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自分らしく
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彼方から 第一部 第三話

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 互いに言葉が分からないのは分かり切っているはずなのに、焦ったり慌てたり、心の余裕がない時には、言葉を矢継ぎ早に繰り出してしまう。
≪何を言っているのかわからん≫
 それは良い事なのか悪い事なのか――態とかもしれないが、イザークはノリコの言葉をそう言って、自分の荷物から取りだした服を彼女の口に押し当て、遮った。
 その服を持ち、マジマジと見詰めているノリコに、
≪丁度いい、着替えてもらわねばと思っていたところだ≫
 と言いながら離れてゆく。
 言葉は分からないが、服を渡された事で意図は分かった。
 着替えろと、言うことなのだと。

 当然のことだが、男性であるイザークが女物の服など持っている訳がなく、小柄なノリコにはかなり大きな代物だった。
 腕も足も、袖口を何度も巻き返さなければならないほど、彼が貸してくれた服は大きい。
「あの、すいません。お洋服お借りしちゃって」
 そう言って、ずぶ濡れになった制服を持ち、ノリコが物陰から出てきた。
≪…………≫
 松明を持ち、ノリコの着替えを洞窟の壁に寄り掛かりながら待っていたイザーク。
≪かなり大きいみたいだな……≫
 巻き返された袖口と、ぶかぶかと言えるほど有り余っている生地の様子を見てそう呟いた。
≪里に出たら、女用のを手に入れてやる≫
 ひょいと、ノリコが持っていた濡れた制服を取る。
「あ……それ、あたしのぬれた制服……」
 と、ノリコが言っている間に、イザークは持った制服をブンッと振り被り、川へと投げ入れてしまった。
「あ!!」
 慌てて、投げ入れられた制服の行く先を指で差しながら、ノリコは無意識に、イザークの左腕を取っていた。
「あれ、あたしの……っ!」
≪…………捨て場を捜していた。この先は、地下の滝になっている。落ちればもう、誰にも見つけられまい≫
 慌てるノリコに、無表情でイザークはそう言い、取られた左腕をノリコから引き抜いた。
 その仕草に、一瞬ノリコはドキッとする。
 イザークが、自分の物を無造作に捨てられてしまったノリコの気持ちを察したのかどうなのかは分からないが、彼は、
≪言っても分からんだろうが≫
 と、説明を始めた。
≪今、この世界が血まなこで捜している【目覚め】は、あんただノリコ≫
 冷たい目、声音、その表情に、ノリコは何か少し違うモノを感じ、キョトンとしながらもイザークを見詰めている。
≪このあたりで異質なものは確実に目をつけられる。つまらぬ国々の勢力争いに巻き込まれたくなければ、すべてを捨て去ることだ≫
 言い終わると、イザークは踵を返した。

 ――な……なんて言ってるのかわかんないけど、でも、なんか……

 彼が真剣に、しかも自分の為に、何か言っていくれていると言うことは感じていた。
 それが、何かとても重たくて重要で、自分のこれからに関係していることなのだと言うことも。

 ――あ、あたしのカバン……

 イザークが向かったのは、彼の荷物と一緒に置かれていた彼女の唯一の持ち物。
 それを静かに手に取る。
「!! ま……待ってっ!」
 彼のそれまでの言動を顧みて、ノリコは不意に気づいた。
「これまで捨てちゃうの!?」
 必死に鞄に縋り付いた。
「だって、これ、なくなっちゃったら……そりゃ、ここには学校はないけど、でも……でも」
 彼女の手が震えている。

 ――これは……今となっては、あたしと、もとの世界をつなぐ唯一の物だし……

 捨てられてしまったら、手放してしまったら……そんな郷愁の想いが、ノリコの瞳を潤ませていた。


 涙を堪え、鞄に縋り付く彼女を見るイザークの眼に、それまでの冷たさはなかった。
 彼女のこれからのことを考えるならば、この世界の物ではないモノは、持たない方が良いに決まっている。
 だが、今の状況では、それを彼女に理解させるのは難しい。
 本当は、このまま、無理にでも捨ててしまった方が、後々の為なのだが……
 イザークは無言で、鞄の取っ手から手を離した。
 いいの……?と言いたげな表情で自分を見るノリコに、
≪いい……もってろ≫
 と一言言い置き、彼はノリコから眼を逸らすようにして自分の荷物を取りに行った。

 無表情なのは変わりないが、その声音に、少し優しさを感じた気がした。
 鞄を抱え、ノリコは捨てるのを止めてくれたイザークの背中を見詰めている。

 ――なにか……これ持ってちゃいけない訳、あるんだな……

 さっき、言ってくれていたことと、きっと関係があることなのだと思う。
 これまでの彼の行動を顧みれば、制服を捨てたのも、今、鞄を捨てようとしていたのも、きっと……
 ノリコは寂しげに鞄を見詰め、少し考えていた。

「あの」
 荷物を肩に掛け、行こうとしている背中に声を掛けた。
 怪訝そうに振り向くイザークに、ノリコは、
「これ、いいです」
 そう言って、鞄を差し出していた。

 ――あたし、信頼してついてくって、決意したんだっけ

 そう思っても、元の世界と自分を繋ぐ唯一の物が無くなる寂しさは、彼女の眼と鼻を赤く染めてゆく。
 さっき、縋り付いてまで捨てられるのを阻んだモノを、気丈にも自分に差し出してくるノリコ。
 彼女を見るイザークの眼には、思案の色が浮かんでいた。

 ――なぜ

 地下を流れる川の、流れの激しさを物語るように大きな水音が響いている。
 先にあると言っていた大きな滝に、鞄が流れ落ちてゆく。
 
 ――こんな娘が【目覚め】なのだろう……

 樹海の地下に広がる洞窟から抜け出る為の道を、イザークの後に付いて必死に歩き、上へと続いている階段のような登り道を怖々と、土壁の隆起している部分に手を掛けながら、慎重に登ってくるノリコ。

 ――なにかの間違いではないのか

 何の変哲もない、特別な能力があるようにも見えない、華奢で小さくて、弱々しくさえ見える女の子。
 意志の強さは感じるが、それだけだ。
 イザークは迷い、戸惑い、困惑し、疑わずには居られない。
 ノリコがちゃんと自分に付いてくるのを確かめ、待ちながら、様々な考えが頭の中を巡るのを止められずにいた。
 
 そこが目指した場所であったのか、彼は立ち止まり、洞窟の壁に手を当てた。
 ノリコに松明を預けると、その壁を、両手で力強く押し始める。
 周りの壁とどこがどう違うのか、ノリコにはさっぱり分からない。
 だが、イザークは確信しているのか、迷うことなく壁を押し続けている。
 やがて、鈍い音を立てて、土壁に歪で大きな円を描いて罅が入ってゆく。
 細かな土塊を落としながら、壁はイザークの力に屈し、罅が入った形のままに押されてゆく。

≪うおおぉっ!≫
 ――ガコオッ……!

 気合と共に、更に加えられた力に土壁は完全に敗北し、洞窟内に新たな光を注いでいた。
「ひゃあっ」
 松明があるとはいえ、外の光と同等の明るさがある訳では無い。
 薄暗闇に慣れた眼にその光は眩しく、ノリコは思わず手を翳していた。
 バラバラと、穿たれた洞窟の壁から落ちる土塊。
 自分で穿ち、新たに造った洞窟の出入り口に立つイザークを、陽の光が照らしている。
「空だ」
 ノリコがこの世界に来て最初に眼にしたものは、金の苔、そして大きな木の根。