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自分らしく
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彼方から 第一部 第五話

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「ジーナハース……すまない、お父さんのせいで嫌な思いをさせて」
「あらっ、そんなことないわ」
 大きな屋敷の中庭に面している、長い外廊。
 少し大人びた口調で父と話す、幼き占者ジーナハース。
 だが、思っていることをそのまま口にしてしまう所は、やはり、まだまだ子供だと言えよう。
「ジーナは、一緒に来られて嬉しいの。だって、お父さんはいつもお出かけで、おばーちゃんと二人だけなんだもの」
 言葉通り、本当に一緒にいられることが嬉しいのだろう。
 ジーナは満面の笑みで、その小さな体一杯で、父にしがみついている。
「ジ……ジーナ、前から言ってるだろ? 足にしがみつくのはやめなさいって、お父さん、歩けないから」
「いーやっ」
 困ったような笑顔を浮かべ、楽しそうにしがみついてくるジーナを引きずりながら、それでもどこか嬉しそうに、アゴルは娘を窘めている。

 ――おれが傭兵になったのは、この子の目を治す金が少しでも、欲しかったからだ。 
 
 ジーナ自身がそれをどう思っているのか、それは親であったとしても、知る由はない。
 だが親ならば、それは自然な感情であろう。

 ――だが、かえって可哀相なことをしているのではないだろうか。

 金のため、眼の治療のためとはいえ、まだ幼い愛娘を自分の母に預け、仕事に行かなければならない……淋しい思いを、していない訳がないと。

 ――今度の仕事だって、本当は気が進まなかった。深追いしなかったのも、そのせいかもしれない。

 嬉しそうに足にしがみついている娘を高々と抱き上げた後、アゴルはその胸に抱き直す。

 ――もし【天上鬼】がよみがえれば、この世はどうなるんだろう。目覚めさせた者は、それを支配できるというが……。

 陽はすっかり落ち、夜空には月が高く昇っている。
 ラチェフの館の、高く聳える塔が、月明りに照らされ闇に浮かび上がって見える。

 ――【天上鬼】とは、闇の力の凝集。その邪悪な化け物は、すさまじい破壊力をもって他の追随を許さないという。つまりは、あのケイモスなど、比較にもならぬ恐ろしい悪鬼ではないか。

 アゴルの、娘に対する想いと天上鬼への懸念と恐れ――それらをまるで反映するかのように、月が不気味な影を、その満ちた体に浮かび上がらせていた。



 食器やガラスの割れる大きな音が、夜の酒場から響いている。
 その店にいた客が、わらわらと、蜘蛛の子を散らすようにでてきた。
「何事だ」
「兵士同士のケンカだ」
「ああ、店の中がメチャクチャに……」
 ちょうど、イザークとノリコが通りかかった時に起こった出来事だった。
 店の中からは、物と物とがぶつかり合う甲高く激しい音が続いている。
「我慢しな、明日にゃ出ていくよ、お上にゃ逆らわん方がいい」
「…………」
 荒らされていく店内を、泣きそうな顔で見ている細い男に、少し年嵩の、小太りの男がそう言って慰めている。
 兵士のケンカによって外に追い出された形になった客の手には、飲みかけのグラスが握られている。
「ああ……戦かなんかしんねぇが、国ってのは税金もってくばかりで、なんもしてくんねぇ。それでなくても、盗賊がはびこって、皆苦しんでるっていうのに」
 搾取する方は、搾取される側の事など、爪の先ほども考えることはない。
「町長がそのことで軍にかけあったが、どなり返されたらしい。盗賊など、ここに限ったことではないと」
「ひでぇ話だな」
 中で暴れ、物を壊し、互いを傷つけあっている兵士の面々には、そんな町民の憂いなど聞こえようはずもない。
 物が倒れ、人が倒れ、激しさを増す足音が、ガラスの窓から漏れ聞こえてくる。
(おじさん、困ってるみたい)
 言葉の分からないノリコにでさえ、その口調と声音、表情から、店主が困っていることが分かるというのに……
 イザークは気にも留めない素振りをしながら、フッ――と、先ほどと同じく、小さく息を吐いた。
「あれ、灯が……」
 今度も、不意に灯が消えた。
「おっ、店の中が静かになったぞ」
「ははっ、そりゃ奴らも暗闇の中ではケンカもできんわな」
「…………」
 さっきまでの暗い口調から、灯が消えた途端、明るいものへと変わっている。
≪ね、ね、もしかして、今のイザークがやったんじゃないの?≫
 ノリコが袖を摘まみながら、そう訊ねて来た。
≪荷物調べの時も、灯で騒いでいたでしょ、そのスキに、あたしの荷物隠したの? だって見つかんなかったもんね、あれからどうしたの? また、バッグの中?≫
 言葉を返さないイザーク。
 だがノリコは、話しかけるのを止めない。
≪でもイザークってすごいね、なんでもできるんだもん。あのおじさん、助かったよきっと≫
「何を言っているのかわからん」
 ノリコが言葉を並べ立てる時のイザークの返しは、決まってこれだった。
(あ、よく聞く言葉だ)
 言葉を覚えようとしているノリコにとって、よく聞く言葉はより覚えやすい言葉ともいえる。
「な……な……なにて、にるるか、あからん」
 何となくの発音で発してみるノリコ。
「…………『何を言っているのか分かりません』」
 少し眉を潜め、イザークは正しく言い直してやる。
「なにおってにるるか」
「『いるのか』」
「いぬのか」
「『わかりません』」
「あかりま……」
「『わか』」
「わ、わかりまてん」
「よし」
 正しい発音に近づき、イザークはそう言ってノリコに口の端を歪めただけの笑みを見せた。
 イザークの笑顔で、この発音で正しいんだと思えたノリコは、安心したように嬉しそうに、笑顔を見せる。
「…………」
 その笑顔を暫し見詰め、何故か上を見上げると、ハァーと、イザークは溜め息を吐いた。
「イザーク?」
「ったく、なんでこんなことになったんだか……」
≪え、何?≫
 夜のカルコの町を再び歩き出しながら、イザークはそう呟いていた。
(あれ?)
 外灯に照らされた彼の横顔が、ノリコは少し気になった。


「よかったな、丁度部屋が空いていて、もう一つの宿屋は、兵士でいっぱいだったろ?」
 宿番をしている男が、そう言って部屋の鍵を投げてよこした。
「ここにはいないのか?」
 飛んでくる鍵を右手で軽く受け取るイザーク。
「いいや、半分はそれで埋まっているよ」
 そう返す、宿番の男。
「階段上がってつきあたりだ」
 部屋の場所を簡単に説明する。
「ああ」

 ――イザーク……

 軽いやり取りを終え、イザークは男に言われた通り、階段を上がってゆく。

 ――なんだか、顔色が悪いような気がする
 ノリコは彼の後ろをついて行きながら、そう思っていた。

 ――こんな灯の中だから、気のせいかもしれないけど
 向こうの世界とは違う、火の灯の下では、微妙な顔色の違いなど、慣れない者には確かに判別がつかないかもしれない。

 ――イーゴ地区で反乱がおきたらしい
 ――ここに限らず、【目覚め】捜査の兵士たちは全員、引き上げたそうだ
 ――あとは、民間人からの情報に賞金をつけるんだと
 ――正体もわからぬ者の情報を、どうやって集めるんだよ
 ――雲をつかむような話だ
 ――しばらく他国の様子を見るつもりだぜ
 ――占者は何をしているんだ