彼方から 第一部 第五話
「フン! なるほど、行商人に渡り戦士、そして島の娘か。妙な取りあわせではないか」
男性の言葉に、出っ歯の隊長は不躾にじろじろと全員を見回している。
仕舞いには……
「あやしい!! 所持品検査をしろ!!」
と言いだした。
「はっ!」
部下は姿勢を正し、小気味良い返事を返している。
「ま……待って下さい。あなたは、この町へ来られてから、よそ者と見ればつっかかっておられる。もっと穏やかにしていただかねば……」
医師が慌てて、隊長の横暴を止めようとしてくれる。
「なんだ、きさまっ! 軍に逆らう気か、このヤブ医者が! 兵の命も助けられぬくせに、わたしに意見するなど……」
意見したらどうしようと言うのだろうか……横柄で無駄に偉そうな男の態度は、悪い軍人の見本のようである。
――あー、このおじさん、やかまし
始終大声で怒鳴り散らす隊長。
言葉の分からない彼女にとって、それはただの騒音に他ならない。
あまりの喧しさに、ノリコは瞼を強く瞑り、耳を塞いでしまっていた。
――バフッ
隊長の背後から伸びてきた手が、瞬時にその口を塞ぎ、騒音を止めてくれた。
「静かにして、もらえまいか?」
左手で隊長の口を抑え、右腕でその動きを止めている。
イザークは隊長の耳元で、そう呟いた。
自分よりも少し背の高い彼の、端正な顔と流れる綺麗な黒髪が視界の端に映り、隊長の眼は釘付けになる。
「きさ……」
自分たちの隊長への無礼な行為に、二人の部下が、剣の柄に手を掛けていた。
「そこのベッドを見てみろ」
その動きを牽制し、イザークは部下の兵士たちの注意を、唯一の生き残りである仲間の兵士に向けさせた。
「あんた達の仲間だろう、重傷の身で、さっきからの騒音や大声はこたえているはずだ」
「あ……」
そう言われるまで、仲間の存在に気づきもしなかったのか、兵士二人は思わず、剣の柄から手を離していた。
「おれ達に逆らう気はない。荷物は外だ。検査でもなんでもするがいい」
そっと、隊長から手を離し、イザークはそう言うと、先に立って外へと歩き出した。
「ま……ま……待て、きさま」
顔を少し赤らめ、イザークを止めようとする隊長。
だが、先ほどまでの勢いはなく、大声でもなくなっていた。
フッ――と、診療所を出てすぐ、小さく息を吐くイザーク。
誰も気づかぬほど、小さく……
――フッ
と、幾つもの家屋の戸口に掛けられている外灯が消えてゆく。
「ん?」
軍の兵士たちがイザークの後に続いて外に出た時には、辺りは暗闇となっていた。
「まっ暗ではないか、日が暮れたというのに外灯もつけないのか」
「妙だな」
「来るときはついていたが」
隊長よりも、部下の方が幾分冷静なようだ。
イザークの瞳が、一瞬煌めく。
――ガシャアンッ!
まるで、兵士たちの不審を他に逸らすかのように、暗闇の中に大きな音が響く。
「なんだ!? おい、医者! 灯をもってこい!! 住人に外灯をつけろと言え!」
隊長の、少しヒステリックにも聞こえる命令が飛んでいる。
イザークは静かに、気配を感じさせることなく動いていた。
自身の荷物からスルッと、何かを取り出す。
「そうだ、あの若造は……」
騒ぎに気を取られ、イザークのことをすっかり失念していた隊長。
ハッとして振り向いたその先に……
「ここにいる」
「わっ!!」
イザークはいた。
「ば……ば……ば、ばかもの、い……い……いきなり、わたしに近づくな」
「……隊長」
「何、赤くなってどもっているんです?」
――お前らも同じ目に遭って見ろ――
心の中で、隊長はそう思ったかも、知れない……
診療所の戸口に手を掛け、顔を覗かせているノリコ。
――どうしよう、荷物調べてる
――あたし、イザークのバッグに入れてもらってる物、あるんだ
「隊長、瓦が落ちただけでした」
馬車の荷台に乗り、行商人の荷物やイザークの荷物を調べている隊長に、部下がそう報告している。
辺りは新たに外灯が灯されている。
――も……もしかして、まずいんじゃないかなァ
兵士たちの行動を、腕を組み、少し離れた所で見張るように見ていたイザーク。
ノリコの気配に気づいたのか、スッ――と、彼女に視線を送った。
少しだけ、ほんの少しだけ口元を歪めただけに見える笑みを、少し不安げに兵士たちの様子を見ているノリコに向ける。
まるで、自分が何を心配しているのか分かった上で、イザークが見せてくれた……そんな笑みに彼女には思えた。
「いったい、何事が起こっているんですか?」
診療台の上で、治療を終えた行商人の若者が、医師にそう訊ねている。
「なぜ、あんなに我々につっかかるのでしょう。ただの旅人なのに」
「ああ」
若者の疑念に、医師は答えてくれる、
「樹海に【目覚め】が現れたんだと」
と……。
「目……!!」
若者は驚きで、それ以上言葉にならない。
「だが、誰かが持ち去り、行方がわからなくなったらしい。彼らはそれを捜しているのさ」
医師は淡々と、疑念に答え続ける。
「この世の大気は何年も前から、占者を通じて我々に告げてきたが、それが現実になってしまったのだ。ああ、難儀なことだな、【目覚め】がこの世に現れた。【目覚めさせる者】が……」
―― 今はまだ眠る……【天上鬼】を目覚めさせる者が ――
それは、『何』なのか……
この世界の夜は暗く、星と月がとても明るい。
月明りは建物の影を浮かび上がらせ、水面にその光の帯を映しだす。
暗がりを好み活動する者を内包しながら……
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―― 自由都市 リェンカ ――
「だが、どんなにすぐれた占者でも、【目覚め】の姿はわからない」
「そうです、エルゴ様。だって大気はひどく入り乱れていて、読みにくいんだもの」
「小さいくせに、いっぱしの口をききおるな、おまえの娘は……なぁ、アゴル?」
豪奢な造りの大広間。
大きな燭台がいくつも置かれ、壁にも同じつくりの燭台があり、火が灯されている。
一番奥は床よりも数段高くなるよう、階段が設えてあり、絢爛豪華な絨毯が敷かれた長椅子が置いてある。
長椅子の背後には劇場の緞帳のような豪奢な幕が掛けられていた。
床も大理石が敷き詰められ、惜しみなく、金が使われていることが窺える。
その長椅子に一人の男性が、肘掛けに凭れて横になっていた。
年の頃は三十を少し超えたぐらいだろうか。
その男性の前に腕組みをして立っているのは、小さな女の子にエルゴ様と呼ばれた五十にほど近い男性だった。
エルゴの前には、緩く波打つ金の髪を首の後ろで一纏めにした、後姿の凛々しい、長椅子に横たわる男性とあまり年の差を感じさせない、アゴルと呼ばれた男性が立っている。
彼の上着の裾を、その小さな手で握り締めるように掴み、小さな女の子が寄り添うように立っている。
彼は、その小さな女の子の父親であり、リェンカの傭兵隊の隊長を務めている者だった。
「さて、【目覚め】を奪い去った者を追いもせず、のこのこと舞いもどった訳を申してみよ。ラチェフ様にお聞かせするのだ」
偉そうな態度と言葉遣いのエルゴ。
作品名:彼方から 第一部 第五話 作家名:自分らしく