キス10題(前半+後半)
「 7触れる唇、揺れる心 」
滅多なことでは感情の起伏を見せない、というのが隣人たちの見解だけど。どうだろう。俺からすれば、(矛盾しているのは承知の上で、)淡白なりに感情の起伏は激しいと思う。声を荒げて怒鳴ることがあれば、手を上げることだってある。隣人たちと比べてしまえば、多少は穏やかかもしれないけれど、それでも、まったく読めないほどのものじゃないと思う。
「どうしてですか」
読めないはずはないのに、今はまったく分からない。それがひどくもどかしい。出会った頃みたいに、分からない。どう、してだろう。
「さあな」
正直に答えてみるけれど、悲しみも、憤りも見えない。
わからないなら力任せに聞き出してやろうと思うが、それができない間合いを取られている。
「どうしてだと思う」
訊ね返してみる。逆鱗に、触れてくれたらいいのにと願いながら。
「さあ、存じません」
同じ言葉を返してくる。芸のない奴。それで俺が困るとでも?
「じゃぁ、どうするんだ」
「どうしましょうね」
オニクスとペリドットは、磁石の対極のように弾きあっている。それなのに、別の力が向かい合わせようとしていて、結局見つめあい、いや、睨みあいつづけている。
「あなたが、ここから帰ればいいのでは?」
「それで、次はどうするんだよ」
「次? そんなものがあるんですか」
「ないとは言わせない」
すれ違いを恐れるあまり、お互いに連絡しあって、同時に連絡をしあわなかった。肝心なやり取りが、なかったことを、気がついたのは出会ってから。それはどちらが咎められるものではもない。
「笑わせんなよ。俺は帰りたいわけじゃない」
「わかってます。だからお帰りになればいいでしょう。解決しますよ」
「意地を張るの得意だな、お前」
「なにを仰いますか。私は客観的に判断しているだけです」
「だったら、お前はどうしたいかを言え」
言えばあなたはどうするつもりなのですか。
「カバンとコートを取ってきます」
間を詰められないようにしてきたのに、ここで背を向けてしまうのか、私は。負けを、認めるようで悔しい。
「いらない」
要らないじゃないでしょう。そう思いながら歩みを進めていると、案の定掴まれる肩。痛みも、案の定、ない。
「なんでしょう」
「要らないって言ってるんだ」
「ではこういえば言いのですか。――出て行ってください」
すいと上がった手を視界の端に捉え、叩かれることを予感して、思わず目を瞑る。
いつまで経っても痛みは降りてこず、代わりに思わぬ感触が押し付けられた。冷たいくちびるだこと。顎を捉えて、上を向かされたそのまま彼が言えといったのは、さっきの言葉。
「もう一回、言えるもんなら言ってみろ」
「出て、行けば、いい、で、」
おそらく塩辛い涙が、こめかみを伝って落ちていく。上を向かされたままだから言いにくい、だけじゃないと、気がついてしまう。
「なぁ、最後まで言い切れよ」
ゆりかごを揺らす人みたいに優しく響く声が心臓を締め付けた。
こめかみを通る涙が熱を持っていく。
熱い、揺れる、あつい、ゆれる。
「言えないんだろう? 二度と言うなよ」
揺すられてしまえば、私は私でしかいられなくなる。
どうか、
あなたへの好きばかりが詰まったゆりかごを、
揺らし続けて。
......END.
作品名:キス10題(前半+後半) 作家名:ゆなこ