BYAKUYA-the Whithered Lilac-2
Chapter4 月との再会
空中に切れた糸と血飛沫が舞った。
「ハハハハ! それそれそれ! めった切りだ!」
ビャクヤは、顔に返り血を浴びながら高笑いをあげ、ウェブトラップにかかった相手を鉤爪で切り刻んだ。
八裂の八脚(プレデター)は、血に染まり、もとの色と合わさって赤紫色になっていた。
「ぐっ、うう……」
ビャクヤと戦っていた者は、全身をズタズタに切り裂かれ、大量出血で気絶した。
「あれ? キミ弱いなあ……」
ビャクヤは右手を腰に当て、伏し目がちに相対していた男を見る。
血の海に沈む男には、まだ辛うじて息があった。生きている内でなければ、ビャクヤの腹を満たす顕現を得られない。
「まあいいや。そのまま動かないでくれ。下手に暴れられると服が汚れるんでね……」
ビャクヤは、鉤爪で男の首を挟んで持ち上げて無理矢理立たせ、手から顕現を喰らうための糸を放って全身を縛り付けた。
そして、まだ僅かに鼓動する心臓を口元に寄せて、その者の顕現を喰らった。
「……ふう。今日のはまあまあかな。ごちそうさま」
顕現を喰らい尽くされ、空になった男はその場に捨てられた。
「はーあ。何だか飽きてきちゃったなぁ……」
顕現を喰らうことは、今のビャクヤには、食事と全く同じ存在であるため、飽きの対象はこちらではない。
数日前であったか。ビャクヤは、『忘却の螺旋(アムネジア)』という組織に属す不良集団を喰らい尽くした。
その集団のトップにいた男、『猟奇のイグジス、ジャックザリパー』という、かのイギリスで起きた猟奇的連続殺人を想起させる能力を持つ者と戦った。
ビャクヤは、十人は下らない人数を殺しているであろう男、ジャックを討ち倒した。
それ以来、『忘却の螺旋』でもそこそこの実力者であったジャックを倒した、ビャクヤに挑んでみようという、『忘却の螺旋』に属す者たちと戦いの日々を過ごすことになってしまった。
初めの内は、探さずとも出現してくれる獲物に、ビャクヤは喜んでいたものだった。しかし、誰も彼も弱すぎてしかたがなかった。
ビャクヤに挑んでくる者たちは、皆『忘却の螺旋』の実力者を自負していたが、誰もがジャックと同等、もしくはそれ以下だった。
加えて彼らは、ジャックと同様に殺人快楽主義者であったため、ビャクヤは、彼らがこれ以上殺しができぬよう、逃がさず止めを刺してきた。
それが原因で、八裂の八脚は血濡れた赤になり、ビャクヤ自身も血染めになった『偽誕者(インヴァース)』を捕食してきたために、頭髪が赤みを帯びるようになっていた。
「姉さんとの思い出のあるこの場所も。ずいぶん血生臭い所になっちゃったなぁ。まぁ。僕が殺すからだけど……」
最近では、『偽誕者』が徘徊するせいで、虚無の気配も薄れてしまっている。もうここに来ても、姉さんとの思い出の地を汚すだけかもしれない。
「はぁ……ここに来るのもそろそろ止め時かもね。退屈な日々に戻るのか。帰ろうかな……」
辺りになんの気配もなくなったのを確認すると、ビャクヤは『虚ろの夜』を後にしようとする。その瞬間だった。
「おや? この気配は……」
非常に微弱な顕現であるため、今まで察知することができなかったが、ビャクヤは『偽誕者』の気配を感じた。
「まだ妙なヤツが彷徨いていたのかな? ん。この匂いは……」
この広場に集う『偽誕者』とは、まるで違う匂いを感じた。
いつもはとにかく、好戦的な者が血の匂いをぷんぷんさせているのを感じるのだが、今感じ取っているのは、とてもよい匂いであった。
