BYAKUYA-the Whithered Lilac-2
顕現とは本来、虚無が存在するために必要とする糧である。虚無の持つ顕現を、僅かばかり身に宿しているのが能力者であり、純粋な人間ではなくなるために、そうした者を『偽誕者』といつしか呼ばれるようになったのである。
僅かばかりの顕現で『偽誕者』となる人間の、いや、人間そのものという『器』が、限界を越える顕現を受け入れてしまえばどうなるか。
ロジャーという『器』は、『深淵』の放つ顕現を受容してしまった。それも、彼の『器』が破れるほどに。
顕現が人間の『器』を破るほどに流れ込んだ結果、その人間はその瞬間に虚無となる。
ゴルドーら能力者はその様を、『虚無落ち』と呼んだ。
「……あの場に俺が戻ったとき既に、ロジャーは、俺の知るロジャーじゃなくなっていた……!」
ゴルドーは、口惜しそうにギリッ、と拳を握りしめた。
――虚無に落ちた者の噂、どうやら本当だったようね……――
あの戦いの日以降、どこかへ行ってしまった親友を捜すため、ツクヨミは、様々な方法で情報を探っていた。
その中で耳にした噂として、虚無に落ちた人間の事があった。
ツクヨミは確信した。件の戦いの後、行方不明となっている者の内、二人は死んでいる。虚無に落ちた者に殺されたオーガ、そして虚無へと落ち、人間としての死をとげたロジャーの二人である。
「……ここからが俺の人生で最悪に情けねぇ話だ。ロジャーを誘っちまったのは俺だ。全てのケリをつけなきゃなんねぇのも俺だった。虚無に落ちちまったアイツを、終わらせてやらなきゃならなかった。だが、実際はどうだい? 最強だなんだ言われながら、足が震えて一歩も動けやしなかった。テメェのダチ一人、楽にしてやれなかった。俺はとんだ臆病者さ!」
ゴルドーは余りにも悔しく、つい大声を出してしまった。しかし、すぐにはっ、となり、すまねぇ、とツクヨミに詫びる。
「気にしてないわ。あなたの気持ちは痛いほどに分かる。私も親友を知らず内に傷付けていたことに、気が付いてあげられなかったわ。そして離ればなれに……さっきは信じてるなんて言ったけれど、生きているのかは正直なところ分からないわ……」
ゾハルもロジャー同様、『深淵』の顕現に当てられていた。完全に落ちてしまう前に逃げ出したのか、ゾハルはまだ自我を持った人間であった。
「……あの子は、オーガに特別な気持ちを持っていた。それには薄々気付いていたわ。けれど、私の能力は顕現を強化するもの。故に、戦闘はいつもオーガと一緒で、まさに彼の右腕だった。こうして私は、あの子から恨みを買うことになってしまった……」
ゾハルがツクヨミの『器』を割る直前、彼女は思いの丈をツクヨミにぶつけた。
体のあちこちが『深淵』の顕現に蝕まれ、冷静さを欠いていたか、それともその顕現によって、恨みや妬みの負の感情が増幅させられたのか。深意は分かりかねたが、全てが全て顕現のせいではないように思えた。
「お嬢、アンタ……」
ゴルドーはツクヨミが、自分と同じくらいの後悔を背負っているのだと感じた。
「あら、ごめんなさい。こんな事聞かされても、困るだけね。忘れてちょうだい」
「いや、構わねぇよ。俺の方も散々話を聞いて貰ったしな。おあいこにしようぜ……っと!」
ふと、ゴルドーは大鎌を地面に突き刺し立ち上がった。大鎌の柄からゴルドーが手を離すと、大鎌は雲消霧散するように消えた。
「どうしたの?」
「いや、何だか今日の『夜』は妙な感じがするんだ。吸ってて気分が悪くなるような空気が辺りに充満している……」
ツクヨミにはあまり、異常を感じることはできなかった。
「そうなの? 私には特に……」
これも『器』が割れたせいか、ツクヨミは、顕現の変化には気付けない。
しかし次の瞬間、ツクヨミでも感じ取れるほどの、異常な顕現の風が二人を吹き付けた。
「オイオイ、いきなり随分と風が騒がしいな……」
ゴルドーは、軽口を叩く様に言うが、その表情は真剣そのものだった。
「っ!? この感じは……!」
ツクヨミはその顕現に、覚えがあった。いやむしろ、忘れることなどできない、あの感じである。
「来るぞ、お嬢!」
ゴルドーはツクヨミを横抱きにし、そのまま後ろに飛び退いた。
シュトッ、と音を立てて、針のようなモノがゴルドーのいた地面に刺さった。
「ごーよくみぃつけた!」
ゴルドーは声のした方を、顔をしかめて見た。
謎の影が木の上から街灯の上へと跳び移りながら迫ってくる。
「そんな、まさか……!?」
ツクヨミは、ゴルドーの腕の中で驚くしかなかった。
影は地へと降り立ち、ゆっくりと歩みを進める。やがてその顔が見えた。
その者は、短い真っ白な髪で、顕現に浸食されかけた片眼に包帯を巻いてその上に赤い縁の眼鏡をかけていた。
赤黒く光る眼が、二人を捉え、その口元を大きく歪めていた。
作品名:BYAKUYA-the Whithered Lilac-2 作家名:綾田宗