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自分らしく
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彼方から 第一部 第十話

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 傷が疼くのだろうか、脇に手を当てた後、気配を伺いながら踵を返した。
 戦いの場を逃げ出し、追われ、頭が向かう先には、一軒の大きな屋敷……そこには、客間のベッドに体を預けるケイモスの姿があった。
「いいベッドじゃん」
 あの男の接待は、ケイモスを十分満足させたのか、その口元は少し緩んでいる。
「あのおっさん、タダ酒飲ました上に、部屋まで用意してくれるとはな」
 天蓋付きのベッドの上で、そう呟いている。



 ――ケイモス・リー・ゴーダ
 ――元リェンカの傭兵……か

 盗賊のアジトで、頭と話をしていた顎のたるんだあの商人。
 この屋敷は彼の持ち物だった。
 盗賊と結託したからこその、この屋敷なのだろうか……

 ――しかし、あいつが例の宿へ入ろうとしているのを見た時はあわてたな
 ――まったく、これからひと騒ぎ起こそうという時に……
 ――あんなすご腕がいられちゃ、賊の連中もやばかったはずだ
 ――とにかく、我家へ招いたのは正解だったな……

 夜着に身を包み、商人はそんなことを思っていた。
 接待をしていた時の、ケイモスの話を思い返す。

 ――おれにたたきつけられ、おびえと驚きに見開かれた目
 ――瀕死の中で命ごいする憐れな声
 ――そんな連中の不様な姿

 ケイモスは、酒の注がれたグラスを高々と掲げ、さも愉しげに言葉を並べていた。

 ――それこそ、おれの力の証明だ
 ――その目が、おれを誰にも負けねぇすげえ男だと、たたえてくれる
 
 力の証明……力こそが、そして誰よりも強いことこそが、ケイモスの自尊心を満足させる唯一のことなのだろう。
 他者から向けられる恐れや慄きの目、そしてその感情こそが、ケイモスには必要なのだ。

 ――多少、酔っていたとはいえ、あれは相当あぶない男だぞ
 ――だが、扱い方さえわきまえていれば、使い道はある……
 
 商人は、彼を――ケイモスを利用価値のある男、つまり自分が得をするための道具としか見ていないようだ。
 危ない男だと認識しながらも利用しようとする……それがどんな結果を齎すというのだろうか。

 ――ところで、当の襲撃の首尾はうまくいったんだろうか……

 わざわざ、当の宿に入ろうとしていた危ない男を、自分の邸宅に招き入れる事までしたのだ、気にならないはずがなかった。
 そう思いながら床に入ろうとした時、窓ガラスを叩く音に気がついた。
 そこには……
「頭っ!?」
 盗賊の頭が、窓に身体を寄せて立っていた。
「家になど来られちゃ困るじゃないかっ! 人目があるのにっ」
 商人は慌てて窓に駆け寄り、そう怒鳴りつける。
「使用人は帰したんだろ? 見つかりゃしねえよ」
 頭の額から、汗が流れている、イザークに切られた傷が、恐らく痛んでいるのだろう。

   *************

「ん? ……家の気配が乱れた……」
 用意された部屋で休んでいたケイモスの表情が引き締まる。
 常人には使えない技を使う男は、常人には感じ取ることの出来ない気配をも、感じ取れるらしい。

   *************

「では、や……やられたと言うのか?」
 頭をとりあえず中に入れ、商人は彼の話を聞いた後、力なくそう呟いた。
「あんなにたくさんの手下が……たった一人に……」
 俄かには信じ難い話だった。
 だが、頭がそんな嘘をついた所で、何のメリットもないことも分かっている。
 商人は、狼狽え、頭から離れるように後ずさってゆく。
「それにハンも、さっき、町の連中につかまっていた……あのぶんじゃ、おそらくあんたのことも吐いちまうだろうな。追っ手の手がここまで伸びるのも、時間の問題だ」
「…………」
 後ずさってゆく商人を追いつめるように、頭も、同じだけ進んでくる。
「だが、なあに、心配はいらねぇ。おれが守ってやるよ、だから……『あれ』をくれ」
 傷の痛みで息が荒くなる中、頭はそう言って、商人に手を突き出していた。
「あれが……あれさえありゃ、おれは、また、とべるんだ」
 手を突き出し、商人にそう言って迫ってゆく。
「チ……チモのことか?」
 異様な形相で迫る頭に引きながら、商人はそう言っていた。
 それは、いつも頭の肩に乗っていた、あの小動物の名。
「チモは……ない、あれは一匹しか、いなかったんだ」
 商人は、頭の尋常ではない気配に押され、そう言うのがやっとだった。
 
 頭の動きが止まった。

「そ……それより、逃げなくては……金目のものを急いでまとめて……ああ~~~なんということだ」
 商人は動きの止まった頭に背を向け、箪笥の中を探り始めた。
 彼の中では、もう話は終わったものとなっていたのだ。
 だが……
「おい」
 頭はそうではなかった、商人の肩を掴み、振り向かせる。
「おれの言うことが聞こえなかったのか、おれは『あれ』をもう一匹出せと言ってんだぜ」
「だからっ! チモはもうないと言っただろ!」
 一刻も早く逃げなければならないこんな時に、まだ、いないと言っているチモをよこせと言ってくる頭にイラつきながら、商人はそう言って返した。
 頭の眼が、血走ってゆく。
「うう――うるせえぇっ!!」
 そう怒鳴った瞬間、頭は剣を抜き、商人の胸ぐらをつかみ、顔面にその剣先を向けていた。
「ただでさえ傷が痛んでイラついてんだ! さっさと出しやがれっ!」
「や……やめろ、何をする……」
 自分に向けられた剣先を、蒼褪めた顔で見つめる商人。
「そ……そうだ、そんなに欲しくばリェンカへ行け。わたしはあそこで手に入れた。リェンカのカミーフ通りのサザナに……」
 剣先を見つめたまま、商人はチモを手に入れた場所の説明をしている。
「ふざけんじゃねえぇっ! そんな遠い所まで行けるかっ! おれは、今すぐ必要なんだ!」

 ――こいつ……正気じゃない……
 ――なんとしたことだ……

 眼を血走らせ、無いと言っているモノを今すぐよこせと言ってくる。
 ここにあると思い込んでいるのか、そう思いたいだけなのか……『ない』という事実を受け入れようとしない頭。
 商人は頭の異常とも思えるチモへの固執に、買った時のことを思い出していた。

 ――ほうら、可愛いでしょう
 ――この動物はとてもおとなしいの
 ――でも、使うのは、やめた方がいいわ
 ――とても危険だからね

 チモを売っていた、妖しげな雰囲気を纏ったフードを被った女。
 その女は、確かそんなことを言っていたと、商人は思い返していた。

 ――あれは、もしかしてこういう意味だったのか……

 これ以上、今の状態の頭に逆らうことに、商人は身の危険を感じた。
「……わ、わかった、チモを出そう。剣をしまってついてきてくれ」
 とにかく、頭を落ち着かせるために、そう言っていた。

 ――そうだ
 ――あのケイモスという男に助けを……

 まだ、剣を握ったままの頭を警戒しながら、商人はそう考え、ドアを開けた。

「面白そうな話をしてたじゃねぇの」

 腕を組み、興味津々といった笑みを口元に浮かべ、ケイモスがそこに、立っていた。

「あいつをやっつけてくれ! 盗賊なんだ、極悪人だっ!」