苦痛になるのだろうか、と取り留めもないことを思う。
エミヤシロウの経歴を知らないワグナーは、彼がぐうたらで、ものぐさであってはくれないか、と願った。
そうであれば、日がな一日ぼんやりしていて、食事も寝床も保証されていれば、それなりに幸せではないかと思えるからだ。
もし彼が真逆の性質であれば、今の状況は、何より苦しく、その心を壊してしまう可能性があると、ワグナーは思う。
(いや、この状況が、幸福であるなど、ありえない……)
どんなにものぐさな人間でも、自由でないということは、少なからず苦痛のはずだ。
「やはり……酷だな……」
視線を引き剥がすように踵を返したワグナーは、展望室を後にした。
□■□Two night□■□
いつも、同じ時刻に目が覚める。
(因果なもんだよな……、習慣って……)
固いベッドで身体を起こし、薄い布団をたたみ、寝間着を着替える。
ここは、牢獄だと言うが、衣服は毎日取り換えてくれて、寝間着も週一でだが、洗いざらしのものと交換してくれる。食事はきちんと三食、定刻に支給がある。
着替えを済ませて、顔を洗い、まずは日課の筋トレをはじめる。
長く続けた習慣というものは、そうそうやめられるものではない。特に、目指す肉体を目の当たりにしたことがあるために、今さらやめるわけにはいかない。いつかアイツを越えてやる、という意地のようなものがある。
「ふぅ……」
適度にかいた汗をタオルで拭っていると、朝食が運ばれてきた。
「エミヤシロウ、朝食だ。……いい加減、身体を鍛えるのはやめろ」
看守が威圧的に言うが、
「習慣って、やめられなくてさ」
にっこりと罪人という扱いの衛宮士郎が笑みを刻めば、呆れたようにため息をついて、看守は朝食を置いていく。
こういう状況に陥っている以上、喧嘩をふっかけるのは悪手だ。そのくらいの処世術は身に付いている。
「は……」
ひとり、朝食をいただく。
過去にはあり得なかったような状況。
常に誰かのいた我が家は、今、この世界に存在しているはずだ。ただし、士郎はそこに戻れはしないが。
士郎が変えたかった未来では、とっくになくなっていたあの家が、この世界にはある。
「なにしてんだろ……、俺……」
食べ終えた食器のトレイを持って、鉄の扉をノックする。外側から鍵が開き、扉が重い音を立てて開く。トレイを受け取った看守とは別の看守が士郎に手枷と足枷を嵌めた。
ジャラ……、と、重い音を立てて、士郎は歩き出す。エレベーターを乗り継いで最上階へ。
何をするでもなく、何を考えるでもなく、ただ、眺めるだけの世界は平穏で、士郎が望んだ未来そのものだ。
(望んだ未来……か……)
人の営みが普通に行われる、こんな未来を士郎は望んだ。人が人として生を全うできる未来をと、士郎は必死になって過去を変えた。
(俺が変えた未来に、俺は拒まれたってことかな……)
ふ、と諦めにも似たため息がこぼれていく。
ガラス越しの世界が、今の士郎にとってはすべてだ。
これが、士郎が取り戻した未来。
そして、この世界になった道程の真実を、誰も知らない。
崩壊へと突き進んでいた未来の世界は、もう、士郎だけが知っている過去になった。
「誰にも…………っ……」
ガラスに軽く額を打ち付け、自身がどうしようもない鬱屈を溜めていることに気づいてしまいそうで、瞼を下ろした。
「2015年……」
ぽつり、と呟く。
ポッドが開けば、物々しい魔術師たちに囲まれていた。
「俺が過去に向かったのは、2014年だった……」
作品名:MIDNIGHT ――闇黒にもがく1 作家名:さやけ