よい匂いであるが、食指が向くような匂いではなく、嗅いでいて心地よい気分になる芳香である。
「何だろう。すごくいい匂いだ。まるで姉さんのような……」
姉さんは、容姿端麗でとてもよい匂いをしていた。
香りのよいものが好きで、ガーデニングで栽培したハーブをお茶にして飲むだけに止まらず、香水を自作したりもしていた。
「まさか。姉さんがこの夜にまた現れているのか……!?」
ビャクヤは、とても落ち着いてなどいられなかった。
「こうしちゃいられない。姉さん。すぐに会いに行くよ!」
ビャクヤは匂いを追い、足早にこの場を後にした。
ビャクヤは、この能力を得てから、嗅覚が非常に発達していた。
嗅覚で有名な生き物といえば、犬であり、その鋭さは人間の何十倍にも及ぶと言われる。
ビャクヤの嗅覚も、流石に犬ほどには及ばないものの、半径にして五十メートルまで匂いを感じられ、近付けば近付くほどその精度だけは犬をも超える。
犬に探知できるのは、精々匂いの対象の位置ぐらいのものだが、ビャクヤには匂いだけで、獲物の位置のみならず、それの大きさ、顕現の強さまでも感じとることができていた。
ビャクヤは、姉さんによく似た匂いをたどり、その匂いの元を追いかける。
顕現を感じる辺り、匂いの元は『偽誕者』と思われたが、ビャクヤの近くに自ら近寄ってはいないようで、集中していなければ匂いの元を見失いそうになった。
しかしついに、ビャクヤは匂いのする位置、どれほどの体長と力を持つのか分かった。
距離にして、もう十メートルもない。その先にビャクヤの探す者は、動くことなくそこに止まっていた。
最早逃げても無駄と判断し、そこに立ち止まっているのか、僅かしかない隠れ場所に隠れてビャクヤをやり過ごそうと言うのか。
いずれにせよビャクヤには、その先にいる者がどのような風体なのか、全て分かっていた。
ビャクヤの想像通り、匂いの元は女のものであり、姉さんと同じぐらいの背丈をしている。
そして、感じ取れる顕現は、これほどまでに近寄っても僅かでしかない。これが本当に『偽誕者』の持つ顕現なのか疑わしくなるほどである。
だが、全ては、あと少し近寄れば明かされる。
ビャクヤは逸る気持ちを抑えつつ、ゆっくりと匂いと顕現の存在するところへ歩み寄っていく。
こつこつ、と靴音を立てながらゆっくり歩み寄る様子は、さながら今から殺しを行おうかという殺人鬼そのものだった。
曲がり角を進み、ビャクヤは十字路に差し掛かった。
そこは木や垣根が植えられ、芝生が広がる、この都市には珍しい緑溢れる場所であった。ここであれば、多少なりとも隠れる場所はある。
しかし、ビャクヤの鼻の前には、そのようなかくれんぼは無駄である。顕現を持つ『偽誕者』相手ならなおさらである。
「さーて。珍しい。こんなところに誰がいるのかな?」
ビャクヤは、これから探し出すと宣言するように、大きめな独り言を言った。
「どこかなー?」
対象の、女のいる位置はもうビャクヤには分かっている。しかし、ビャクヤはわざと子供っぽく、いかにも探している演技をして見せる。
「ここかなー?」
ビャクヤは、女が隠れているすぐ近くの低木に鉤爪を突っ込んだ。
「あれー? いないのかなー?」
ガサっ、と近くの低木の葉が揺れる音がした。
ビャクヤは、腹の中で笑いながら、よりわざとらしい声をあげる。
「あれれー? なーんか今音がしたような気がしたけど。気のせいかなー?」
ビャクヤは、音のした方へと足音高く歩み寄った。
「ここかなー? いや。あっちかなー? 暗いからよく分からないや」
作品名:BYAKUYA-the Whithered Lilac-2 作家名:綾田宗