時皿屋敷
しばらくすると、町のあちらこちらで奇妙な噂が流れるようになった。曰く、
「青山播磨守様のお屋敷から夜な夜な女のすすり泣く声が聞こえてくる」
「女の声は泣きながら、皿の数を数えているようだ」
「皿を九枚を数えると『一枚足りない』と叫んだ」
そして、その声を聞いたものは、やがて悲惨な最期を遂げる……と言われている。
上司から
「噂の真偽はどうなのか?」
と問われた播磨守は返答に窮した。
「そのような話は初耳でございます」
そう正直に答えはしたが、
「実際に噂が流れ、しかもその話をしたものが不慮の死を遂げているのは、紛れもない事実。早急に調べよ」
と、命じられた。
「つまらぬ噂話に過ぎぬでしょう」
その噂を夫から聞かされた播磨守の妻はそう断言した。
「わしもそう思うが、番町で囁かれている噂がご公儀の耳にまで届いているとなると捨ててはおけぬ。根も葉もない噂だという証拠を見せねばなるまい。
それに、その皿を数える声が聞こえるというのは例の空井戸のそばのようなのだ」
ため息交じりに話す夫に向かって
「それは、お菊のことを知った誰かが面白おかしく話しているだけではありませぬか」
妻はなだめるように諭す。
「しかし菊の件は誰にも話さぬよう厳しく命じておる。あの娘は身寄りがないために、疑う家族もおらぬ。誰がそのような噂を流すと言うのだ?」
「人の口に戸は立てられぬもの。命じられたからといって、いつまでも黙っていることなどできようはずもありませぬ。家来や女中の誰かが、うっかり口を滑らせたのでしょう」
妻の言葉に首肯すると
「わしもそれは考えておった。ならば、今回の件は家の者を使うわけにはいかぬ。誰が首謀者か知れぬゆえな」
ため息混じりにうなだれながら言った。
「では、どうなさるおつもりですか?」
妻が心配そうに訊ねると
「今晩から、わしが空井戸に張って声の正体を暴こうと思う」
播磨守はそう答えた。
「旦那さま、お一人では危のうございます」
「なに、わしも火付盗賊改役じゃ張込みも捕り物もまだ若い者には負けはせぬわ」
心配顔の妻を気遣うように、播磨守は明るい声をあげる。
「そなたにこうやって話すのは、今晩のわしはお役目で留守にすると家の者に伝えてほしいのじゃ。今も言うたが誰の仕業かわからぬからな」
笑顔を抑えると妻に向かって助力を乞うた。妻も
「かしこまりました。家の中のことはどうぞご安心くださいますよう」
そう言って夫を安心させた。