彼方から 第一部 第十話
渡りに船とばかりに自分の後ろに隠れ、頭を指差しそう言ってくる商人に、ケイモスは冷ややかな視線を向けた。
「な……なんだとぉ……」
頭の顔が気色ばむ。
「てめえは、その片棒担いでいたくせにっ!! それになんだ! その若造はっ!!」
「ええい、うるさいうるさいっ!!」
その、あからさまな手の平の返しっぷりに、頭は怒りで怒鳴りつける。
商人も、盗賊との馴れ合いの関係よりも、命の方が、身の安全の方が大切なのだ。
追手が差し向けられることが分かり切っている中、こんな、利用する価値の無くなった者に、いつまでも関わってなどいられなかった。
「かっ、金は出すぞ! 賊どもの宝の在処を知っているんだ!」
悪党と結託していただけあって、金でなんでもケリをつけようとする商人。
「こ……この野郎……!」
「くっくっくっ……」
その不毛な悪党二人の会話を耳にして、ケイモスは笑っていた。
「成程、なんだって一介の商人がおれなどに近づきたがったのか……訝しんでいたが、こりゃ、色々わけがありそうだ」
ただ、己の力を誇示したいだけの危ない男……という訳ではなかった。
たとえ、己の力を利用するために近づいてきた人物だとしても、それを忌避する訳でも、ただ利用されるだけでもないようだ。
「おい、雑魚!」
「――!!」
ケイモスは、剣を構えたままの頭をそう、吐き捨てた。
「おっさんはこう言うがよ、おれはさっき話に出てきた男に、興味がある」
軍の兵士相手に殺戮を愉しむ男が、たかが一盗賊団の頭などに怯む訳がない。
「てめーらを全滅さしたって、野郎のことだよ、詳しく教えてくれたら、命を助けてやらんでもないぜ」
その言葉は、虚勢でもハッタリでもない。
「雑魚一匹かたづけたところで、話のタネにもなりゃしねえからな、やっぱり、おれの相手は多少とも強くなくちゃ、面白くねぇやな」
「な……」
だが、それは、盗賊団の頭を曲がりなりにも張っていた男にとって――しかも、自分よりも若年の若造に言われて、看過できるような言葉ではなかった。
「若造――――っ!! だれが雑魚だとォ―――ッ!!」
「てめえだよォ」
剣を振り上げ、怒りの感情のままに切り掛かってくる頭を見るケイモスの眼には、嘲りの色が浮かんでいる。
軽く、右手を向けた。
その瞬間、翼竜に乗ったグゼナの兵士を撃ち落とした力が、樹海の出口で待ち受けていたザーゴの兵士をも倒した力が、頭に向かって放たれていた。
大きな気の固まりのような衝撃に飛ばされ、頭は向かいの壁に、激しく叩きつけられる。
「ああ、おかしい」
勢い余って跳ね返る様を――
「見ろよ、おれに逆らった奴の様を」
そのまま床に落ち、動かない頭の様を、ケイモスは愉悦に歪んだ目で見ている。
「だが、弱い奴じゃもの足らん、強い……強い奴でなくちゃ……」
骸と化した頭を見下ろし、ケイモスは自分の力の強さに満足しながらも、更なる証明に必要な強者を望んでいる。
「わたしについてこい」
そう言って憚らないケイモスの袖を掴み、
「わたしを追手から守ってくれ、そうしたら、必ず奴が来る」
商人はそう言っていた。
「あんたの求める、その、とてつもなく強い奴が……」
無論、自分の身を守るために……
*************
――翌日、朝。
丈の長い上着をはためかせる様にして羽織り、袖を通す。
ボタンを閉じ、帯を締め、剣を携え、ベルトを締め、そして――気を引き締めるが如く、新たなバンダナを、その額に着けた。
イザークの体調は、完全に回復していた。
「そんでよお、おれたちハンから話聞き出して、ニーバの家に行ったんだ……したら、あったのがこれよ」
昨夜、ハンを取り押さえていた町の男たちが、宿の中、布を被せた遺体を囲み、医師と町長に報告している。
「死に方が異常だろ?」
「ニーバの奴は逃げた後だったんだけど、なんか怖くなって、後を追っかけられなかったんだ」
医師は、町の男たちの話を聞きながら、ニーバの――盗賊と結託していた商人の家から持ち帰られた遺体を、頭の遺体を診ていた。
「いや……それでよかったんだ」
医師は、蒼褪めた顔でそう言う。
「これは、あの兵士達と同じやられ方だ。並の人間で太刀打ち出来る相手じゃない」
「何があったというんだ、仲間割れか?」
「ならば、そのニーバという商人の人相風体を教えてくれ」
町の男たちも話しこんでいる二人も、遺体の異様さに気を取られ、彼にそう声を掛けられるまで、全く気付かなかった。
イザークが来た事に。
驚き、振り向く皆に、
「残党狩りと一緒に、そっちの件もおれが引き継ごう」
剣を携えた姿でそう請け負う。
「お……おう、いいだろう、根城の場所も聞き出したぞ。おい、書紙もってこい、書紙」
「イザーク……その姿は」
町長は宿の主人にそう言いつけ、医師は彼の出で立ちに目を見張った。
「体が回復したんだな」
「そうだ」
その場を出ようと背を向けているイザークに、医師はホッとしたように声を掛けた。
肩越しに、端的に言葉を返すイザーク……確かに、本来の彼に戻っていた。
「おい、なにやら新手が加わったようなんだぞ」
「らしいな」
書紙を持って来た町長の言葉に、イザークは特に顔色を変える様子も見せず、応えている。
その後ろでは、夜とは別の町の者たちが部屋の中を覗きこみ、『あれが例の渡り戦士か』『人は見かけによらんなァ』『若いなァ』『二十歳はいってないんじゃないの?』『どれどれ』と、全く同じこと言い合い、『ああ、もう、この町の人たちは』と、全く同じように医師に散らされている。
「ああ、しまった! おい、ちょっと待て」
書紙を受け取り、そのまま言ってしまおうとするイザークを、町長が慌てて止めている。
「まだ、馬も用意しとらん、おまえときたら急に出てくるから」
そう言うと、イザークの返事も待たずに、町長は町の者に馬の用意を頼んでいた。
――馬など、いらんのだが
そう思いながら、特に断ることもせず、彼は町長のするがままに任せていた。
ふと、出来た間に、イザークは階段の上、上がったすぐそこに見える部屋に、視線を向けていた。
その部屋は昨夜、ノリコを寝かせたあの部屋。
未だ眠りの中の彼女のことを、少しの間、考えていた。
その気配を、エイジュも昨夜案内された部屋の中から感じ取っていた。
「ん……」
何かの気配を感じ取ったのか、ノリコが目を覚ました。
まだ少し寝ぼけて、布団の中でボーっとしている。
ゆっくりと身体を起こし、
「イザーク?」
名を呼んでいた。
明け始めた空。
起伏の激しい山の中、隆起した岩の間から朝日が昇ってくる。
崖や岩の隙間から辛うじて生えている木々が見える。
その窪地のような所に、馬が、木に繋がれ、草を食んでいる。
宿の中、寝かされていた部屋からそっと顔を出し、辺りを窺うように見回すノリコ。
≪イザーク……どこ行ったの?≫
小声で、誰もいない廊下や階段を見て、そう呟いている。
そのイザークは今、山の中を疾走していた。
作品名:彼方から 第一部 第十話 作家名:自分らしく