キス10題(前半+後半)
「 6悲しい言葉を遮って 」2
「アーサーさん、妙な気を使わないでください。これはあなたが持つべきものです」
「考えてみればさ、必要ないんだよ。今はお前がいるから、これがなくても俺は一人じゃない」
「あなたはいつだって一人じゃなかったでしょう。そろそろ認めなさい」
「嫌だ。俺は一人だった。で、お前に逢ってから孤独を抜け出した。っていう方が劇的だろ」
「フィクションじゃないんですから、そんなふうに仕立て上げないでくださいよ」
「つれないな。とにかく、俺がベスといた時間の半分をお前が持ってろ。俺のほうの時間だぞ。別にベスでもいいけど、それじゃ、お前が持ってる意味がないから」
言い訳のようにごにょごにょと続けるアーサーの瞳は、菊も指輪も映していない。視線が定まらないその様子に、菊が笑みを零した。アーサーはなんだよ、とぶっきらぼうに言うが、掌から指輪を奪う手つきはやわらかい。鎖の繋ぎを解く。自分より細い象牙の首に回して下げた。指輪を指先で遊びつつ、大人びた口調でいう。
「それ。自嘲するみたいな笑いは、やめろ」
どっ、と強く、大量の血液が心臓に送られた。思わず呼吸ができなくなるほどに驚いた。
「な? 笑うなら、ちゃんと笑えよ」
白皙の、と形容するに相応しい手指が、頬を滑る。
いつから、気がついていたのだろう。
いつ、悟られてしまったのだろう。
あぁ、嫌だ。だから嫌だったのだ。
「すみません」
気がついてほしくなくて。わがままであなたを邪魔したくなくて。醜い感情をあなたに押し付けたくなくて。そうすることで、あなたの行動を変えたくなくて。だから隠していたのに。今まで上手にやってきたのに。それを、汲み取らせてしまって
「すみません」
「ばか。謝るな。俺だって、ちゃんと見てるんだからな、お前のこと。時間が掛かっても、解りたいって思ってる。いつも考えてるんだ」
みていてくれた。
隠そうとしながらも、零してしまっていた小さなほころびを集めて、アーサーは静かに灯っていた嫉妬に気がついてくれた。あなたの手を煩わせてしまって、あなたの時間を奪ってしまって
「すみま、」
人差し指をくちびるに押し付けられた。それが離されて、代わりに影が降りてくる。受け入れるために、瞼をおろす。触れるだけのくちづけは、菊の嫉妬を拭うには十分な時間をもってしてなされた。だから、止まってしまった言葉の続きは、どこへも行かずに消えることになった。
「――ありがとうございます」
「よくできました」
微笑む二人を引き裂くのは、おそらくは時間だけだろう。
人の事情など知らない時間は、正確に、あるいは無情に刻まれていた。アナウンスが流れ、アーサーの乗る飛行機の搭乗が始まることを告げた。それを聞き、正確さに呆れ、無情さに諦めて苦笑した。
「しかたない。行くか」
「えぇ、そうですね。お気をつけて」
「着いたら連絡する」
「はい。お待ちしています。――アーサーさん、ありがとうございました」
いいって。そういうもんだろ。多分、恋人って。
アーサーの残した言葉がリフレインする。
あれから何度か、やはりあなたが持っているべきではと訊ねてみるが、二度と受け取ろうとしないのだった。頑固な人。と思うが、嬉しいやらくすぐったいやらで、手放したいのかそうでないのか解らずにいる自分とて、素直に受け入れられないところは頑固でもある。人のことを言える義理でない。
彼を見送った夕刻の、橙が小さくなり、藍の部分の多くなった空を見上げながら、一人で歩いた。服の下に隠れた指輪のあたりに、上から手を当てる。いつか寂しさを感じた、あのときの自分を、励ましたくなった。
――大丈夫ですよ。信じていてください。必ずや、あなたの思いは届きますから。
口に出して言う方がスムーズだけれど、言うだけがすべてとも思わない。そう思えるのは、アーサーが一生懸命だからだ。もちろん、菊自身も彼のことを解ろうと、誰よりも先に気がつこうと、目を凝らしている。アーサーもまた同じだったのだ。解ろうとして、言葉をかけ、行動で示し、あらゆる手段で菊をみていてた。
自分は当然だと思っていたことも、相手が自分にしていると思うと顔に熱が集まるが、せっかくの気持ちを無下にもできないし、嬉しいと思っていることはごまかしようがないほどだから、受け入れることにする。
夕方の橙と藍の混ざった空が美しかった。それが余計に想いを募らせるから、自然は鷹揚すぎるくらいに慈悲深い。
......END.
作品名:キス10題(前半+後半) 作家名:ゆなこ