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MIDNIGHT ――闇黒にもがく4

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「衛宮士郎、我々は、どんなに苦しい時も、愚かなほどに頑なで、理想を追うばかりで、自身のことなど省みず、歩み続けることしかできない存在だろう? お前が貫いたことは、お前自身の糧だろう。誰になんと言われようと関係ない。お前は言ったじゃないか、あの英雄王に、真贋など関係がないと……。その意気込みを、忘れたとは言わせんぞ……」
 だから、目を覚ませと、エミヤは目を伏せた。


 幾日、眠る姿を見ていればいいのか。
 エミヤは厨房に入ることもなく、ただ士郎の病室に詰めているだけだ。
 土気色に近かった顔色は血色を戻し、ずいぶん健康的に見えるが、士郎の意識はいまだ深い眠りの底にあるようだ。まだ士郎は覚醒しない。
「は……」
 こぼれたため息が静かな部屋に降り積もる。
 コン、と控えめなノックが聞こえた気がして、扉へ目を向ける。シュ、と扉が開き、顔を覗かせたのは、マスター・立香とマシュだった。
「えっと……、いい?」
「どうぞ」
 おずおずと入ってきた二人に、
「感心しないな、こんな深夜に」
 エミヤは苦言を呈しながらも咎め立てなどしない。
「へへ……。エミヤもじゃん」
 へにゃりと笑う立香に、エミヤは目を伏せる。
「すまないな、マスター。私は君のサーヴァントだというのに、まるで役に立っていない」
「そん――」
「そ、そんなことはありません! エミヤ先輩は今、士郎さんの傍にいる、という役目を果たしているので、役に立たない、などというのは、見当違いです!」
 立香の声を制してマシュが必死に言い募る。
 相当力がこもっているのか、彼女の握った拳が震えている。
「……ありがとう」
 エミヤは素直に礼を言った。
「エミヤ、訊いてもいい?」
「…………内容によるな」
「はは! もー、手強いなあ、エミヤはー」
 立香は笑いながら壁際に重ねて置いてあった丸椅子を二つ持って来て、マシュと並び、エミヤの隣に座る。
「士郎さんとさ、いつ会ったの?」
「……いつ…………。さあ、いつ、だと言えばいいものかな……?」
 エミヤは士郎を見つめたまま答えた。はぐらかすのではなく、ただ、本当になんと答えればいいかわからないのだ。
「ロマンが言ってたけど、因縁ってやつ?」
「因縁? ああ、確かに因縁かもしれない……」
 見下ろす士郎からさらに視線を落として、エミヤは苦笑いを浮かべた。
「マスター、心配してくれるのはありがたいのだが、……コレのことは、私に任せてもらえないだろうか?」
「うん。もちろんだよ。でもね、」
 立香は言葉を切って、エミヤに真っ直ぐな目を向ける。
「おれ、士郎さんに心から笑ってほしいって、思うんだ」
「…………」
「だから、エミヤ、士郎さんを頼むね」
「…………マスター」
 エミヤは返す言葉もない。
 士郎がこうなった一因は、己にあると自分自身でもわかっている。
「…………ありがとう、マスター。恩にきる」
「大袈裟だなあ。おれはただ、士郎さんと話してみたいだけだよ」
「私もです!」
 マシュが手を上げて主張する。
「人気者だな、こいつは……」
 小さな笑みを刻んで、エミヤは士郎の頭をさっと撫でた。
「では、早く目覚めろと、念を押さなければな……」
 深夜の来客は、少しだけエミヤに笑みをもたらした。



***

 覚醒すれば、他人の気配を感じる。
 それは、いつも違う気配であり、士郎は、カルデアにいる人間をすべて把握していないため、誰だということまでは判断がつかなかった。
 いや、顔を判別するほどの意識も、視力もなかったというべきか……。
 だが、いつも感じているのは、傍らで過ごす、人ならざるものの気配。
 床ずれを起こさないように、日に何度か身体の向きを変え、腕や足を動かして関節の硬化を防ごうとしてくれている。
(そんなのもう……必要ない……)
 思っていても声にならないのは、人工呼吸器のせいではない。言葉を発することすら億劫になるほど身体が弱っていると、士郎は知っていた。
 もう動かなくていいと思った瞬間から、士郎の身体は、活動を放棄している。
 そして、この先に動く必要などないため、こんなふうに、動くことを前提にした予防策を講じなくていい。
(もう、いいんだって……)
 何度思っても、声にならないために伝わらなかった。

 幾度目かの覚醒で、数度瞬く。
 今回はやけに視界がクリアだ。
 靄のかかったようだった頭もすっきりしている。
 呼吸も楽にできている。手足はろくに動かせないが、首を巡らすことはできた。
 目が覚めたのだ、とはっきり理解できる。そして、残念ながら、自分はまだこの世界に生きているのだと知った。
(まだ、俺は……、生きなければ、ならないのか……?)
 ふと、英霊となったエミヤシロウを想う。
 永遠に殺戮を繰り返す運命に、彼はこんな気分を味わったのかもしれない。
(俺なんかとは比べ物にならないけど……)
 アーチャーが自身を亡き者にしようという、とんでもない考えに陥るまでの時間は士郎の比ではない。アーチャーはその反吐にまみれた時を延々と繰り返していた。そうして、やっとのことで掴んだ機会を士郎は潰してしまったのだ。
 今ならばわかる。
 アーチャーが千載一遇のチャンスを棒に振った恨みの深さが。士郎を骨の髄まで、細胞の欠片に至るまで、殺し尽くし、消してしまいたいとなるまでの気持ちを。
(アーチャーが殺したいのは、自分自身だった……。それを俺は……、その理想の姿を見た俺は……)
 消えてほしくないと、思ってしまったのだ。だから、必死になってアーチャーを止めた。
 消したくなくて……。
(ごめん……)
 こんなところで謝っていても、許されるとは思えない。何しろ、あのアーチャーとは会うことも叶わない。
 カルデアに英霊エミヤはいるが、彼は、士郎と斬り合ったアーチャーではない。
(俺の、我が儘だった……)
 アーチャーと意地をぶつけ合ったつもりでいたが、ただのエゴだったのだと気づいた。
 もう謝ることすらできない自分は、どうすればいいのだろうか……。
 士郎には、皆目、見当もつかない。
「目が、覚めたか」
 静かな声が耳に届く。音がはっきりと聞こえるのは久しぶりな気がする。
 そちらへ目を向けると、真っ直ぐに鈍色の瞳が見つめてきた。
「……な……っ……で……」
 なぜだ、と問うた。
 どうしてここにいるのか。それに、ずっと身体の向きを変えたり、関節を動かしたりしていたのは、どうしてか。
「さあ、なぜだろうな」
 小さな笑みを刻んだ顔を、ただ見つめる。
「オレが……生きてほしいと願うからかもしれない」
 驚きに目を瞠る。
「意外だとでも言いたげだな。まあ、そうだろう」
 そう言って苦笑するエミヤが額にのせてきた手は温かい。瞼までを覆われて、また意識が遠退いてしまいそうになる。
「落ち着いて、聞くことができるか?」
 エミヤの声に落ちそうな意識を引き戻す。手を引いていくエミヤの顔が見えてくる。真っ直ぐな瞳でこちらを見ている。
(ああ、聞かなければ……)
 エミヤが聞けというのならば、そうするべきだ。
 士郎はそれ以上のことをエミヤに、いや、アーチャーにしでかしたのだから……。