軍師姫、一計を案じる
ポリンを『師匠』と慕う、自称冥界のアイドルのラビリナを思い浮かべる。
「クルチャ……冥界に戻ったら締め上げる……」
硬く握った拳の震え具合からして相当怒っているのだろう。今日の夜にでも繰り広げられる惨劇に、ボクは同情の念を禁じ得ない。
結局、ウワサの真相は一人の《アイリス》による勘違いだった。その勘違いも明日には晴れるだろう。
「はぁっ……せっかく海に来たし泳ごうかな」
「つき合うわよ。せっかくだからみっちり泳ぎを教えてあげるわ」
「ポリン、お尻に砂がついてる」
「ちょっと! そんな事言ってお尻触ろうとしないでよっ!」
「冤罪だよ!? 本当についてるから払ってあげようとしただけで」
その気は全くなかったのに、慌てるポリンを見てたら急に――
「砂払うだけだからっ! 変な風に触ったりしないからっ!」
「目と手つきがおかしいからっ! 近寄らないでこのセクハラ姫っ!」
「あのぉ……お取り込み中申し訳ないのですが……」
ボクとポリンのやり取りに、クリスがおずおずと割って入った。
「プリシラさんの話していたモンスターが現れたみたいです。指揮をお願いします」
「わかった。ちょっと待って」
荷物から望遠鏡を取り出し、クリスの指差す方を見てみると、水面を切って移動する黒い背ビレを確認した。
ギルドからの情報と比べて少し大きい気がするが、想定の範囲内である。
「そういえば、ギルドからの依頼って結局何なの?」
「あ、ごめん。3人には移動中に話たけど、ポリンは気持ち良さそうに寝てたから起こすの忍びなくて――」
さっさと説明しなさいと言わんばかりに睨むポリンに改めて説明する。
ギルドからの依頼は海水浴場にサメが住み着いてしまい、多大な被害を被っているので退治してほしいというもの。
かなり凶暴なヤツの様で、今もイリーナとファムが遊んでる間に現れ、おいしい獲物だと思ってこちらを窺っているのだろう。
一緒に皆に作戦を伝える。
イリーナの銃とボクとクリスの魔法で牽制して浜辺に誘き寄せ、ポリンの麻痺毒ガスの結界で動きを止め、そのまま銃と魔法の飽和攻撃で仕留める。
ファムは万が一の場合の盾役となるが、急な海風の変化によっては危険な立ち位置になるので、その場合はすぐ下がるように伝えた。
「背ビレを持って帰れば、ソフィがおいしいフカヒレのスープ作ってくれるよ」
「はいっ! ファム、まだ食べた事ないから楽しみですっ!」
「フカヒレでありますかぁ。そんな贅沢品を食べられる日が来るなんて……」
食欲旺盛なファムとイリーナは、既に夕食に思いを馳せてうっとりしている。
「ちょっといいかしら?」
「どうしたの? 何か問題あるかな」
「作戦に問題はないけれど……使わせてほしい薬があるの。海洋生物なら確実に仕留められるわ。ただ、フカヒレのスープは諦めてもらう事になるわね」
「一体何の薬を使うつもり?」
「『オキシジェン・デストロイヤー』……名前だけは聞いた事あるでしょ?」
「それって……架空の薬品じゃないの!?」
その名前はほとんどの子供が読むでろうおとぎ話の、ある巨大生物を倒すために使用した『禁忌の薬』の名前だ。
「もちろん規模の小さいアレンジ品だけど。酸素を破壊する事ってそんなに難しい理論じゃないしね」
そうさらりと言いながら、頑丈そうな小さな箱を取り出して蓋を開けると、さらにきっちり木の枠で固定されたフラスコを取り出し、慣れた手つきで木の枠を外す。
フラスコの中の薬品は、陽の光を通さないほど濁った鈍色の液体で、少量にも関わらず厳重に管理してたところを見ると、相当な劇薬なのだろう。
