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自分らしく
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彼方から 第一部 第五話

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 そのエルゴが、自分よりも明らかに年の若い、長椅子の男性を『ラチェフ様』と呼ぶ。
「我々が体に塗っていったコズの油は、花虫は遠ざけても、日が暮れた後に現れる化け物達は防げません。わずかな痕跡だけで、あの迷路のような中を捜すには時間がなさすぎました。部下達の命を無駄になくすよりはと、引き上げたのです」
 淡々と、理路整然と、非を責めて来るかのようなエルゴの言葉に臆することなく、アゴルはその訳を述べた。
 ラチェフも同様に、その訳に、耳を傾けている。
「お聞きになりましたかラチェフ様、このふがいなさっ! だからあのケイモスも、見限って隊を出て行ったんだ。せっかくわたしが推薦して入れたケイモスが……」
 エルゴはアゴルを指差し、この失態の責任の全てはこの者にあると――隊長としての彼の判断よりも、その隊長を見限り、出て行ってしまったケイモスと言う男の判断の方が正しいのだと、言葉にそう含ませて訴えている。
 そう、『自分が』推薦した男が正しいのだと……
「お言葉ですがエルゴ代表。無茶をすればいいというものではありません」
「なっ!!」
 一人興奮しているエルゴに、アゴルは正論を冷静に返している。
 その顔に、エルゴを蔑むような色も、また、反抗的な色も、浮かんではいない。
 与えられた職務をその責務を全うする為に、状況を冷静に把握し適切な判断を下す。
 隊を一つ任された者としての当然の行動を、遂行しているに過ぎない。
「また、きさま、わたしに口ごたえをする気か?! いつも、いつも、いつも、いつも!」
「落ちつきなさい、エルゴ殿」
 アゴルの返しに更に興奮し、顔を真っ赤にして苛立ちを露わにしている。
 そのエルゴを、ラチェフは静かに立ち上がりながら、一言で諌めた。
「こ……これは、失礼。わたしとしたことが……」
 ハッとして、エルゴは即座に口を噤み、ラチェフの歩みを遮らぬよう、道を開ける。
「それでアゴル、【目覚め】の消息は?」
「今のところ不明です。とにかく情報がなさすぎるのです。とりあえず、ザーゴ国内をさぐらせてはいますが」
 手を体の後ろで組みながら、ラチェフはアゴルに歩み寄る。
 絹のようにしなやかに流れる黒髪を一つに纏め、細面の顔立ちに通った鼻筋、弓のようにきれいな眉、細く切れ長な眼を持つラチェフ。
 彼が近寄ると、アゴルの娘はすぐに、父の上着の裾を掴みながら、その後ろに隠れてしまった。
「ジーナハースといったな、娘」
 腰に手を当て直し、ラチェフは隠れてしまったジーナハースを咎めることなく、そう声を掛ける。
「盲目で、幼少ながら最近になって、占者としての稀代なる才能が現れてきたと聞く。それで今日は、一緒に来てもらったのだが……」
 細く、ふんわりとした波打つ髪を持つ小さな占者、ジーナハース。
「やはり、【目覚め】の居所は見えないのか?」
 急くことなく、咎めることなく、ただ静かに、ラチェフはそう訊ねる。
「う……うん」
 ジーナハースはその声音に誘われるように頷いていた。
「なんかね、色んな色がぐちゃぐちゃしてて、なにがなんだかわからないの。でも、どの国もまだ手に入れてないってのはわかるの」
 彼女の眼にラチェフは映らないが、ジーナハースは声が聞こえた辺りに眼を向け、答えていた。
「うちの占者と同じことを言いおる」
 彼女の、占者としての答えに満足したかのように笑みを浮かべ、
「併し、いったい何者が奪い去ったのか。数々の国をだし抜いて……」
 ラチェフはそう呟く。
「それはわかりませんが、ただ……相当な使い手であることは確かです」
 アゴルの言葉に、ラチェフは興味を持った。
「樹海で我々は花虫を見ました。真っ二つに切られ、中身は共食いでやられた抜けガラをです。本来なら、その皮膚は異常な弾力に守られて、刃物を通すことすら困難なはずなのに……」
 アゴルの脳裏に、樹海で見た花虫の無残な姿が浮かぶ。
「ケイモスなどは、それにひどく自尊心を傷つけられたようでした」
「先程も聞いた名だな。わたしは面識がないのでわからないのだが」
 何度も会話の中に出てくるその名にも、ラチェフは興味をそそられていた。
「彼は、すべてをねじ伏せる“強さ”というものに対し、自負と、それに負けない実力と、そして異常な執着心を持つ男です。彼が彼以上に力があるかもしれぬ存在に固執したとしても、不思議はありません。彼がわたしに反発したのは、樹海で、その追跡を止められたせいです」
 ケイモスと言う男に対するアゴルの評価に、ラチェフの眼が怪しく光る。
「正直申し上げて、わたしはあの男が恐ろしい」
「は……恐ろしいだと、恐ろしいだと、わーーはっはっ、あきれたなっ」
 傭兵隊の隊長を務めるほどの男が、自分が見つけて来た男を恐ろしいと言う――エルゴはアゴルのその言葉が、自分に向けられた言葉であるかのように喜び、ふんぞり返っている。
「エルゴ殿」
 話の腰を折って来る遠慮を知らぬ男を、ラチェフはその名を呼んだだけで黙らせた。
「彼の執念にとりつかれた者はどうなるのでしょう。もしかしたら彼は、かの存在を見つけるかもしれません」
 ラチェフはアゴルの、その冷静な分析に信頼を置いた。
 自身を良く見せようと、良き評価を得ようとしているエルゴの言葉よりも。
「実はわたしは、その者に同情すらしているのです」
 微かに眉を潜め、端正な顔を、その表情を曇らせるアゴル。
「失礼します」
 報告を終え、広間の大きな扉を開き、彼は丁寧に頭を下げ退室した。


