彼方から 第一部 第五話
並べられた遺体を見回しながら、薬草を持った恰幅のいい男が、特に怖がる様子も同情すらも見せずにそう言っている。
怪我をして歩けない行商人の若者を抱え、戸口に立つイザークの体の陰から、そっと、中を覗き見るノリコ。
「内臓破裂、全身骨折、加えて出血多量」
並べられた遺体の中には、口から血を流し、白目を剝いている者や、体のそこかしこから血が流れ出ている者も……
「わしごときに治せるわけがなかろうが」
空いているベッドの脇に置かれた椅子に腰掛け、医師はパイプを吹かし、そう、開き直っている。
「兵隊じゃないか、この国の!」
「そうだよ」
イザークに抱えられたまま、ベッドに連れて来られた若者が、並べられた遺体が着ている服を見て驚く。
だが誰も、その遺体を怖がりもしないし、忌避すらしない。
それがこの世界の常であるかのようだ。
「…………」
ノリコだけが、蒼褪めた顔で遺体を見ていた。
一言も発しない、いや、言える言葉など覚えていないのだから発する事など出来ないだろうが、理由はそれではなく、未だ、元いた世界の常識の方が上回っているノリコにとって、数多くの遺体を見たこと、そのことが衝撃なのだ。
「こんな田舎にも戦の波が……」
「昨日な、樹海の周囲に兵隊さん達が集まってるって噂は聞いとったんだ。こっから遠いし安心しとったら、今朝になってまあ、ドヤドヤ運び込まれて」
若者の呟きに、恰幅のいい男がそう説明してくれる。
「樹海……」
男の説明に、イザークは言葉を反芻していた、ほぼ無意識に。
「刀傷はわかるとして、あとのは、どんな力をもってこうなったのやら…………」
パイプを銜えたまま、ベッドに寝かされた若者の傷を診て、遺体に眼をやり、そう呟く医師。
「おそ……ろしい……」
もう一つのベッドに寝かされていた兵士が、掠れた声で、医師の言葉に反応したかのように口を開く。
「この中で唯一の生き残りだよ」
淡々と、若者の傷の手当てをし直しながら、そう教えてくれた。
「あの男……」
負わされた傷の痛みか、それとも、その時の恐怖によるものなのか……兵士の言葉は弱々しく、ほとんど呻き声のようにしか聞こえない。
苦しげに顔を歪める兵士の脳裏には、何が浮かんでいるのだろうか。
*************
―― さまざまな国から【目覚め】を求め、我が国ザーゴへ来るだろう ――
―― さしあたり、隣国グゼナ ――
―― リェンカ、タザシーナ、まず先を、先を争って空からくる ――
兵士の記憶、鮮明なる――恐怖の衝撃……
「やったぞ!」
「敵の翼竜はすべておさえた!」
「しかし、すでに樹海に入り込んだ奴らがいるぞ」
「なあに、それこそ好都合」
「花虫に食われればよし、また、万が一……」
仲間の兵士たちが、樹海の入り口に繋ぎとめられていた翼竜を抑えている。
その入り口を囲み、兵士たちは樹海の中に入りこんだ、翼竜の乗り手たちを待ち受けている。
「【目覚め】をもって出てくれば、それを奪うまで。我々は労せずして【目覚め】を手に入れることができるのだ」
樹海からでてきたのは、同じく翼竜で来たグゼナの兵を倒した、リェンカの傭兵たちだった。
「やめろ、無駄なことだ。我々の手中に【目覚め】はない。何者かがすでに持ち去った後だった」
傭兵たちの隊長らしき男が、ザーゴの兵士等に向かって、落ち着き払った様子でそう言ってくる。
それぞれが手に剣を持ち構えている兵士たちを前に、リェンカの傭兵たちは動じる様子すらない。
中でも、好戦的な眼を持つ、グゼナの兵を翼竜から見えない力で叩き落とした男は……
「ぎゃああっ!」
―― べしっ!! ――
「ケイモスやめろっ! 翼竜は奪い返した! それ以上無益な殺生はするな!」
「いいねぇ、この悲鳴――この感触、ゾクゾクする」
……愉しんでいた。
「殺戮はおれの仕事。おれの本職。おれの娯楽」
そう言って憚らない。
「アゴルよ、腰抜け隊長よ」
ザーゴの兵士を何人もその手で痛めつけ、殺し、足蹴にし、睨み付ける。
「てめぇの指図にゃ、従わねえ!」
おそろしい…………男……
*************
「う……ん」
兵士の脳裏には、恐怖の記憶が何度も蘇っているのだろうか。
顔を歪め、呻くばかりだ。
――この人、苦しそう……
軽く握った手を自分の口に当て、ノリコは体中、包帯で巻かれた兵士に、不安と心配が混ざった眼を向けていた。
――なんとかならないのかしら
状況も、兵士の傷の具合も何も分からないノリコ。
自分の傍らに立つイザークを、そのままの想いをぶつけるように見詰めることしかできない。
「ショックか? ここでは、こんなこと日常茶飯事だ。いちいち気にしていたら神経がもたんぞ」
――な……なんて言ってるのかわかんない
戸惑わずにはいられない……こんなに、人の死を間近に見せられたことはない。
端正な顔立ちで見せる冷たい表情から、彼にとって苦しんでいる兵士も床に並べられている遺体も、取るに足らない事柄なのだと、ノリコには感じられた。
しなやかに肩に流れる黒髪が、口調の冷たさを強調しているように思える。
手当をした医師も、薬草らしきものを持っていた男の人も、イザークと同じような反応だった……冷たさがないだけで。
改めて、自分が居た世界とは異なるのだと、認識させられる。
「あんた!!」
不意に、行商人の若者の手当てをしていた医師がイザークに声を掛けた。
「あんた本当か? 今、この人から聞いたんだが……」
そう言って、イザークの手を掴んでくる。
「あの盗賊の頭を切りつけたって、本当なのか?」
怪訝そうに自分を見るイザークに、医師は彼の手と腕を掴んだ自身の手に、無意識に力を込めていた。
――バタンッ!
必要以上に大きな音を立てて、診療所の扉が開かれた。
「きゃっ!」
慣れない状況に少々ビクついていたノリコは、思わず小さく叫び、壁際まで逃げてしまっていた。
「棺の用意は出来ているか?!」
横柄な態度と不必要な大声で入ってきたのは、並べられている遺体と同じ制服を身に纏い、後ろに従えた二人の男とは違う色の帽子を被った、出っ歯で口髭を生やした男だった。
「我々は明朝、ここをたつんだ。それまでに馬車も用意しろ! 棺を積むんだからな! ったく、いつまでこんなところに兵を寝かせておくつもりだ!?」
ずかずかと入り込み、大声で怒鳴り散らす出っ歯の男。
「ん?」
診療所の中ほどまで入り込み、そこでやっと、イザーク達の存在に気づいた。
――あ、びっくりした……なんなの、このおじさん
ノリコは思わず、壁に張り付いてしまっている。
「ああ、隊長さん。それは悪いと思うております。なにぶん、ベッドがなくて……」
「なんだ!? こいつらは」
医師の説明を無視し、隊長と呼ばれた出っ歯の男はイザークを指差し怒鳴りつけ、睨み付けた。
「今しがた、このケガ人をつれてこられた旅の人だべ」
あの薬草を持っていた、恰幅の良い、恐らく医師の手伝いをしていると思われる男性がそう、執り成そうとしている。
作品名:彼方から 第一部 第五話 作家名:自分らしく