BYAKUYA-the Whithered Lilac-2
自ずと視線が行ってしまうのは、胸元である。そこには、ツクヨミにとって決して消せない烙印がおされている。
「…………」
ツクヨミは、その烙印が目に入るとすぐに視線を反らした。そして下着を脱ぎ、浴室に入る。
ツクヨミは、気持ちを鎮めようと、シャワーを頭からかぶるように浴びた。濡れた髪の毛が身体にへばり付く。
顔にも髪がくっついて視界が悪くなったが、前髪のわずかな隙間から、視界にすら入れたくもない胸元の烙印がどうしても目についてしまう。
「ゾハ、ル……」
ツクヨミは、誰かの名前らしい言葉を零した。
――いつもオーガの隣にいたのはお前、必要とされていたのはお前! お前、お前お前お前お前お前……! お前がいなければ……! お前さえいなければよかった!
――アハ、アハハハハハ……! やってやった。割ってやったわお前の『器』! これでオーガはうちのものだ! オーガの隣にいていいのは、これでうちで決まりだ!
ツクヨミの脳裏に、あの日の出来事がありありと甦ってくる。
ツクヨミの胸元にある、赤黒く残る刺傷。これは、ツクヨミの『器』が割られたときにできたものだった。
傷そのものは浅いものの、漆黒の蝶のような左右対称にできた痕は、ツクヨミにとって罪の烙印そのものだった。
あの子の気持ちに気づいてあげられなかった。これは償っても償いきれない罪であるが、自らの命を以てしても購うことはできない。
――私にできることは、罪を受け入れた上で、暴走した彼女の『器』を割る。そのためにも、少しでも早くあの子を見つけなくてはならない――
ツクヨミは、シャワーを止め、雫が滴る前髪の隙間から、鏡に映る自分の顔を見据える。
「……そのためならば、私は鬼にでも悪魔にでもなりましょう。ビャクヤという奴隷を使役する、最悪の、ね」
ツクヨミは、胸の傷痕を見ることで、決意を新たにするのだった。
※※※
夕暮れ時、西日の照りつける部屋の温度が急上昇し、ビャクヤは堪らず目を覚ました。
「あっついなぁ……」
ビャクヤは、顔中の汗を手の甲で拭う。汗は顔だけではなく、体にも噴き出して、前を全開にしたワイシャツを濡らしていた。
「うへぇ。気持ち悪い……」
ビャクヤは、ワイシャツを脱いで上半身裸となる。
「うわ。最悪だな。シーツまで汗が……染みになっちゃうよ。すぐに洗わないと。あーあ。面倒だなぁ……」
ビャクヤは、ベッドから這い出ると、タンスから適当にシャツを選び、それを着た。
「掃除もしないといけないね。面倒だけど。姉さんとの約束だからね」
家事を片付けようとするビャクヤの部屋のドアが、ふとノックされて開いた。
「……やっと起きたようね」
そこには、学校指定の体操着姿のツクヨミがいた。
「ツクヨミ姉さん。どうしたの? そんな似合わない格好して」
ビャクヤの言葉には悪意はない。ただ、文学少女風なツクヨミに、丈の短い体操服は似合わない、という意思から出た言葉だった。
ツクヨミも、年齢を考えれば、この格好には無理があるということは分かっていたが、流石にすっぱりと似合わないと言われては少し頭に来てしまう。
「御大層な言葉、どうもありがとう。ビャクヤ、あなたも動きやすい服に着替えて表に出なさい」
「姉さん。何をする気なの?」
「いいから早く着替えなさい。答えはその後に教えるわ」
ツクヨミは、これ以上ビャクヤに何も喋らせず、学校指定のジャージに着替えさせた。
そして二人は、庭に出た。
「……全く。急にこんな格好にさせて。僕はこれから洗濯と家中の掃除をしなきゃならないのに」
ビャクヤは、ぶつぶつと文句を言う。
「それで。一体何するつもり?」
「あなたを鍛える。いえ、あなたと言う刃を研ぐわ」
ビャクヤは、言われたことがすぐに理解できなかった。
ツクヨミは、ビャクヤのそんな様子に気が付き、言葉を変える。
「言い方が悪かったわね。分かりやすく言うと、あなたには戦闘技術を身に付けてもらうわ」
ビャクヤは、ツクヨミの言葉の意味は分かったが、そのような事をする意図が分からなかった。
「戦闘訓練? そんなことしなくても。僕には能力がある。第一。能力者同士の戦いで。人間の技が通用すると思えな……」
ビャクヤが肩をすくめ、ツクヨミの言う戦闘技術の無意味さをだらだら喋っていると、ビャクヤは、片手を取られて腕をピン、と伸ばされて肘を極められた。
「いたたたた!? なに! なんなのさ! ギブ! ギブアップ! 折れるって!」
ツクヨミは、手を離した。ビャクヤは、これまでに感じたことのない痛みを受け、まだ痛む肘を抑えて地面に転がった。
「今のは不意打ちだったけど、素早い手練れが相手だったら、あなたの鉤爪を掻い潜って骨の一本でもへし折るかもしれない。戦闘において片腕、それも利き手をやられたら終わりよ」
ツクヨミも『偽誕者』ではあるが、前線に立って戦う、といった類の能力ではなかったために、後ろまで迫ってきた敵からの護身のために格闘技や古武術を身に付けていた。
「……いったいなー。でもさ姉さん。今のは不意打ちな上僕が非力だからできたんじゃないの? 本当にこれが役に立つの?」
ビャクヤは、やられたのが一瞬のことだったために、攻撃しようとしている相手に本当に通じるのか疑問であった。
「だったら、次は私に攻撃してきなさい。ただし、能力の使用はなし。ここは男らしく素手でかかってきなさい」
ツクヨミは、右足を後に引いた。足だけではない、右半身全てを引いた。左半身が前面に出る、左半身(はんみ)という構えを取った。
「遠慮はいらないわ。顔でもお腹でも、好きなところを殴りなさい」
ツクヨミは言うが、ビャクヤは尻込みするだけだった。
ビャクヤは、能力を得る前は喧嘩などからっきしであり、人を殴るような真似はできない性分であった。相手が女、しかも姉のツクヨミとあっては、尚更である。
「ねえ。やっぱりやめようよ。姉さんを殴るなんて僕には……」
ツクヨミは、呆れたように、大きくため息をついた。
「訓練でも殴れないだなんて、先が思いやられるわね……仕方ない、ビャクヤ、自分のへそを見るように顎を引きなさい。これから何が起きても絶対に首を上げては駄目よ」
ビャクヤは、言われたように顎を鎖骨にくっ付け、顎を引いた。どう視線を外そうとしても、視界には自分の腹が見える。
「えっと。こうでいい?」
ビャクヤは、上目遣いでツクヨミに確認した。
「それでいいわ。後はさっきも言った通り、何があってもへそを見ていなさい」
「うん……」
ビャクヤが視線を戻したのを確認すると、ツクヨミは、接近してビャクヤの左手を取った。
「何を!?」
「怪我したくなければ、言われた通りにしていなさい!」
ツクヨミは、取ったビャクヤの手を両手で持って回転し、ビャクヤの肘を畳むような形にした。
そして、畳んだ肘をビャクヤの後に突き出すように、ビャクヤの拳を真下に落とした。
「うぐっ!」
ビャクヤは、後ろに崩れて尻餅をついた。しかし、それ以上は倒れず、顎を引いていたおかげで頭を打つようなことはなかった。
作品名:BYAKUYA-the Whithered Lilac-2 作家名:綾田宗