「エルゴ殿」
「はっ」
 扉の閉じる音と共に、ラチェフは自己顕示欲の強い男に声を掛けた。
「ケイモスという男は、あなたが見つけてきたと言いましたね」
「あ……はい、穀物の取引で、リベの島へ参りました折」
 エルゴは、ラチェフが興味を示してくれたこのチャンスに、自身に対する評価を更に上げてもらおうと、かの男について語りだす。
「すごい威力の『遠当て』ができるんです、その他、剣の腕も立ち、まだまだ未知の力がありそうでした。島の実力者のもと、用心棒のようなことをやっていたんですが、狭い島の中であきあきしていたようで、わたしの誘いにすぐ乗ってきましたよ」
 エルゴの話だと、ケイモスと言う男は、自身の持つ力の見せ場を求めていたようだ。
「面白そうな男……ぜひ一度、会ってみたいものだ」
 眼を細め、薄らと笑みを浮かべ、ラチェフはそう言っていた。


「ジーナ、ラチェフ様って苦手」
「ん?」
「おやさしいけど、なんだかとっても恐ろしくて、近よられるとふるえちゃうの」
 父に手を引かれ、屋敷の外へと向かう階段を降りながら、ジーナハースがそう言ってくる。
「そうか、不思議な雰囲気の人だからな」
 娘の言葉の意味をどう捉えたのか、アゴルはそう返す。
「あの若さで、事実上、このリェンカを支配していると言われている方だ。ジーナはその迫力におされたかな?」
「…………よく、わかんない」
 ふんわりとした髪の、娘の頭に手をポンと置き、占者ではなく、まだ幼い子供の感じたこととして、アゴルはその言葉を受け取ったのかもしれない。
「でも、エルゴ様は平気よ。意地悪だし、お父さんをいじめるから大嫌いだけど」