彼方から 第一部 最終話
細かく編み込まれた細く丈夫な鋼蔦網は、甲高い余韻を響かせ、無残にも破かれた姿を晒し、地面に落ちてゆく。
その余韻を耳に、残党は破かれた網を、それを苦にすることなく成してしまったイザークを前に、動けずにいた。
「そちらから会いにきてくれたか……捜す手間がはぶけて、助かった」
重々しい音と、土煙を上げて地面に落とされる鋼蔦網。
「ば……ばかな」
「それはあの、鋼蔦の……」
残党どもの様子から、その網がいかに丈夫で、いかに重いものなのか、そして、彼の成した所業が、常人には決して成し得ないことなのかという事が分かる。
役に立たなくなった網を踏み、イザークが一歩、近づいてくる。
「わ……」
「わわ」
やっと、自分達が相手にしようとしている男が、どれほどの強さを持つ者なのか理解したのか、盗賊の残党どもが後退りしてゆく。
彼らとの間合いを、イザークは一気に詰めて来た。
「うわーーーーーっ!」
「わーーーーっ!」
残党は慌てふためき、背を向け逃げ出した――だが、時は既に遅かった。
たった数人――それがどんなに喧嘩馴れした盗賊だろうと、イザークの敵ではなかった。
逃げる残党を剣を抜くことなく、体術のみで、あっという間に倒してゆく。
地に伏し、呻き声をあげている盗賊の残党どもは、逃げるためか、それとも抵抗を試みようというのか、必死に体を動かそうとしている。
「無駄だ、動けんはずだ。じっとしている方が楽だぞ」
イザークは淡々とそう忠告する。
その声音に、勝ったことに、相手を倒したことに対する慢心はない。
「聞きたいことがある。ニーバという商人を知っているか?」
倒した彼らに歩み寄りながら、イザークがそう訊ねた時だった。
「知ってるぜ」
高みから、声が降ってきた。
「おれの雇い主だ」
反り立つような高い岩肌の僅かな凹凸に、寛ぐように腰掛けた男が、イザークの頭上からそう声を掛けていた。
「教えてやろう、奴は今、賊どもの岩屋で宝を抱えて待ってんだよ――おまえがおれに始末されるのをよ」
――この男……
見下ろしてくる、明るい茶色の髪を持つ男――その男を見るイザークの表情が少し、険しくなる。
――全然気配が感じられなかった……
「さっきから、そこにいたのか?」
「ああ」
気配が感じられなかったことに対する動揺は、イザークには無かった、だが……
――並みの腕じゃない
相手に気配を感じさせない術を持つこの男の強さ。
その未知数の強さが、気になっていた。
「ニーバの家で頭を殺ったのはあんたか」
「そうだ」
イザークの問いにそう答えたのは、ケイモス――
己の強さを誇示し、その強さの証明の為に強者を欲する男。
「な……なんだと……」
その答えを聞いた残党が、
「こ……この野郎、頭の伝言だとか言って、おれ達をかつぎ出しといて……」
イザークにやられた痛みの中、悔しげに、言ってくる。
「ちょっと見ておきたかったのさ、これからおれと戦う奴は、どんな男か」
盗賊を騙し、イザークの実力を見るために利用した事など、ケイモスにとっては気に留めることの程でもないのだろう。
軽くそう言い捨て、彼は腰掛けていた岩肌から飛び降り、軽やかに地に足を着けた。
「ところで、ケガをしていると聞いたが?」
イザークと対峙し、そう訊ねる。
「こいつらの勘違いだろ」
ケイモスに対する警戒を崩さず、イザークはそう返した。
病の影響も、頭に刺された影響も、微塵も感じさせない彼を、地に伏す盗賊が信じられないものでも見るかのように、見上げている。
彼の言う通り、昨夜の出来事の全てが勘違いであったなら、どれほど良かっただろうか。
たった一夜で、盗賊団が壊滅させられることもなかっただろうに……
「だろうな、てえした力だった。大の男、4人もあっという間だ」
向かい合う二人。
吹き抜ける風が、二人の髪を棚引かせている。
「だが……」
ケイモスの右手に気が集まる。
その気配を、イザークが感知した時だった。
「おれとならどうかなっ!?」
ケイモスは右腕を引くと、その掌を一気に、イザークに向けて突き出していた。
常人には見えない気の固まりが、人一人飲み込むほどの大きさの気が、凄まじい速さで放たれていた。
イザークは咄嗟に、両腕でガードを固めていた。
――ッ!?
ケイモスは、今まで相手にしてきた者たちとは違う行動を取ったイザークを、驚きの眼で見た。
まさか、己の放った気が、奴には見えている、ということか?……と。
放たれた気は、確実にイザークの体を捉えていた。
「つあ……」
見えざる気は重く、威力も高く、その破壊力を以って、両腕で堅いガードをしていたイザークの体を、軽々と吹き飛ばしていた。
ケイモスの放った気は、イザークの背後にあった大きな樹を薙ぎ倒し、彼自身を反対側の岩壁へと叩きつける程の威力を見せた。
彼の自負に違わぬ威力を……
何も知らない普通の人間が、ここまでの威力を持つ気を当てられたら、一溜りもないだろう。
イザークのように見ることも、感知することすらも出来ないのだから。
その彼でさえ、岩壁へ叩きつけられるほどの勢いで飛ばされている。
だが……
「弾かれたように、横にとんだ……おれの遠当てが、まともに入らなかったというのか?」
その結果は、ケイモスには納得のいくものではなかったようだ。
本当ならば、イザークは薙ぎ倒された樹の下敷きとなっていた……のかもしれない。
ケイモスは、己の攻撃の結果に不審を抱きながらも、笑みを零した。
「だが、所詮それまでだ。少なくとも、骨の二・三本は……」
イザークが、岩壁に叩きつけられて落ちた茂みに歩み寄りながら、半ば、己に言い聞かせているかのようにケイモスは呟いている。
――ッ!!
その茂みの中から、イザークは立ち上がっていた――無傷で、何のダメージも無く……
ケイモスは目を見張っていた。
「すごい力だ……なるほどこれでは、普通の人間はひとたまりもない」
痛がる様子も、苦しい表情すらも、その顔には浮かんでいない。
「て……てめえっ! まだ動けるのかっ!?」
驚きを隠せない……遠当てと呼んだその能力の威力を、ケイモスは自負している。
己に逆らう者を何人も、その能力で屠ってきたのだから……
「チィッ!」
すかさず、左手でもう一度、遠当てを放った。
激しい衝撃と音が、辺りに響く。
イザークは放たれた遠当てを、跳び、躱していた。
――なにィ、跳んだァ!?
さらに驚愕する。
今まで、遠当てを受けて無事だった者はおろか、躱した者すらいなかったのだから……
「今度はこちらから行くぞっ!!」
ケイモスに向かって跳び、イザークは剣の柄に右手を掛けた。
地に降り立つ寸前、剣を抜いた勢いのままケイモスに切り掛かる。
彼も、いつまでも驚きの中にいるわけではなかった。
イザークの切っ先を、即座に後ろに跳んで躱す。
自分との間合いを取るかのように、後ろに跳び退るケイモスを、イザークは軽く、片足で着地したその態勢のまま着地点を蹴り、同じように跳躍して追ってゆく。
――くっ……くそっ!!
作品名:彼方から 第一部 最終話 作家名:自分らしく