最後の良心
勢いをつけて立ち上がると、足元の川を覗き込んでいるエレンに声を掛ける。
「ハリードさんといえば、おれさ、始め、エレンとハリードさんは恋人同士かなって思ったんだよ。野盗との戦いの必死さや、怒りのあまりのすさまじい強さを見て」
その言葉に、今度はエレンが吹き出した。
「そりゃ、いくらあいつでも、あの数じゃ必死にならざるを得ないだろうし、怒りは、油断して武器を奪われて捕まってしまったあたしへの怒りもあったと思うよ」
「でも、ハリードさんに誘われてそのまま旅に出たんだろ?」
エレンの隣で同じように、水で削られた川岸から川を覗き込む。木々の影を映しながらゆるやかに流れる川は底が見えず、思ったより深そうだった。
「この川も、水路として利用されてるんだろうか?」
ポールのつぶやきも耳に入らぬようで、エレンは右側に軽く首を傾けてしばらく考えていたようだが、やがて口を開いた。
「好きとか嫌いとかは別として、ハリードが凄腕の剣士だったというのは大きな理由に違いないわね。例えば絵が好きな子の村にすごい画家が来たら、教えてもらいたいって思うでしょ? 音楽が好きだったら、有名な音楽家のそばで学びたいって思うだろうし。そんな感じ。あたし、武術とか格闘とか好きだけど、村では自衛のための基本的な事しか教えてくれる人しかいなかった」
エレンの頬にかすかに赤みが差し、潤んだ目は軽く伏せられた。
「だからハリードの戦い方を初めて見たときは、すごく、びっくりした。目で追えないくらいに速くて、力強くて荒々しくて、それでいて無駄のないしなやかな動きに、思わず見とれちゃった。がめつくて偉そうで、嫌な奴だけど、こんな風に戦いたいって思っちゃったんだな、うん」
口調が熱を帯びていることに気付いたのか、はにかみをごまかすように笑ってみせる。
エレンはきっと、自分の気持ちに気付いていないのだろう。ハリードと一緒にいたい理由がそれだけではないことに。しかし、それを指摘すればむきになって否定するだろう事は容易に想像できた。
そんなエレンをポールはおかしく、可愛く思った。
にやにや笑っているポールの顔を軽く睨みつけて、エレンは大きく咳払いし「それに……」と言葉を続けた。
「一緒に行こうと決めたのは、成り行きでもあるの。妹や、村で一緒だった友達のこと話したことあったかな? みんな、それぞれ新しい道を進もうとしてるのにあたしだけ何もなくて、拗ねてたんだと思う。それをハリードに見透かされて……あいつ、強引だし、仕切りたがり屋でしょ? 一人でふて腐れていたあたしを見て、まどろっこしく思ったんじゃないかな?」
ポールは苦笑して、探るようにエレンを見た。
「というより、ハリードさんはエレンを元気付けようとしたんじゃないか?」
「さぁ、どうだか。ま、最初の印象は悪かったけど、実は人情に厚いところあるしね」
エレンは小さく肩をすくめた。
川の流れの中に魚の影が見え、大きく跳ね上がった。銀色の細い、きれいな魚だ。エレンは目を見開き、顔を輝かせた。
「うわぁ、見た? 何だろ、今の魚」
はしゃいで声を上げたエレンに誘われて、ポールも笑みをもらす。
屈託のないエレンの笑顔は、元気を与えてくれる。落ち込んだときなら、救われるような気分になるかもしれない。
「そして、ハリードさんも、エレンの存在を必要としたんだろうな」
魚の姿を探していたエレンだったが、ポールの言葉に驚いたように顔を向けた。
「えっ? 何が?」