と言うか、ボクだったらそんな薬を持って歩きたくない。
「実は活動の場が海なら普段も持ってきてたけれど、やっぱり皆が一緒だと使う機会がないし……まあ、今回は私の八つ当たりよ。
どうする? プリシラが許可してくれるなら使わせてもらうけど」
自信に満ちた表情でボクの方を見るポリンだったが、ボクの答えは決まっていた。
最大の火力をもって最小の手数で仕留める。戦略のセオリーだし美しいと思う。
「わかった、今回はポリンに任せる。でも、どうやってその薬をアイツに当てる?」
セシルなら氷の精霊を使って海ごと凍らせる事も出来るだろうが今は別パーティーだし、ボクの魔法ではきっと足止め出来ない。
「ふふん、こんな事もあろうかと用意しておいたわ。イリーナ、これを使って」
ポリンが取り出したのは、イリーナが使う銃の弾と同じ様な物だ。
「氷結弾よ。これなら3秒は動きを止められるわ」
イリーナが同意を求める様にボクを見たので、黙って首を縦に振った。
「了解でありますっ!」
渡された弾をあっという間に愛銃に込める。
「3人は危ないからここにいて」
ポリンはそう言って海辺まで慎重に歩き始め、少し後にイリーナがついていく。残ったボクたちは二人を信じるだけだ。
ポリンが足首あたりに海まで浸かると、今まで様子を窺う様に周回していた巨大サメは、猛スピードで真っ直ぐ向かってくる。
瞬く間に距離が縮むが、狙われているポリンは至って冷静にイリーナへ指示を出した。
「撃って!」
ポリンの合図と同時にイリーナの銃が火を吹く。
轟音と同時に放たれた弾丸は狂いなく巨大サメに当たり、海水ごと凍りつかせた。
間髪を入れずにポリンがフラスコを投げつける。緩やかに弧を描き、サメの身体に当たると小さな音を立てて砕けた。
二人が海から走って離れる間に、中の薬品が飛び散ると辺りはたちまち白い煙で覆われ、サメも視認する事も出来なくなった。
ただ、動いて襲ってくる気配もなく、目の前の光景は物語で読んだ巨大生物の最期を彷彿とさせる。
しかし、これは――
「効果を落としてもこの威力か……正直『使えない』わね」
ボクの心を代弁する様にポリンが呟いた。
「どれだけ気を遣っても皆を巻き込む可能性があるし、環境への負荷が大き過ぎるわ。冥王様もそれを望まないでしょうしね」
冥王さんとボクたちが目指す世界に、それは過大な力かも知れない。
その力の意味をしっかり把握している錬金術士に対し、ボクは認識を改めないといけないだろう。
当の本人はというと、ちゃっかり紙とペンを取り出して何か書いている。目の前の実験結果を記録しているのだろう。
「しばらくしたら煙が晴れて、干涸びたサメの死骸が残ってるはずよ。あとの処理は私がやるから、4人は先に町へ戻ってて」
「ボクがギルドに提出する報告書を書くから、ポリンは実験のまとめに集中して」
「お二人が残るのに、わたくしたちだけ先に戻る事なんて出来ませんよね」
「自分にも何か手伝わせてほしいであります!」
「ファムもまだまだがんばれますっ!」
「みんな……」
皆の申し出にポリンは照れくさそうに頬をかく。
「お礼に実家から最高級のフカヒレを取り寄せるわ。皆で食べましょ」
冥界に戻ったその日の夜、一人の《アイリス》の絶叫が寮に響き渡る。
一体何があったか皆は特に語らず、それを境にポリンに対するウワサも消え去った。
普段と変わらない日常が戻ってしばらく経過したある日。
夜、図書館である会戦の両軍の動きなどを調べていると、突然『ドーン!』と轟音が鳴り響いた。
作品名:軍師姫、一計を案じる 作家名:サツキヒスイ