BYAKUYA-the Whithered Lilac-2
「受け身はまあまあ取れるようね。言いつけ通り顎を引き続けていたようだし、もっと素早い投げ技をかけても大丈夫かしらね?」
「いたたた……」
頭を守れたものの、尻餅をついた上、腰まで打ち、ビャクヤはなかなか立ち上がれなかった。
「何をしているの。早く立ちなさい。まだまだ訓練は始まったばかりよ」
「勘弁してよ。姉さん。これじゃあちこち痛めて。戦いどころじゃなくなっちゃうよ……」
「甘えた事を言ってないで立ちなさい。あなたの能力がいくらすごくても、受け身もろくに取れないのでは、転んだ拍子に頭を打って、そのまま死ぬわよ」
「だけど……」
ビャクヤは、まだ納得が行かないようだった。
「あら、私の言うことが聞けないのかしら。私はいつだってあなたの前から消えることができるのよ?」
「ぐっ……」
ツクヨミは、ビャクヤの弱味に漬け込み、高圧的な態度を取り、そしてビャクヤにとって恐ろしい笑みを見せる。
「約束を守れないようなら、さよならよ。あなたが私に付き従う義務はないし、逆に私があなたを側に置いておく必要だってない……」
ツクヨミは、最後の追い打ちをかける。
「ビャクヤ、これ以上は言わないわ。私の言う通りになさい。さもなくば……」
「分かった。分かったよ!」
ビャクヤは、屈辱よりも姉の姿が目の前から消えてしまう事に、恐怖した。
「姉さんの言うことならちゃんと聞く。聞くから。僕の前からいなくならないで!」
ツクヨミは一瞬、冷徹な笑みを浮かべた。
「それでこそ我が弟よ、ビャクヤ。さあ、夜までもう時間がないわ。訓練の続き、始めましょう」
その後もツクヨミによる、ビャクヤへのしごきが続いた。
軍隊格闘最強と名高い、コンバットサンボに、柔よく剛を制す、まるで無駄のない護身武術、合気道の心得があるツクヨミに、能力を発動していなければ雑兵以下のビャクヤが敵う余地はなかった。
間合いを詰められては何度も掴まれ投げ倒される、もしくは関節を極められる。時には肋間に当て身を入れられ、後から来る鈍い痛みに悶絶した。
それでも、ビャクヤには休む間もなく、悶え苦しむ一時すらも与えられず、ツクヨミの訓練は続いた。
やがて日が落ちて、夜になってから、ツクヨミの鬼のような訓練は終了した。
「暗くなったわね。今日の訓練はこれくらいにしておきましょう。『虚ろの夜』に行くわよ。さっさと準備なさい」
ビャクヤは、何度となく投げられ、地面に転がされたせいで、全身土まみれとなり、肌の露出している所は擦り傷だらけで血が滲んでいた。
「いたたたた……全身が痛いよ……」
ツクヨミが家に入っていった後も、ビャクヤは、しばらく地面に横たわっていた。
感じるのは、身体中の痛みだけではなかった。
いくらツクヨミが、最愛の姉に酷似している姿であっても、本当の姉に対しては抱かなかった感情があった。
――ツクヨミ……――
生まれて初めて姉に、実際には姉ではないものの、敬愛する者に憎しみを抱いたのだ。
――あんなやつ。姉さんじゃない……! 姉さんはいつも僕に優しくしてくれた。もちろん。時には怒られることもあったけど。ぶたれる事はなかった!――
ツクヨミを憎みながら、ビャクヤは、痛む体に鞭打って立ち上がる。
――あんなやつ! ……あんなやつ……――
ビャクヤは不意に、落ち着いて考える。
――彼女は。もとから姉さんじゃないじゃないか。姿は確かに似ているけど。姉さんじゃない……――
ビャクヤは、憎しみから一転して、恐怖を感じた。
ツクヨミを姉と認めなければ、自らは再び存在意義のない、空の『器』となってしまう。
――姉さんを姉さんじゃないと認めてしまったら。僕はまた生きる意味を失うのか……? そうなれば。また……――
ビャクヤは、姉を失い、無意にして呆然と過ごしていた時の気分を思い出してしまった。
「姉さんがいなくなる……そんなの絶対に嫌だ!」
かといって、今の生活が今後も続くのも嫌だった。
――僕は。一体どうすれば……――
さーっ、と風が吹いて月が雲に隠れ、ビャクヤは暗闇に包まれるのだった。
作品名:BYAKUYA-the Whithered Lilac-2 作家名:綾田宗