LIMELIGHT ――白光に眩む3
ずいぶんと久しぶりに見た、赤く、黒く、苦しい記憶。
――ああ、これは……。
あの大火災だ。
炎の中を歩き続け、衛宮切嗣に助け出され、伸ばした手で掴んだものは……。
――何もなかった……。
この手に何も掴むことはできなかった。
自身の人生が無意味であったことは否めない。なんら、成し遂げられたことはない。
だから、差し出そうと思う。
この身体を切り刻むことでエミヤの溜飲を下ろせばいい。
それでもまだ足りないというのなら、この魂というものを。
正義の味方を夢見てしまったこの魂を、消し去ってくれればいい。
衛宮士郎である己という存在がすべて消え去ったところで、エミヤが救われるかどうかなどわからないが。
――全部、あんたの好きにすればいい……。
文句は言わないつもりでいる。
文句どころか、理想を見せてくれたことに感謝している。
もしかしたら自分も、と、夢を見させてくれたことをありがたく思う。
――だから……。
瞼を下ろそうとすれば、途端に強い風が吹く。
腕で目元を覆った。
薄目で辺りを窺うと、
――あ…………。
地平線の先まで続く、剣の突き立つ世界。
――もう一度……、見ることができた。
二度と見ることはできないと思っていたが、たとえ夢であっても、またこの世界を見ることができた。
――俺が至れなかった、剣の丘……。
士郎には無限の剣製はできない。したがって、この心象世界に至れなかった。
――頑張ったつもりだったけど、俺は、ダメだった。
投影魔術と強化の魔術、そして受信機で魔力を増幅して戦い続けた衛宮士郎の幕が下りる日は近い。
六つ目の特異点が修復された。特異点はあと一つを残すのみだ。
そして、士郎がこのカルデアを出る時も近づいている。
――きれいだな……。
呆然と剣の丘に立ち尽くす。
悲しいわけではない。悲しむほど、何かを成したわけではない。
けれど、今の気持ちを表すとしたら、悲しい、という感情に近いものかもしれない。
そうして眼前に広がる光景に息を呑んでいる。ただ、果てまで続く、突き立つ剣が美しいと思った。同時に、物悲しいとも思う。
夕焼け色のような赤い空には歯車がゆっくりと回っている。それは、エミヤの運命であるかのように重く、軋みを上げながら、永遠に回り続けるのだろう。
ふと気配に気づく。
隣に立つ者に、今、気づいた。
――アーチャー……。
驚いたような顔を一瞬見せたエミヤが、ふ、と笑みをこぼした。
――なんで……。
それ以上、言葉にはならなかった。
ただ、胸が絞られるように痛い。
けれど、不思議に思うことがある。
どうしてそんなふうに微笑(わら)えるんだ?
消される前に、それだけは、訊いてみたかった。
***
「……朝飯、作りに行かないのか?」
「昨夜、誰でも仕上げられるように下拵えを終えた」
「そうか……」
目覚めたというのに、士郎はエミヤの腕の中でじっとしている。エミヤはといえば、やはり、士郎の身体を抱き込んだままだ。
「……離せと、言わないのか?」
「……別に、急いでやることもないんなら、いいかなって」
自分のことは棚に上げて、どうしたことだろう、とエミヤは困惑している。
目覚めた士郎は、いつもならすぐにこの腕から出ていくというのに、今朝は、全くその気配がない。
エミヤもこの状態がやぶさかではないために、士郎から手を離すという選択はなかった。
「あ。そか、あんたが重いんなら、」
半ばエミヤに乗り上げているため、士郎が気を遣って身体をずらそうとするのを、エミヤは慌てて抱き直す。
「いや、問題ない」
「ん。そっか」
小さく頷いた士郎は、再びエミヤの胸元に頭を預けてきた。
すべてを預けきっている、といっても過言ではない。
急にどうした、と訊きたいが、その質問で我に返り、離れていかれるのは少々辛い。
訊きたいことは山ほどある。
何があったのか、何を抱えているのか、そして、今まで、どんなふうに生きてきたのか。
(お前が歩いた道は、どんなものだったのか……)
赤いペンダントに籠められていたのは、エミヤへの想いのようなものだけだった。士郎自身の記憶というものはなく、ただ、お前は間違ってはいないのだと、訴えるような想いだけが籠っていた。
「聖罰って……」
ぽつり、とこぼれた声に瞬く。
「……マスターから聞いたのか」
「藤丸が心配してたんだ……。大丈夫だって、エミヤはヤワじゃないからって言えば、あいつ、知ってるってさ……」
「…………そうか」
「だから、」
もぞもぞと身体を起こそうとする士郎を止める理由がなく、腕を緩めれば、上半身だけを起こした士郎が見下ろしてくる。
「くだらないこと考える必要なんかない。あんたは間違っていない。藤丸と一緒に人理を修復して、世界を救え」
「…………そんな、簡単な話では、」
「いいんだよ、簡単で。藤丸と、このカルデアの人たちと、たくさんのサーヴァントたちと、あんたは手を携えて、人類を救うために闘う。それのどこが間違いだっていうんだ」
「……それとこれとは話が別だろう。私のやってきたことは――」
「何も間違ってなんかいなかった。あんたが歩いた道のりは、あんたの理想に届くような結果じゃなかったとしても踏み外したわけじゃない。だから、英霊なんだろ?」
「それは……」
「……あんたは英霊だ。間違っているわけがない」
琥珀色の瞳に射抜かれたまま断言されると、その気になってしまいそうになる。
この瞳には、何度も同じ思いを味わわされた。
消し去ってやる、と意気込んでおきながら、決して成し遂げられなかった宿願。
それが、何よりの証拠だ。
純粋で、何より強い輝きを持ち続けている瞳。
エミヤには、そう感じられる。
その強さが羨ましく、そしてエミヤには眩しい。
きっと殺すことなどできない。
この瞳に射抜かれていながら、刃を突き刺し、この輝きを消すことなど己には不可能だと思い知る。
「間違ってないよ、あんたは」
繰り返し言い聞かせるその頬に、右手を触れた。
びく、とその皮膚が震える。突然触られたことに、士郎は驚いている様子だった。
違和感を覚える。エミヤの手の動きは見えているはずだというのに、まるで触れられてから気づいたような……。
(まさか、こちら側は見えていない、のか?)
あのポッドから出た時、左目には潰れた義眼が嵌めこまれたままだった。その後、ポッドの中に隠されていた士郎の眼球が発見され、それをダ・ヴィンチが返せば、士郎はためらいなく嵌めたと聞く。
瞠目していた士郎の表情が歪んだ。
「っ……」
眩しげに目を眇める表情が、なぜか泣いているように見える。
どうすればいいか、と迷う中、僅かに唇を噛みしめた士郎の顔が見えなくなる。と、同時に身体が横に転がされた。
「え?」
目の前には、士郎の着ているスウェットの生地。頭を抱きこまれていると気づいたのは、髪を撫でられてからだ。
「あんたは、前だけを見ていればいい。余計なこと、考えてる暇なんかないだろ……」
「あ、ああ」
驚きの中、どうにか答える。
「じゃあ、もう、振り向くなよ」
作品名:LIMELIGHT ――白光に眩む3 作家名:さやけ